五
放課後。ホームルームを終えたクラスメイトはぞろぞろと教室を出て行く。部活だったり塾だったり、その他用事がある生徒は早足に教室を出て、用事のない帰宅部もそれに合わせて帰って行く。
僕はゆっくりと鞄に教科書を入れる。そうして準備が済んだ頃には、クラスメイトは全員出払っている。誰もいない教室の戸締りをして帰るのが、僕の最近の放課後だ。決して人混みが苦手だとか、一緒に帰る友達がいないだとか、そんなことはないのだ。
昼の喧騒は何処へやら、静寂に包まれた教室に僕は勝手に趣を感じていた。
「あ、あの、雨天くんも、残ってたの?」
囁きとも呟きとも取れない小さな声が背後からする。 振り向くと、朝から話したきりだった親しいクラスメイトの姿があった。
「あ、永江さん。永江さんも残ってたんだ。」
「うん。先生に、呼ばれてたから。あの、数学のプリント、出し忘れてたみたいで。」
どうやら、ウチのクラス委員がロッカー上に集めていた数学の課題を渡し忘れていたようだ。そして先生も、週明けで忘れており、放課後になって思い出したらしい。
「クラス委員でもないのに、わざわざプリント出しに行ってたの?」
「あの、私が頼まれたから。」
僕が怒っているとでも思ったのか、永江さんは僕から目を逸らしながら話す。
永江さんは大人しいが授業態度、成績共に優良そのものだ。ただ、その慎ましい性格が災いして、教師側からものを頼まれることも少なくない。
その頼まれごとの殆どが、クラスメイトや教師の尻拭いのようなもの。今回の数学の課題だってそうだ。クラスメイトと教師の両方が忘れていて、何も悪くない永江さんが面倒事を被っている。
「クラス委員は何してるんだろうね。」
「あ、山田くんは部活に行っちゃって、先生が私に任せたって。」
「確かに、山田くんは仕事を押し付けるような人じゃないか。あんまり話したことないけど。」
「私も、そう思う。山田くん、ただ忘れてただけ。あんまり、話したことないけど。」
永江さんはそう言うと、首を傾けてはにかんだ。自覚の有無はともかく、こういう仕草をするので、男子からそこそこ人気がある。
このまま帰るのも勿体無い。そう思った僕は永江さんにひとつ提案した。
「せっかくだから中庭でジュースでも飲んでいかない?教室の鍵を返した後になるけど。僕が奢るよ。」
「え、いいけど。奢ってもらうのは、あの。」
「いいから、いつもありがとうって事でさ。ジュースでも飲んでお喋りしようよ。」
「うん、ありがとう。ご一緒、させてもらうね。」
僕と永江さんは肩を並べて、教室を後にした。沈みかけた夕陽が、廊下の窓から差し込んでいる。赤く染まる廊下と、すっかり静かになった校舎。これもまた、趣深く思えた。
「そう言えば、七咲さんと、帰らないの?」
鍵を返し職員室から出てきた僕に向かって、永江さんはそう聞いてきた。
「あの人すぐに帰っちゃうから、一緒に帰る事はないね。」
七咲さんは登校するのも、下校するのも早いのだ。何か理由があるのかも知れないが、何となくそうしている気もする。
「武石くんとは、一緒にかえらないの?」
「あいつは帰り道も違うし、何もなければひとりでいるタイプだからね。たまに一緒に帰るかも。」
「そう、なんだ。」
放課後の中庭は人おらず、昼休みの喧騒が嘘のようだった。
「僕は緑茶飲むけど、永江さん何飲む?」
「あ、えっと、じゃあ私も緑茶を。」
「おーけー。」
僕は自販機に小銭を入れて、緑茶のボタンを二度押す。ガコンと音を立てて缶に入った緑茶が落ちてきた。
「永江さん、緑茶で良かったの?」
「うん。雨天くんこそ、ジュースとか、飲まないの?」
「昼に炭酸を飲んだからね、緑茶の気分だったんだ。」
「そっか。」
夕陽で赤くなった中庭で、僕たちは缶が空になるまで取り留めのない会話を交わしていた。
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