どこか

 朝、目を覚ますと、部屋の明かりをつけっぱなしにして寝ていたのだと気づいた。時間もいつなのかよく分からないまま、むっくりと起き上がり、少し離れたところにあるスイッチを押すと、部屋は暗くなったが、カーテンから漏れ出る光が枕元に一筋、埃を立てていた。私はその存在になんとなく悲しい気持ちになった。電気代の無駄はもとより、朝日による起床が汚されたような、電気にのまれた自分の今日の初日の出がかわいそうであったのだ。

 私はカーテンを持ち、腕の一振りで開ける。スシャーーア。「幕はゆっくり昇るが、カーテンはさっさと開けるが良い」とは誰も言っていませんけど、そんな文句があってもいい。

 伸びをしながら契機である。


 勘違いをして生きている。そうたびたび不安に襲われる。不安というか世間一般的な常識というやつである。どこかしらの段階で「自分の程度」を人は知ることになるという。それは決して悲観的なことではなくて、世界の中での自分の位置を理解することができ、ようやく生きていくことや普通ということが自己の体に馴染み、日々を進んでいけることである。

 勘違いをしていると自分の程度を知らない。どこまで行けるのかが分からない。故にどこまでも行けると思っている。それもまた悲観的ではない。そうやって世の中にすごい人物は生まれてきたのである。しかしなるべくしてなる人間もいるだろう。彼らの心中は分からない。

 最近はよく否定される。自分にも、ほかの人にも。覚悟が足りない。考えが甘い。遅い。どうして。余計なお世話かもしれないけど。本気なら。

 そういうことを言われると、結局「そうか、自分は勘違いしていたんだ」って腕を掴まれる。別に結局は自分の意思によるのだからそこは自分の弱さである。しかし一方で他者を信用している自分もいたので、多くの人から冗談を言われているように扱われている気がして、自信を失った。

 長い間抽象的な夢や野望をしたためていた。しかし無難に生きるが正解と抑え込んでいたし、自分には無難に生きる方が向いているのだと思い込んでいた。その根拠を探して、生きてはいたが、結局どこに行っても自分が異なっているように見えた。そう言うと、「お前は何も知らないからだ」「ろくに他の世界を知ろうとしていない」と言われて悲しくなった。いつになったら自由になれるのやら。

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考える人 江戸瀬虎 @etuoetuoduema

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