【文化祭編】第8話 お化け屋敷

文化祭当日。空は、まるで俺たちの青春の一ページを祝福するかのように、一点の曇りもない、どこまでも高く澄み渡った秋晴れだった。校門には昨日までに完成した華やかなアーチが誇らしげに立ち、そこを潜り抜ける生徒たちの顔は、一様に期待と興奮で輝いている。普段は静かな学び舎が、今日と明日の二日間だけは、年に一度の熱狂的な祝祭の舞台へと姿を変えるのだ。

校内は既に朝からお祭り騒ぎだった。各クラスの奇抜な衣装をまとった生徒たちが、手作りの看板を手に「たこ焼きいかがですかー!」「うちのお化け屋敷、マジでヤバいっすよ!」と大声を張り上げている。中庭の特設ステージからは、軽音楽部のリハーサルの音が鳴り響き、渡り廊下には美術部や写真部の力作が並べられ、校舎全体が巨大なアート作品のようだった。その喧騒と熱気は、いるだけで心が浮き立つような、特別な魔法を持っていた。

体育館で行われた開会式では、生徒会長の開会宣言と共に、色とりどりの風船が空へと放たれた。俺たち1年3組の代表としてステージに上がった斎藤幸誠と西条美沙希は、演劇「秋風のプレリュード」のPRを堂々と行い、その美男美女コンビぶりも相まって、会場から大きな歓声と拍手を浴びていた。

俺たちの上演は、今日の午後一番。監督である俺、雪村恒成は、開会式が終わるとすぐに体育館のステージ裏へ向かい、舞台装置の最終チェックと、キャスト・スタッフへの最後の檄を飛ばしていた。心臓は、期待と緊張で、今にも張り裂けそうだった。

「恒成監督、あんまり気負いすぎて、本番前に緊張で倒れちゃったりしないでよねー? 監督がいなくちゃ、私たちの素晴らしい舞台が始まらないからね。だから、午前中は私たちと一緒に、他のクラスの出し物でも見て回って、ちょっとは肩の力抜きしようよ」

いつの間にか俺の隣に来ていた西井加奈が、そんな風に声をかけてきた。その手には、文化祭のパンフレットがしっかりと握られている。彼女の隣には、PRを終えて戻ってきた幸誠と美沙希の姿もあった。どうやら、三人で俺を誘いに来てくれたらしい。

「…まあ、少しなら、いいけど。各セクションの最終チェックが終わってからだ」

俺は、内心では嬉しいくせに、監督らしい顔を作ってぶっきらぼうにそう答える。

「はいはい、了解です、監督さん。じゃあ、それが終わったら、真っ先にあの2年生がやってるお化け屋敷に行くんだから、覚悟してねぇ〜?」

加奈は子供のようにはしゃぎながら、俺の腕をぐいと引いた。その指先の温かさに、俺の心臓はまたしても小さく跳ねた。

こうして、俺、加奈、幸誠、美沙希という、演劇の中心メンバー4人による、文化祭午前中の出し物巡りが始まった。

まず向かったのは、加奈が熱望していた3年B組のお化け屋敷「呪われた旧校舎」。校舎の使われていない一角を丸ごと使った本格的な作りで、開場前から長蛇の列ができている。中からは時折、男女問わず本気の絶叫が聞こえてきて、否が応でも期待が高まる。

「うわー、なんか…想像以上に怖そうなんだけど…」

あれだけ息巻いていた加奈が、いざ入り口の前に立つと、急に弱気になっていた。その表情は、普段の強気な彼女からは想像もつかないほど、怯えているように見える。

「大丈夫か、加奈? もし怖いなら、無理して入らなくても…」

俺が心配してそう言いかけると、加奈は俺の言葉を遮るように、ぎゅっと俺のブレザーの袖を掴んできた。

「だ、大丈夫だってば! べ、別に怖くなんかないし! …でも、ほら、恒成が私のこと、ちゃんと守ってくれないと、お化けに魂抜かれちゃうかもしれないから…。ちょっとだけ、こうしてても、いいでしょ…?」

その声は、明らかに震えている。…こいつ、本気で怖がってるな。

俺は、袖を掴む加奈の小さな手の感触と、すぐ隣で聞こえる彼女の少し早い鼓動に、心臓がドキドキと高鳴るのを感じていた。これは恐怖からか、それとも…。

「し、しょうがないな…今回だけだぞ」

顔が熱くなるのを必死で抑えながら、俺はそう言って、一歩前へ踏み出した。

一方、美沙希はというと、暗闇の中を進みながらも、冷静沈着そのものだった。

「この仕掛けはなかなか凝っていますね。音響効果と照明のタイミングも絶妙ですね。わたくしたちの演劇にも、参考にできる点があるかもしれません」

時折、そんな風に専門家のようなコメントを呟いている。幸誠は、そんな美沙希の少しズレた感性に苦笑しつつも、彼女が驚いたりしないか、常に気を配っているようだった。暗闇で足元がおぼつかない美沙希の手を、さりげなく取ってエスコートする姿は、なんだかとても様になっている。

お化け屋敷から這う這うの体で出てくると、加奈はまだ少し顔が青ざめていたが、すぐにいつもの調子を取り戻した。

「もー! 恒成ったら、さっき私の手、すっごい力で握り返してきたでしょ? もしかして、恒成の方が私よりずっと怖かったんじゃないのー? 正直に言っちゃってもいいんだよ?」

「握ってねーし! お前が勝手に俺の腕にしがみついてきただけだろ!」

俺は顔を真っ赤にして反論するが、加奈は楽しそうに笑っているだけだった。

次に俺たちが向かったのは、校庭に所狭しと立ち並ぶ模擬店のエリアだ。ソースの焼ける香ばしい匂いや、甘いカラメルの香りが食欲をそそる。

「うわー! どれも美味しそう! 恒成、私、あそこのチーズハットグ食べたいなー」

加奈は俺の方をニヤニヤしながら見る。悪そうだけどすごく可愛い顔だ…。

「ねぇ、ゲームしよっか」

加奈が、俺の顔を覗き込んで笑いながら言う。

「もしもー今から恒成が照れたり、反応したら負けね?チーズハットグ買ってね?」

とニヤニヤしながら加奈は言う。

「え?!ちょっ?!は?!」

と俺は焦りながら言うが彼女には届かない。

「恒成さ、好きでしょ?こういうの だからこういうことされても良くないー?」

と加奈は俺の目をじっと見る。

「いやっ…それはその…違うから…」

俺は顔を真っ赤にして言う。

「はい照れたー!負け〜ほんと照れやすいなぁ〜」

と加奈は笑いながら言う。

「ねぇ、どういう意味だったの…?」

と俺は顔を赤くしたまま言う。

「どういう意味って何が〜?わかんないなぁ〜」

と加奈はニヤニヤしながら言う。

「だ、だから!俺がその--のこと好きだって」

俺は重要な名前の部分を言えなかった。

「うん、そうだよ。恒成、ホットドッグとか好きだからほんとはこういうゲームされてもいいのかなー?って」

加奈はニヤニヤしながら俺の真っ赤な顔をを覗き込んで言う。

「は?!え?!」

俺は顔をさらに赤くしてしてしまった。

様々な恥ずかしさが組み合わさった結果の赤さだ。

「ん〜?なにと勘違いしてたのかな〜?」

加奈は笑いながら全てわかっていたように言う。

「お前なぁ…そういう脅し方、やめろよな…」

俺はため息をつきながらも、結局加奈にチーズハットグを買ってやる羽目になった。加奈は熱々のチーズを長ーく伸ばしながら、満足そうに微笑んでいる。その口元についたケチャップを、俺は思わず指で拭ってやりたくなったが、すんでのところで理性が働いた。…危ない危ない、これは加奈の罠かもしれない。

美沙希は、普段はあまり口にしないであろう、いわゆるB級グルメにも興味津々の様子だった。

「まあ、これは…タピオカミルクティー、というものですのね? この黒くて丸い粒の食感が、なんとも不思議で面白いですこと。幸誠さんも、一口いかがかしら?」

そう言って、美沙希は自分の飲みかけのタピオカミルクティーを、幸誠に勧めていた。幸誠は少し照れながらも、「ああ、美味いな。西条さんも、こっちのフランクフルト、食べてみるか?」と、自然な流れで食べ物をシェアし合っている。その姿は、傍から見れば完全に初々しいカップルだ。

ふと、美沙希が「少し、人混みに疲れてしまったかしら…」と、小さく息をついた。その横顔は、いつもより少しだけ血の気が引いているように見えなくもない。

「大丈夫か、西条さん? 少し休憩するか?」

幸誠がすぐに気づいて心配そうに声をかける。

「ええ、大丈夫ですわ。ありがとう、幸誠さん。少し、あちらのベンチで休ませていただいてもよろしいかしら?」

美沙希はにっこりと微笑むが、その笑顔にはどこか、ほんの少しだけ力がないような気がした。…まあ、文化祭の興奮と寝不足のせいだろう。

腹ごしらえを済ませた俺たちは、体育館で開催されているゲームコーナーへと足を運んだ。射的、輪投げ、金魚すくいなど、昔ながらの縁日のような雰囲気に、自然と心が浮き立つ。

「よし、恒成! 私にかっこいいところ、見せてくれるんでしょ? あそこの射的で、一番大きな景品、取ってくれたら、今日の午後の本番、特別に恒成のこと、いつもより10倍増しで応援してあげてもいいよ?」

加奈が、俺の背中をバンと叩いてけしかけてくる。

「…見てろよ。俺だって、やるときはやるんだからな」

俺は意気込んで射撃の構えを取ったが…結果は惨憺たるものだった。コルク玉はことごとく的を外し、小さな景品すら一つも取れない。

「もー、恒成ったらヘタなんだからー。見てらんないよ。どれ、私が見本を見せてあげる」

加奈はそう言うと、俺から銃をひょいと取り上げ、慣れた手つきで構えた。そして、驚くべき集中力で次々と的を射抜き、あっという間に一番大きなイルカのぬいぐるみをゲットしてしまったのだ。

「はい、恒成。これ、私が取ってあげたんだから、ちゃんと部屋に飾って、毎日私のこと思い出すようにしなさいよね。もしホコリかぶってたりしたらダメだよ〜?」

そう言って、大きなイルカのぬいぐるみを俺に押し付けてくる加奈。その得意満面な笑顔が、なんだか無性に腹立たしいやら、可愛いやら…。

一方美沙希はというと、金魚すくいで驚異的な才能を発揮していた。その優雅な手つきは、まるで伝統芸能の舞を見ているかのようだ。次から次へと金魚をすくい上げ、あっという間に彼女の周りには人だかりができていた。

「西条さん、すごいな…何か特別なコツでもあるのか?」

幸誠が感嘆の声を上げると、美沙希はにっこりと微笑み、

「ふふ、これは秘密ですわ。もし幸誠さんが良ければなら、特別に、この金魚たちの中から一番元気な子を一匹、プレゼントして差し上げますよ」

と、意味深(?)な言葉を返す。幸誠は顔を赤らめながら、「あ、ああ、ありがとう…」と、小さな金魚が入った袋を、どこか嬉しそうに受け取っていた。

その後、俺たちは校舎内の文化部の展示を見て回った。美術部、写真部、書道部、華道部…。どれも力作揃いで、生徒たちの情熱が伝わってくる。

アニメーション研究会の展示室に足を踏み入れた途端、俺のオタク魂に火がついた。部員たちが制作した自主制作アニメの上映や、最新アニメの考察パネル、そして部員たちの熱い語り合い。俺はすっかりその輪に加わり、時間を忘れてマニアックな会話に花を咲かせてしまった。

「…恒成、あんなに楽しそうにしてるの、久しぶりに見たかも。やっぱり、自分の好きなものに囲まれてる時が、一番生き生きしてるんだね、恒成は」

少し離れた場所で、加奈がそんなことを呟いているのが聞こえた。その声には、いつものからかうような響きはなく、どこか優しい、温かいものが感じられた。俺は、その言葉に少しだけ胸が熱くなるのを感じた。

「…まあ、私といる時が、一番楽しいに決まってるけどね、恒成は!」

次の瞬間には、いつもの調子に戻っていたが。

出し物を一通り見て回っている途中、文化祭実行委員の腕章をつけた快斗と何度かすれ違った。彼は校内を忙しそうに走り回り、各所のトラブル対応や連絡係として奮闘している。その表情は真剣そのもので、体育祭の時とはまた違う、責任感に満ちた頼もしさを感じさせた。時折、スマホを気にするそぶりを見せるのは、やはり美波先輩からの連絡を待っているのだろうか。

「快斗、大丈夫か? 何か手伝えることがあったら、遠慮なく言えよ」

俺が声をかけると、快斗は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに力強く頷いた。

「いや、大丈夫だ。それより、お前たちの演劇、本当に楽しみにしてるからな。…先輩も、きっと、見に来てくれるはずだから」

その言葉には、かすかな不安と、しかしそれを打ち消すような強い願いが込められているように聞こえた。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけば午前中の自由時間は終わりに近づいていた。俺たち4人は、少しだけ名残惜しい気持ちを抱えながら、クラスの控室である1年3組の教室へと戻る。午後の演劇本番に向けて、最後の準備と、そして何よりも心の準備をしなければならない。

「いやー、楽しかったねー! 特に恒成が、射的で全然ダメだったのが最高に面白かった!」

教室に戻るなり、加奈が大きな声でそう言って笑う。

「うるさい! あれは銃の調子が悪かっただけだ!」

俺は顔を真っ赤にして反論する。

幸誠と美沙- 沙希も、午前中の出来事を穏やかな笑顔で振り返りながら、楽しそうに言葉を交わしている。その雰囲気は、以前よりもずっと自然で、親密なものになっているように見えた。

楽しい時間は終わり、いよいよ、俺たち1年3組の演劇「秋風のプレリュード」の上演時間が近づいてくる。俺は監督として、加奈は脚本家兼役者として、そして幸誠も美沙希も、クラス全員が、この日のために全てを懸けてきた。最高の舞台を、観に来てくれる全ての人たちに届けるために。

文化祭一日目のクライマックスが、もうすぐ始まろうとしていた。俺の心臓は、期待と緊張で、今にも張り裂けそうだった。

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