第9話 梅雨空
定期テストという大きな山場を越え、高校に入って初めての夏休みを意識し始める六月下旬。外は梅雨空が続き、教室の窓からは時折、雨にけぶる境港の景色が見えた。テストの出来がどうであれ、とりあえず終わったという解放感からか、クラス全体が少し気の抜けたような、それでいてどこかソワソワした空気に包まれている。
「なあなあ、テストの手応えどうだった? 俺、マジで古典がヤバいかもしれん…」
休み時間、遼が青い顔でぼやいている。
「俺は化学が…」
「テスト終わったんだから、もうその話やめようぜー」
あちこちでそんな会話が聞こえてくる。俺も謙介と「数学、意外といけたかもな」「英語様々だな」なんて話していたところだ。まだ答案は返ってきていないので、本当の結果は分からないが。
家に帰ると母さんが
「加奈ちゃん来てるわよ」
と報告された。いやいやいや年頃の男の部屋にそういうブツがある可能性を考慮しろよ…
加奈は昔から家に来ることが多かったのでそこまで気にはしていないが。高校生になってからは来るのが初めてだからな。そう思いながら階段を駆け上がり、自室の扉を開けた。加奈の姿はどこにもない。リビングにむかうと加奈がなぜか母さんと話しながら料理をしている。家でやれよ…と思ったが正直心臓の高鳴りを感じていた。母さんがどこかへ言ったので話しかけることにした。
「…加奈、何やってんだ?」
思わず声をかけると、加奈はぴくりと肩を揺らし、少し驚いたように振り返った。
「わっ、びっくりした。お邪魔します。」
「いや、そんなことはいい。なんかコソコソやってるから気になって」
「コソコソなんてしてませんー。ちょっと練習」
そう言って、加奈はオムライスを器用に作ってみせる。
「練習って…誰かに食べさせるとかか?」
聞くつもりはなかったのに、口が勝手に動いていた。
加奈は一瞬、意地の悪そうな笑みを浮かべたが、すぐに内緒話でもするように人差し指を口に当てた。
「んー? まあね。でも、雪村くんには、なーいしょ」
「別に知りたくねーし」
俺はそっぽを向いて自分の席に戻ろうとする。
「あ、でもヒントだけ教えてあげようかな?」
加奈が呼び止める。
「いらないって」
「いつもお世話になってる、私の好きな人にね」
その言葉に、俺の足が止まった。
(好きな人…? いつもお世話に…?)
この前、美玖先生が俺たちのことを「昔から知ってる」と言っていたのを思い出す。まさか、先生に…? いや、でも「好きな人」って言い方だと、先輩とか…? ぐるぐると考えが巡る。誰だか分からないが、加奈がわざわざ料理練習までして何かを渡そうとしている相手がいる。その事実が、妙に胸に引っかかった。
「ふーん…」
俺は、それだけ言うのが精一杯で、自分の席に戻った。加奈はもう作業をやめて、友達との会話に戻っている。俺だけが、なんだかモヤモヤした気持ちを抱えている。梅雨空のように、気分が晴れない。
その日の授業中も、昼休みも、俺は時折、加奈の言葉を思い出しては、勝手に相手を想像してしまっていた。加奈はそんな俺の様子に気づいているのかいないのか、時々目が合うとニコリと笑いかけてくるだけで、特にプレゼントの件に触れてくることはなかった。湿気を含んだ空気がまとわりつく帰り道。やはり加奈の「好きな人」のことが引っかかっていた。
(一体、誰にあげるつもりなんだ…?)
考えても仕方ないことだと分かっているのに、気になって仕方がない。
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