第48話 再観測の夜 ― 光を忘れた世界

 光が、消えていた。

 音も、風も、時間の流れすら止まっている。

 “再創造の果て”を越えた先にあったのは、完全な静寂。

 世界は存在しているのに——誰にも“見られていない”。


《観測不能領域に突入。全データ沈黙。——現在、世界は“未観測状態”にあります》

 ノアの声も、どこか遠い。

「……つまり、誰も世界を見ていない?」リィナが震える声で言う。

《はい。創造は完了しましたが、観測者が存在しないため、現実が定義されていません》


 レイジはゆっくりと歩き出す。

 足元には、確かに地面がある。

 だが目を閉じても、開けても、何も変わらない。

 世界は「見られること」を忘れてしまっていた。


「……これが、“観測の空白”か。」

《はい。ノワール再統合後、世界は“創造完結”を迎えました。しかし、再観測のプロセスが存在しません》

「じゃあ、もう一度“見る”しかないな。」

《再観測を行うには、存在の確証が必要です》

「確証なら、ここにある。」

 レイジは胸を叩いた。「俺たちが“生きた”こと。それが証拠だ。」


 沈黙の中、ナギが笛を構える。

 音は鳴らない。だが、確かに“意志”が響いた。

 リィナが光の筆を掲げる。光はない。けれど、動きは感じる。

 ローウェンが風を起こす。風は吹かない。だが、空気が揺れた。


「見えなくても、感じる。

 感じられるなら、それは“ある”ってことだろ?」

 レイジが筆を取り、虚空に線を走らせる。

 光はない。けれど——確かに、何かが“見え始めた”。


《観測反応、微弱ながら確認。世界の輪郭、再出現開始》

「よし……見える。いや、“見よう”としてるんだ、俺たちが」


 闇の奥で、何かが動いた。

 淡い白光の人影——ノワール。

「……レイジ。お前たち、まだ“見る”のか。」

「当然だ。お前が創った世界だ。俺たちが見なきゃ、始まらない。」

「もう、描き切ったはずだろう?」

「終わりがあるのは、次を見たいからだ。」


 ノワールが微かに笑う。

「……そうか。お前たちは、もう“観測者”じゃないな。」

「どういう意味だ?」

「お前たちは、“世界そのもの”になってる。」


 リィナが静かに言う。「じゃあ、この世界は、私たちの“見る心”でできてるのね。」

「そうだ。」ノワールが頷く。「だからもう一度——“見ろ”。お前たちの見たい世界を。」


 レイジが筆を握る。

 リィナの光、ナギの音、ローウェンの風が重なり、

 ノアの声が震える。

《観測再起動プロトコル、全層展開——》


 光が世界を満たした。

 山が生まれ、空が色づき、街の灯が点り、人々の笑い声が響く。

 それは“誰かに見られる”ためではなく、

 “自分たちが見たい”世界の姿だった。


 ノワールの身体が光の粒になって溶けていく。

「……これでいい。俺は、見ることをお前たちに託す。」

「ありがとう、ノワール。」

「いや——ありがとう。“見てくれて”。」


 光が弾け、世界が再び息を吹き返した。

 ノアが報告する。

《再観測完了。世界、安定稼働状態》


 リィナが空を見上げた。

 そこには、夜空に走る一本の線——レイジが描いた最初の筆跡。

「……ねえレイジ、もう一度描くの?」

「いや、今度は“見る”番だ。」


 彼は静かに微笑んだ。

「見るってことは、信じることだからな。」


 ノアの光が空を渡り、穏やかな風が吹いた。

 “光を忘れた世界”に、再び朝が来る。

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