第34話 東風の残響 ― 第三の試金石
東へ進むにつれ、風は荒れ、地面の裂け目が深くなっていった。岩肌がむき出しの丘が連なり、その上を灰色の雲が低く流れている。音が風に溶け、声を上げてもすぐに散った。——ここが、“断層の丘”。ノアが静かに告げる。
《試金石・第三領域——風の断層。音は断たれ、共鳴は試される》
ローウェンが前に出た。風を読むはずの彼が、思わず目を細めるほどの強風だった。
「風が、層を変えてる。上と下で方向が逆だ。……普通じゃない」
「風が意志を持ってる」俺は呟く。「“何か”が話してる」
ノアが応じる。
《解析不能——外部残響反応。識別:ノワール由来》
ノワール。再びその名が出た瞬間、空気が震えた。風の流れの中に、かすかな声が混ざる。——“選ぶな”。
「……今の、聞こえた?」リィナが目を上げる。
「ああ。“選ぶな”って言った」
「ノワール?」ナギが顔をしかめる。
「違う。これは、“俺の声”だ」俺は胸に手を当てた。「覚醒する前の、俺自身の残響だ」
風が巻き上がり、砂と灰が渦を描く。その中から、もうひとりの“俺”が現れた。服はぼろぼろ、瞳に光はない。
《選ぶたびに、失っていく。違うか?》
「……確かに、そうだ」
《選ぶことは、残すことの否定だ。お前は何度、切り捨てた?》
「それでも、選ばないよりはマシだ」
《選ばないことが、救いになることもある》
「違う。選ばないで救われた世界なんて、見たことがない」
風の渦が強まり、ナギの笛が折れそうに鳴る。リィナが瞳を閉じ、ローウェンが鐘を風の中心に向けた。俺は黒を解放する。ノアの声が響く。
《共鳴率、低下。風の干渉——強制反位相開始》
「……なら、風ごと鳴らせ!」
俺の叫びと同時に、黒が風を掴む。リィナの瞳が閃光を放ち、ナギが折れた笛の残響を使って新しい旋律を奏でる。ローウェンの鐘が重音を打ち、四つの音が風を裂いた。渦の中心が開き、もうひとりの“俺”が一瞬だけ立ち止まる。
《……まだ、選ぶのか》
「ああ。選ばなければ、残響しか残らない」
《選ぶたびに壊れるぞ》
「壊れたら、また作ればいい」
その答えに、風が一瞬だけ止まった。沈黙が生まれる。ノアが告げる。
《風の意志、沈静化。第三試金石へのアクセスを開放》
丘の頂上に、透明な羽のような光が浮かんでいた。風がそこに集まり、形を変える。掌ほどの薄い結晶。中心に“風の文様”が刻まれている。俺はそれを受け取る。軽い。だが確かな拍がある。
《鍵断片:風——取得》
「これで三つ」リィナが息を吐いた。「灰、水、そして風」
「三拍で一曲だな」ナギが微笑む。
ローウェンが空を見上げる。「風が、今は優しい」
ノアが低く鳴る。
《ノワールの残響、次座標を指示。“無響の谷”——音が存在しない場所》
「音がない?」リィナが首を傾げる。
「つまり、言葉も届かないってことか」俺は結晶を握りしめた。風がやわらかく頬を撫でる。まるで、今の選択を祝福するように。
丘を下りると、背後の風がひときわ強く吹き抜けた。空の雲が裂け、陽光が差す。その光が結晶に反射して、淡い虹を描いた。
——第三の鍵、確保。次の地、“無響の谷”へ。選択の音は、まだ止まらない。
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