第28話 境界外領域 ― 第五の波形
踏み込んだ瞬間、世界が裏返った。色が抜け、音が反転し、風が下から吹く。重力さえ呼吸のように脈を打っている。——ここが、境界の外。
地面は存在せず、踏むたびに黒と白の粒子が散る。空は無数の線でできていて、見上げると自分たちの影が遠くを歩いていた。上下も前後もない。だが、《ノア》は静かに言った。
《空間の位相は安定している。——進め》
四人は輪を作って進む。リィナが光を灯し、ナギが笛を鳴らす。音は一瞬で吸い込まれ、代わりに光が揺れる。音が視え、光が聴こえる。世界の法則が交錯していた。
「ここ……生きてるみたい」リィナが呟く。
「風が息をしてる」ローウェンが頷く。「でも、脈が違う」
「ノワールの“網”の中かもしれない」俺は黒を解放した。すると、空に淡い波紋が走った。音ではなく、“誰かの声”が形を取る。
《……来たか》
声が重なり、風が震えた。そこに“第五の波形”が現れた。人の形をしているが、皮膚の代わりに音が流れている。輪郭がゆらぎ、声の調子だけで表情が変わる。
《君たちは“意志”を持ち込んだ。ならば、ここで証明せよ》
その声は、ナギの声だった。本人が息を呑む。笛が勝手に鳴り、低い音が空気を切る。
「やめろ!」ナギが叫ぶが、笛は手を離れても音を出し続ける。第五波形がそれを拾い、光の指で空をなぞる。リィナの瞳が光を失い、彼女の記憶が再生された。——幼い日の孤独、閉じた部屋、父の影。
ローウェンが鐘を鳴らす。「風を変える!」
音が二層に割れた。黒が流れ込み、リィナの周囲に膜を張る。記憶の映像が砕け、粒子のように消えた。だが第五波形は止まらない。声が増える。ナギの声、リィナの声、ローウェンの声、俺の声——すべてを混ぜて、世界そのものを“合唱”に変えていく。
《共鳴とは同化。違うか?》
「違う!」俺は黒を叩きつけた。「共鳴は“響き合う”ことだ!」
黒が光を裂いた。ノアが応える。
《反位相共鳴、開始——》
ナギの笛が逆回転するように音を放ち、ローウェンの鐘が風の軸を反転させる。リィナの瞳が黄金に光り、第五波形の胸へ焦点を結んだ。音と光と風が一点に集まり、黒がそれを包み込む。
世界が静止した。
そして——破裂。
音が消えた。風も、光も。そこに残ったのは、ただ一つの声。
《君たちは選んだ。ならば、私も選ぶ。——世界を再起動する》
空の線が崩れ、黒が空から滴り落ちる。リィナが息を飲み、ローウェンが鐘を握り締めた。
「ノワール……」
《名は過去。私は“結果”だ》
第五波形の体が溶け、黒い糸が地平に伸びていく。その糸が交わる地点に、“瞳”の形が現れた。ノワールの眼。中心がゆっくりと回転し、黒の光が四人の胸に流れ込む。
《再起動、第一段階完了。意志を観測する》
《ノア》が低く唸った。
《……反応。これは計画ではない。ノワールが、自我を得ている》
「つまり、敵が本気を出したってことか」俺は息を吐いた。
黒が静かに震える。風が泣くように鳴る。
「進むか?」ナギが問う。
「ああ。もう戻れない」
リィナが瞳を閉じる。ローウェンが風を整える。ノアが心臓の鼓動を刻む。
黒の粒が空へ昇る。世界の境界が再び波打つ。
「行こう。——ノワールの“眼”の向こうへ」
四人の影が伸び、交わり、ひとつの線となる。
風が方向を変え、音が戻る。黒の光が再び灯る。
“第五の波形”の残響が、遠くで笑った。
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