第5話 ラクとアシュリー
アシュリーはラクと出会う前の記憶を意識の底に封じ込めている。
思い出したくもない、辛い記憶あるからだ。
普段元気いっぱいな彼女とはまるで違う、惨めな幼少時代。
アシュリーはラクに出会わなければ、文字通り獣の餌になるほどの落ちこぼれだった。
「こんなこともできないなんて、あんたは我が家の面汚しだよ!」
「……」
親からは愛情など何一つもらったことがない。
口を開けば罵詈雑言が飛んできて、鈍臭いアシュリーが動き出す頃には全てのことが終わっている。
アシュリーは姉妹が異様に多いドワーフの家系だ。
男と違って女は10人1まとめで数えられるくらい、たくさんいるので1人いなくなってもわからない。
そのうちの一人がまさにアシュリーだった。
「あら、あんたまだご飯食べてなかったの? もう全部片付けちゃったわよ!」
「……あぅ」
「もっと大きな声で喋りなさい! あーもー鈍臭いわね。なんであんたみたいな子が産まれちゃったんだろう。上の子達は立派な戦士なのに、神様も意地悪なさるわ」
「…………」
そんなことを言われたら、アシュリーは何も言えなくなる。
姉妹からもいらないものとして扱われてきたアシュリー。
そして5歳の時、試練の儀式が始まった。
この世界の女は、5歳の時に5級の首印を討伐できて一人前とされる。
屈強な戦士を輩出する家のしきたりだ。
アシュリーはナイフ一本を持たされ、家から追い出された。
無事儀式を終えたら帰ってきて良いとされる。
姉達は我先に森の中に入っていき、無事首を持って帰る。
アシュリーだけがスタート地点から一歩も動けずに、うずくまっていた。
「あうぅ……」
鈍臭いアシュリーは何をするにも体を丸める癖があった。
よく姉達にいびられて叩かれているうちに、そうすれば身を守れると覚えたからだ。
ドワーフは背丈が成長しないことでも有名だ。
一般的人類から見たら、大人になっても10歳児くらいにしか見えない。
そのため、労働奴隷としての価値も低く、文字通り肉盾としての扱われ方しかしなかった。
「ここ、どこぉ」
日が落ちて一面が闇に包まれても、アシュリーは獲物一匹見つけることができなかった。
それもそのはず、生まれ持った個性は『気配遮断』と『統率』という、およそ個人技に長けた能力とは程遠いかったから。
ただ、幼いアシュリーでも身を隠すことはできた。
獲物を狩るなんておおよそできそうもない。
姉妹の一人に暴力すら働いたことのないアシュリー。
虫も殺せないほどの弱虫だった。
それから10年。
アシュリーは一切成長しない体を身を丸めて今日を生きる分だけの糧を得て過ごしていた。
息を潜めておけば、獣は襲ってこないことを覚えた。
あとは木の実を取りすぎない様にすれば、数日生き残れる。
でも、願うならお腹いっぱい食べたい。
ぎゅううう、となる腹の虫を必死に押さえ込んで、その日を終えるのが日課になっていた。
アシュリーにとって、その日は何かがおかしかった。
獣の姿が全く見えなかったのだ。
森はすっかりアシュリーの庭になっている。
いつもなら吠えてアシュリーを追いかけ回すオオカミが徘徊してるはずなのに、今日はまるで見かけない。
森が異様に静かだった。
「そこに誰かいるのか?」
だから自分以外の人の、共通語が聞こえた時、そっと押し黙った。
人だ。
自分を捕まえにきたかもしれない。
もしかしたら奴隷にされるかも?
自分には何お価値もない。
やりすごそう。
そう思って体を丸めて、やり過ごした。
そろそろいいだろうか?
すっかり気配遮断を呼吸を吸う様に扱えてるアシュリーだったが。
獣以上の鼻を持つ人類を振り解くことはできなかった。
「もうかくれんぼはおしまいでいいか?」
「……! ……! ……!」
アシュリーはびっくりしすぎて言葉を発せずにいた。
それを人類の男は勘違いした。
異世界人の子供は言葉を発することができないと。
「ああ、言葉がわからないのか。少しものを教えて欲しいと思ったんだがな」
アシュリーは体を丸めて震えることしかできない。
「取って食いやしねーよ。しかし参ったな、この森で暮らしていくにも言葉が話せないんじゃ。腹が減ったなぁ」
ぎゅるるる。
人間はアシュリーの聞き慣れた音をお腹から発した。
もしかしてお腹が空いているんじゃないか?
でも木の実の場所を教えたら明日の自分の分がなくなってしまう。
どうしたものか。
「悪い、先に寝る。もう何も力が出ねーや」
人間はそのまま眠ってしまった。
森の中でここまで無防備の姿を晒すなんて、自殺する様なものだ。
襲ってこないなら、大丈夫かな?
今日は獣が少ないから運が良かったね。
そう思ってアシュリーは人間から距離を取って観察を続けた。
翌日、人間はいなくなっていた。
そして、森の中からまた生き物の気配が消えていた。
おかしい。
まるで森の生態系が塗り替えられているみたいだ。
アシュリーはそれを知りながらも何もできない。
今を生きることで精一杯。
それ以上の何かをする余裕すらなかった。
そんなある日。
森の中に突然お腹が空く匂いが溢れた。
そんな匂いはアシュリーの記憶にない。
その場所に歩いていくと。
「お、やっぱりきたなちびっ子。一緒に食うか?」
そこは以前会ったことのある人間が、この森の主を焚き火で炙ってる姿だった。
アシュリーのお腹の虫は大合唱を奏でた。
よだれも、こんなに出せたのかと驚くほど、自分の意思に抗っている。
人間は特に何かを請求するまでもなく、アシュリーに焼いた肉を食べさせた。
言葉にできない感情がアシュリーの中から溢れ出た。
自分は生きてていいのだと、誰に言われるもなくそう思えた。
「そうか、うまいか。どんどん食えよ。お前はチビっこいからな。もっとたくさん食って大きくなれよ」
ただ、感謝ばかりした。
神に祈ったって、アシュリーには何一ついいことなんて起きなかった。
でもこの人間はどうして自分にこんなことをしてくれるんだろう?
それがわからない。
アシュリーの中に、人に何かを分け与えるという言葉は存在しなかった。
その日初めて、他人から分け与えられ。
それを誰かにもすべきなのかと考えた。
その日から何度も人間はアシュリーに肉を食べさせてくれた。
そのお礼と言っては何だが、自分が気に入っている木の実の場所を教えてやった。
こんなので代わりになるわけではないけれど。
それでも何もしないより全然マシだと考えるようになった。
「お、くれるのか? 肉ばかりじゃ飽きてたとこだ。サンキューな、ちびっ子」
頭を撫でられる。
たったこれだけでアシュリーは気持ちがぽかぽかした。
親や姉妹からは拳を振るわれてばかりだけど、この人間はアシュリーに暴力を振るわない。
なぜそうしないかは定かではないけど、もしかしたら暴力を振るわないタイプの人間なのかもしれないと思った。
人間はよくアシュリーに言葉をかけてくれた。
けどアシュリーは一人での暮らしが長すぎて言葉の発し方を忘れてしまっていた。
そんな時、人間は変なポーズをしてこう唱えた。
「ウホ」
グッと拳を握って両手で力瘤を作る。
アシュリーも真似した。
そうすると頭を撫でてもらえる。
アシュリーは人間の真似をしてよく褒められた。
元気一杯の時に使うと、お肉を多くくれた。
アシュリーは喜んでそのポーズをとった。
「ウホー」
今度教わった言葉は、お腹を抑えながら落ち込む様子だ。
これはすぐにわかった。
お腹が空いてる時のポーズだ。
よくお腹を空かせてるアシュリーはこの言葉を頻繁に発した。
おかげでここ最近お腹が空くことは無くなった。
人間がこのポーズをすればお肉をたくさん食べさせてくれるからだ。
「ウホッ!」
次のポーズは何かを指し示すポーズだった。
それは例えば何かを発見した時。
食べ物だと尚良いが、そうでない時も頭を撫でてくれた。
アシュリー単独では倒せない獣などの発見など、人間はよくやったと褒めてくれた。
その獣の捌き方や、火の起こし方を教わった。
本来狩猟は女の仕事なのに、代わりにやってくれる人間にアシュリーは萎縮するばかりである。
けど人間は特に怒りもせず、何なら仕事を覚えるアシュリーに上手だぞといっぱい褒めた。
アシュリーはまるで自分が違う世界に来たのではないかと困惑するほどだ。
「ウーホー」
次に覚えたポーズは両手で自分の肩を抱くというものだった。
これは寒い時にやると、お湯を沸かしてくれるというものだった。
人間は水浴びをしない。
それだけでも驚きなのだが、お湯に浸かるというのだ。
最初こそ恐る恐るだったアシュリーも、実際にお湯に浸かってびっくりする。体の芯からじんわりしたのだ。
こんなものがこの世の中にあったのか!
世界のことを何も知らなかったんだなと何度も人間の知識の深さに感心した。
アシュリーはお風呂に入りたい時はこのポーズをする様になった。
そうやってアシュリーは人間と暮らす内、すっかり人間に懐いていた。
いつまでも成長しない体にヤキモキすることもあった。
アシュリーはもう15歳。
人間換算では年頃の女の子。
男と番えば子供だって産める。
しかし人間からして見たらちびっ子未満。
手を出すのも論外とされ、もっと大人になってから告白して欲しいと言われて初恋を虚しくも散らせることになった。
「ウホ」
「ウーホー」
「ウホホッ」
「ウホー」
人間との暮らしは共通語を使わない、原始的字な言葉のやりとりでのみ行われた。
アシュリーにとっては随分と暮らしやすい。
難しい言葉などが使われないのもあり『落ちこぼれ』や『鈍臭い』『いらない子』などのワードが出てこないからだ。
アシュリーはちびっ子呼ばわりは最初こそ嫌だったが、この人間に言われる分には何とも思わない様になっていった。
ある日人間の名前はラクであると知った。
アシュリーは心の中で何度もその名前を呼んだ。
それはアシュリーにとっては初めての感情。
そして初恋だった。
種族の違う片思いは、一緒に暮らすうちに少しずつ育っていった。
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