第13話 たーにんぐぽいんと

 なんだか勢いで行動していたらとんでもないことになっていた。


 おかしい。絶対服従させるなんて言うつもりなかったのに、あの聖女様の弱々しい潤んだ瞳を見ていたら、つい魔が差してしまった。不思議である。


 まあいい。、聖女様に激重感情を抱かせるという条件はクリアしている。そのはずだ。たぶん。おそらく。きっと。


 自分でも言っていて自信が無くなってしまうのは、今の聖女様が陥っている状態が、ぼくが前世のラブコメで見てきたヒロインたちと本当に同じ状態なのか分からないからである。


 なにせ、ふつうのラブコメのヒロインは、主人公に「ぜったいふくじゅう、しましゅううううううう!」とか言わない。絶対言わない。


 いったいどうしてこんなことになってしまったのか。


 一つには、何らかの不可解な原因によって、あの聖女様が突如として「自らの理」を見出してしまったからだろう。理を見出した人間は、強い。それは時として、自らの全てを投げ捨ててでも、理を貫く強き意思となる。ゆえに今の聖女モモは、現状ラブコメにおける最強の個体となっている。それはぼくの明晰なラブコメ脳などなくとも、常人であれば容易に理解できるだろう。


 だが――

 そこにぼくが、つい聖女様を一晩中誘惑し続けてしまったことで、聖女モモの魂は、さらなる致命的な変質を遂げた。


 それは、見方によっては上位者から底辺への変質であると言えるだろう。


 事実、聖女モモは聖女という国の頂点から、ただのスラム街の少年に絶対服従するところまで身を堕としている。ぼくが想定していた「堕とす」という概念とはなにかが決定的に異なる気がするが、それはいかに優れたラブコメ脳を持っているぼくといえど、容易には言語化出来ない難解で深遠な問題だ。今はそれは置いておこう。とにかく、聖女モモが遂げた変質とは、一見すると「堕落」であるように思える。


 だがしかし――


 ぼくの類稀なラブコメ脳は、その裏に潜む本質を、たしかに見抜いていた。


 あの少女は、「純化」されたのだ。


 あの一晩は、、聖女モモの体験していたのはまさしく地獄の業火で焼かれているような本物の煉獄だ。

 この煉獄は、聖女モモという少女の不純な下心、煮えたぎる性欲、異性への期待と不安、聖女としてのプライドと自負、地位への執着、上位者としての傲慢、依存的な自らの思い描く神への信仰心など、ありとあらゆる精神世界をグルグルと回っている心達を、根こそぎ焼却し、駆逐し、消滅し、浄化した。


 あとに残されたものは、ぼくへの純粋な信仰心。


 彼女の負担になっていた依存的な信仰心は、すべてぼくという新たな神への信仰心に変貌していた。その信仰心は、彼女の恋心や性欲、そして見出した理と高度に融合し、唯一無二の純粋性を保ったまま何よりも強力なレーゾンテートルせいへきと化している。





 ――


 ぼくは、自分がとんでもない大事件の中心にいるのではないか、という不安が拭えずにいた。


 だって、あの少女は聖女様なのだ。

 この国でも有数の権力者であり、偉人とされていることは、異世界にきたばかりのぼくでも分かる。

 その聖女様が、自らの神への信仰心を、孤児の少年への絶対服従へと転化させたなどということが知れ渡ったら――

 ――もしかしなくても、国が、揺れる。


 殺されかねない。


 聖女モモが心の平安を見出し、絶対服従という天国に至ったのと引き換えに、ぼくはとんでもない爆弾を抱えてしまっていた。


 まあ、一応、モモには聖女様を続けるように誘導をかけ、モモもそれを続けると宣言してはいた。


 そうそうまずいことにはならないだろう。


 そう思い、ぼくは意識を本日の予定に映す。


 本日の聖女様の予定は、サマー家というこの国の公爵家の当主とのお茶会らしい。


 ぼくは、聖女様の召使として、この時にお茶とお菓子を運ぶという大任を任されている。

 ここで粗相をしてしまっては、他の召使たちから白い目で見られることは必至。


 なんとかして、この仕事を成功に導かなければいけない。


 と思っていると、お菓子を皿に盛り付けていたぼくの元に召使長が現れた。


「準備ができたら、応接間にお茶とお菓子を運んでください。サマー家当主は先程到着され、聖女様と中庭を歩いておられます」


 いつになく真剣な表情の召使長に、決して失敗できない、とぼくは意識をさらに引き締める。


 そうして、お茶とお菓子の用意を済ませたぼくは、ワゴンに載せて応接間まで移動した。


 いつになく緊張する。ここは前世とは違う。貴族の機嫌を損ねて処刑されるなんてファンタジー世界の定番だ。モモもいるわけだから失敗してもなんとかなるのかもしれないが、甘く考えない方がいいだろう。


 ぼくは真剣な表情で、ゆっくりと扉を開ける。


「失礼します」


 扉を奥まで開けて固定してから、ワゴンを持ってゆっくりと室内に入る。


 目上の人をじろじろと見るのは失礼らしいので、ぼくは目を伏せて、ワゴンを移動させていた。


「おや、あのモモちゃんが男の召使を雇ったんですね」


 ぼくは、公爵家当主のその物言いと声に驚いた。


 公爵家当主というから、てっきりお年を召したマダム、あるいはお婆さんのような人が来るものだと思っていた。


 だがその喋り方と声は年若い少女そのもの。


 しかも、めちゃくちゃ可愛い声だ。モモにも負けないほどの透き通るような美声は、ひどく甘さと色っぽさを伴っていた。


 だが、ぼくが驚いたのはそこではない。


 少女の声が、


 ぼくは、おそるおそる、その当主の姿を見上げた。


 そして、思わず口からその名が漏れてしまう――


「ナツミ、ちゃん……」


 それは、ぼくに天国と地獄を同時に味合わさせてくれた、因縁の相手にして――

 ぼくの、永遠に刻まれた初恋の少女。


「おやおや?」


 中世ヨーロッパらしいドレスを身に纏った黒髪ツインテールの美少女。

 それは、服装以外はすべて、ナツミちゃんそのものだった。


「どうしてわたしの名前を、召使が知っているのでしょう? どこかのパーティで顔を合わせたことがありましたか? 不思議ですね?」


 ぼくは、もうモモの様子などまるで視界にも入っていなかった。


 ああ――


 久々に見つめるナツミちゃんは、ぼくの記憶なんて古ぼけた白黒写真に過ぎなかったんだと思わされる、鮮烈で強烈な可憐さで、ぼくを不思議そうに見つめていた。


 可愛い――


 かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいい――


 ぼくは、


 それくらい、あの少女はぼくにとって致命的で、本質的で、絶対的な神そのものの存在だ。


 だが、その何百回の興奮すら、実際に生で見るナツミちゃんの可憐さが生み出す興奮に比べれば、到底及ぶものではない。


 しかし、今は――


 ギリギリのところで、いまのナツミちゃんが公爵家当主であるという情報が、ぼくにブレーキをかけてくれた。


「失礼いたしました。召使のと申します」


 だが、しかし――


 運命とは数奇なものであり――


……」


 ナツミちゃんは、ゆっくりとその名前を咀嚼するように繰り返した。


「ふふ……ふふふ……」


 そして、嗤う。


? 使?」


 それは、ぼくが想定していた異世界ライフ計画が、がらがらと音を立てて崩れ落ちた瞬間だった――


 ぼくの異世界ラブコメは、また一つギアを上げて異次元に突入するらしい――

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