わたしの日常



「ねえ、花。今日のことだけどさ。男子との待ち合わせ……」


「あ」


 急いで帰る準備をしていたら、友達のかえでに声をかけられて、思い出した。


「カラオケ、つき合う約束してたんだっけ。だめになっちゃった、ごめん」


「ええっ?」


 不服そうに、楓が声を上げる。


「本当、ごめん。今日、響くんが来ることになったの」


 昼休みに、お母さんがメールで知らせてくれたんだよね。今は名古屋に住んでいる響くんと会えるの、何ヶ月ぶり?


「響くん? 誰よ? それ」


「お父さんの友達」


「はあ?」


「大丈夫。一人抜けたからって、どうってことないよ」


「ちょっと、花……! 困るってば」


 楓には申し訳ないと思いつつ、教室を飛び出した。


「わ。もう、こんな時間」


 iPhoneで時間を確認して、足を速めた。ひさしぶりに会える響くんのことを考えるだけで、自然と胸が高鳴る。


 そんなわたしは、遊佐ゆさはな、高校一年生。さっき、楓にも言ったとおり、響くんというのはお父さんの中学のときからの友達で、物心ついたときから、わたしは響くんのことしか見ていない。


 幼稚園のとき、プロポーズの返事の手紙をもらって以来、その想いは隠し通しているけれど、今でも気持ちは色あせることがないまま。何があっても、わたしが好きなのは、永遠に……。






「おかえりなさい、花」


「ただいま。響くんは?」


 家に着くと、リビングを見回した。


「まだだよ。うーん……ちょっと、辛味が足りないかな。海老とほうれん草のカレーは、響くんの大好物なんだよね。失敗しないようにしなきゃ」


 カレーの味の調整をしている、お母さんの表情も真剣。


「大丈夫だよ。お母さん、カレーとかの煮込み系は、わりと得意じゃん」


「違うんだよ。今作ってるのはインド風だから、煮込みすぎちゃいけないの。どうしよう? 仕上げのタイミングが……」


 と、そこで、インターホンの音が部屋に響いた。


「わたしが出る。絶対、響くんだから」


 急いで洗面台に走って、髪を整えてから、玄関のドアを開けた。


「響くん……!」


「ひさしぶり。そうだ、高校生になったんだね」


「うん……」


 響くんは、いつでも昨日も会ったような表情で笑うけれど、わたしの方は、もう何年も会えずにいたみたいに感じるよ。少し神経質そうな切れ長の目も、サラサラの黒髪も、どことなく繊細さを感じさせる横顔も、全然変わらない響くん。


「そっか、花の高校の制服姿、初めてだもんね。花、響くんに写真送らなかったの?」


 うれしそうに、お母さんもキッチンから出てくる。


「……そんなの誰かに見られたら、響くん、変態だと思われちゃうでしょ?」


 少しでも大人っぽくなった姿、もちろん、いちばんに響くんに見てほしかったけど。


「たしかにね。変態は、るいだけで十分」


 わたしの言葉に楽しそうに反応する、響くん。類というのは、わたしのお父さんの名前。大学生の頃、日本の音楽シーンではちょっと名の知れたバンドのギタボをやっていて、音楽雑誌の表紙になったことなんかもあるらしい。


 響くんのフルネームは水沢響といって、同じバンドでギターやシンセを弾いていた。今は、お父さんは普通の会社員、響くんは精神科のお医者さんで、音楽とは趣味の域でしか関わっていない。


「や、だからね……! 遊佐くんは、変態なんかじゃないんだってば」


 そして、響くんにムキになって反論するのは、わたしのお母さん、遊佐 璃子りこ。いまだに、お父さんを「遊佐くん」と呼び、お父さんに片想いし続けているような、変わったお母さん。


「お父さんって、すごい人気あったんでしょ? それなのに、お母さんみたいな人を選んだ時点で、変態的な何かを感じる」


 自分の親ながら、お父さんは今でも目立つ。純日本人なのに、外国人っぽい顔立ちで、背も高いし。一緒に歩いていると、いまだにファンだという人に声をかけられたりすることもあるくらいなんだけど、お母さんは昔も今も、ごくごく普通な主婦で、あまり要領もよくない。


「さすが、花。本質をつかんでるね」


「ひ、ひどい……! ふたりして」


 いつものように、本気で気にして。


「そりゃあ、わたしは……わあ、カレーが焦げてる」


 そのあと、お決まりの流れで、キッチンに駆けていく、お母さん。そんなお母さんを見て、あきれきったようすで、響くんが息をつく。


「あのね、響くん」


 そっと、響くんに囁いた。


「お母さん、朝からすごく頑張ってたみたいなの。だから、夕食のときに一言でいいから、あのカレーのことをほめてあげてくれない?」


 響くんは、わたしが心配になるほど、お母さんに冷たい態度を取ることがある。お母さんも、お父さんや響くんといっしょに、お遊び程度のバンドをやっていたこともあるらしいけど、響くんは常々、わたしとお父さんと楽しそうに話すばかりで、お母さんのことは邪魔者扱い。いくら、お母さんも慣れているだろうとはいえ……。


「わかった」


 ふっと、響くんが笑う。


「優しいね、花」


「べつに……」


 そういう響くんの方が優しく笑うから、胸がギュッと締めつけられたようになって、目をそらした。響くんは、知らないでしょ? 響くんの一挙一動が、わたしをどんなにドキドキさせるか。


「あれ? 花、熱でもある? なんか、顔が赤い気がする」


「へっ? ううん、そんなことないよ」


 不意に響くんにのぞき込まれて、声が裏返ってしまった、そのとき。


「ただいま。響、もう来てるのか」


 玄関から、お父さんの声。


「遊佐くん……! おかえりなさい」


 一年ぶりの再会みたいな勢いで、お母さんがお父さんに駆け寄っていく。そんなお母さんを見て、もう一度ため息をつく、響くん。


「類と璃子の世話、毎日大変そうだね、花」


「うん。でも、もう慣れたもんだよ」


 わたしの答えに、響くんが楽しそうに笑う。願わくは、こんな時間が、いつまでも日常的に続きますように。

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