現代日本と江戸、それと狐~江戸で交易チート!狐耳の神様と始める商売繁盛記~

四熊

第一章

第1話

 祖父の葬儀が終わったあと、相続という形で残されたのは、山あいの村に建つ古びた屋敷だった。武家屋敷風の木造家屋で、今の世に価値があるわけでもなく、雨漏りと虫食いに悩まされる負の遺産と言ってもいい。


 だが、俺がその屋敷を相続したのには理由があった。俺にとってその屋敷には、どうしても忘れられない場所がある、敷地の裏手にある土蔵だ。


 ——開かずの蔵


 祖父はそう呼び、「あの蔵は絶対に開けてはいけない、開ければ祟りがある」と口酸っぱく俺に言っていた。


 その蔵は村の子どもたちの間でも格好の怪談の種になっていたこともあって、俺は最初、トイレに行くために蔵の前を通るたびに背筋が寒くなり、夜に夢に見るほど恐ろしい場所だった。


 俺は知っている。あの蔵は、時々、勝手に開くのだ。


 何度かその戸がひとりでに開き、中から白い光が漏れていたことがあった。怖いと思いながらも、不思議と足が勝手に向かってしまう。


 その先に広がっていたのは、夜の神社だった。


 砂利の参道、鳥居、道を照らす灯籠。月の光に照らされる境内、そこで巫女服を着たとても美しい少女に出会った。


 これが俺の初恋、一目惚れだった。


 彼女は、汚れ一つなく綺麗な白い巫女服をまとい、髪の間からふわりと耳のようなものを覗かせ、腰の辺りから尻尾が出て左右に揺れていた。今思えば、頭から獣耳が生えている人間などおかしいと思うのだろうがその頃、子どもだった俺には、それが特別なものだとは思わなかった。ただ、綺麗で、不思議で、一緒に遊んでくれる優しいお姉さんだった。


 鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたり、時には彼女が指先から小さな火の玉を出して見せてくれた。彼女が狐火と呼ぶその火の球に、俺は歓声を上げ、拍手した。彼女は少し得意そうに笑っていた。


 そんな遊びを、俺は何度も繰り返した。


 朝ごはんを食べると外で遊んでくると祖父たちに言って、こっそり蔵へ忍び込み、一緒にあの少女と境内で目一杯遊ぶ。それを祖父の家に来るたびに続けた。


 ──だが、永遠に続くと思っていた時間はあっけなく終わった。


 ある晩、夢中で遊んでいて帰りが遅くなったとき、蔵の前で祖父が待っていた。烈火のごとく怒鳴られ、腕をつかまれて引きずり出された。


「二度と蔵には近づくな!」


 祖父の目は本気で怒っていて、彼女と離れるのが嫌で泣きじゃくる俺にも容赦はなかった。翌日から蔵は固く封じられ、二度と開くことはなかった。


 女の子に会えなかったことが悲しくて、何日も泣いた。


 けれどやがて月日が流れ、「あれは夢だったんだ」「子どもの想像だったんだ」と自分を納得させるようになった。


 ——そして今。


 祖父の死後、俺はあの屋敷を相続し、片付けの手を止めて蔵の前に立っている。黒く重厚な厚い扉は、二十年以上前と変わらぬ姿だ。


「やっぱり、開かないよな。まあ、空いたとしてもあんなの有り得ないし」


 呟きながら押した瞬間、驚くほど簡単に開いた。


 冷たい夜風が頬を撫で、視界には蔵の中ではなく、雑草が生えて荒れた参道、苔むした鳥居、倒れかけた灯籠、そして朽ちかけた社。あの時よりもさびれているようには見えたがあの懐かしい場所だった。


 社へと足を運ぶ。社は今や半ば崩れ落ち、板壁には穴が空き、柱は虫に食われていた。


(あの子はどこにいるんだ?)


「……誰じゃ」


 不意に聞こえたかすかな声。驚いて社の中を覗き込むと、暗がりの奥で布団のようなものにくるまり、痩せ細った少女がこちらを見ていた。


 白装束は煤け、髪は乱れ、頬はこけている。


「……! あの時の!」


 思わず声が出る。彼女は体をゆっくりと起こすと、かすかな笑みを浮かべた。


「……おぬしか。人間はこんなにも早く大きくなるのじゃのう」


 胸が熱くなる。確かに、彼女だ。子どもの頃に遊んでくれた、俺の初恋の人。


「どうして、こんなに痩せて……」


 問いかけに、少女はかすかに肩をすくめる。


「人の信仰は絶え、この社を守る者も消えた。祀られぬ神は力を失う。……今の我の命は風前の灯火にすぎぬ」


 言葉の端々に、途切れそうな息が混じる。


やはり彼女はただの少女ではなかったのだ。子どもの頃に狐火を見せてくれた時、特別な人なのだと思ってはいたが。


——彼女は本物の神だったのだ。


 それから俺は無意識に叫んでいた。


「そんなの……絶対に嫌だ!」


 子どもの頃に笑い合った日々を、夢だと思い込んで忘れかけていた相手を、このまま失うなんて絶対に嫌だった。


 少女はしばし黙って俺を見つめ──やがて、小さく笑った。


 俺が助けるとは思ったものの、自分が立っているこの場所がどこなのか分からなければ対処のしようがない。もしかしたら、神社本庁などに連絡すればなんとか直してくれるのではないかと俺は考えていたので、彼女にこの場所がどこなのか聞く。


「ここはいったいどこなんだ? 山奥の神社なのは分かるけど」


 問いかけると、彼女は力なく笑って、指を向けた。


「確か、一番近い江戸の町がそっちの方にあったと聞いたのう」


「……え?」


 思わず耳を疑った。江戸? いや、そんなはずはない。


「なあ……今は何年なんだ?」


「それは分からぬが徳川とかいう者が、つい先に幕府を開いたらしい」


 徳川? 幕府? 


 頭の中で疑問が繋がっていく。


「まさか江戸時代……?」


 彼女は不思議そうに何を驚くことがあるのかと俺を見て、かすかに首を傾げる。


 なんと、あの蔵は神域につながる扉でなく、現代と江戸時代とを繋ぐ異界の扉だったのだ。


——

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