第12話 話したい
「あー、分かんない!」
茜は両手でもった数学の教科書を宙にあげて唸った。その上では冬の澄んだ青空が広がっている。解けかけたマフラーを結び直すと、俺は口を開いた。
「どこが分かんないんだ?」
「全部」
絶望的な表情で茜は言った。
「落ち着け茜。全部はないだろ。この前のテストちゃんと点とってたでしょうが」
「そーだけど、この応用例題が分かんなくてさ……」
「諦めて答え見たら?」
「うー、そうする」
茜は唸りながら答えのページを捲る。一度決めたら最後までやり通さないと気が済まない頑固さは、中学三年になっても変わっていない。
二人で迷子になり、爺ちゃんにしこたま叱られた日からもう六年と半年ほど。俺と茜は十五歳、立派な受験生になっていた。受験予定の高校はどちらも同じ。よって二人して受験勉強に勤しんでいるのである。
季節はすでに冬に差し掛かっている。焦りもあるのだろう、茜はため息をついて問題集に捲る。
「あーあ、史明くんみたいに日頃から勉強しておけばよかったなぁ」
「いや、茜この前の模試で合格圏内だったじゃん。そんなに心配?」
「心配だよ〜。ゴールが見えないまま追い立てられてる感じ。この前追いかけられる夢みちゃったよ」
茜の口調は明るいが、どこか萎れた雰囲気を纏っている。相当参ってるな、これは。
いつも明るい茜がこんな感じだと、俺はどうしたらいいか分からなくなる。もう迷子になった小さな俺じゃないはずなのに。俺はちゃんと大きくなれているんだろうか。
その時女の人がこちらに向かってくるのが見えて、茜は口を閉ざした。女の人はバスの待合室に入ってくると、隣のベンチに腰掛けた。なんとなく会話がなくなる。
そのうち、バスがやってきて扉を開けた。先ほどの女の人に続いて俺たちも乗車する。空いていた一番後ろの席に並んで座ると、茜が口を開いた。
「ああいう時さ、会話続けていいか分からなくなっちゃうんだよね」
「うん、俺も」
俺と茜は成長した。即ち、望む望まざるに関わらず男と女になりつつあるのだ。
そういうことに割合寛容だった小規模の小学校と違い、中学に入ると否応なしに男と女、という目で見られ始めた。一緒にいれば揶揄われ、名前呼びすれば付き合っているのかと問われ。大人達からもそれとない監視の目を感じる。
俺と茜は相変わらず友達だけど、人前で話すことは減った。それでもこうして朝の登校時には一緒になる。帰りは茜が美術部で俺が弓道部なので時間帯が合わない。
「けど、俺は茜と話していたいよ」
「……それは、嬉しいなぁ」
茜はふんわりと笑うと、手に持っていた教科書を学生鞄に閉まった。俺は目を丸くする。
「いいの?勉強しなくて」
「うん、いいや。今日は史明くんと話す!」
茜は手のひらを膝に置いて、楽しそうに言う。
「そう、……ならいいけど」
少し困った顔をしながらも、実は嬉しい自分がいる。なんでこんな天邪鬼なんだろうな、と思いながらも、話し始めた茜の軽やかな声に耳を傾けた。
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