第2話 行かない

 俺がバス停に着くと、茜はいつもの席で雑誌をめくっていた。


「なに見てるんだ?」


 いつものように隣に座って雑誌を覗き込むと、どうやら喫茶店の特集らしかった。


「東京の喫茶店だってさ。史明くん、行ってみたい?」

「……あんまり」


 茜が指差したのは、いかにも純喫茶といった格式高い店だった。俺のような男子高校生が入ってもいいのだろうか。


「あ、遠慮してるの?史明くんって保守派だよね。小さい頃レストラン行くといっつもおんなじの頼んでたし」

「そういう茜は毎回違うの頼んでたよな。チャレンジャーだ」


 それで食べきれなくて茜のお母さんに食べてもらっていたのは言わない方がいいだろう。


「期間限定のメニューとか好きだったなぁ。特別感があって。なんで史明くんは毎回同じのだったの?」

「下手に食べたことないやつにチャレンジして食べきれなかったら嫌だしさ」

「真面目だね」

「いや、爺ちゃんに怒られるのが嫌だっただけだよ」


 老いてから幼い俺を引き取ってくれた爺ちゃん。陽気で明るく、両親を亡くして沈んでいた俺を引っ張ってくれた人の一人だ。だけど甘やかすようなことはせず、自分のことは自分でできるようにさせてくれた。


 当然礼儀作法にも厳しく、こちらに来たばかりのころは箸の持ち方やら挨拶やら姿勢やら、よく注意されたものだ。


「あー、静川のじいちゃん礼儀に煩いもんねぇ。私もよく注意されたなー」


 茜は俺がこちらに来る前から爺ちゃんと知り合いだ。茜は孫の俺と同い年だったからか、爺ちゃんに可愛いがられていたらしい。史明くんのことは話に聞いてたんだよ、と前に言っていた。


「夜遅くに帰った時とか」

「ああ!あったねそれ。私と史明くんが山ん中で遭難しかけて帰ったら真っ暗で大変だったやつ」

「すっげー爺ちゃんに怒られたよな。茜はよそんちの子なのに」

「まぁ、心配かけちゃったしねえ。お母さん泣かせちゃったし。あんときはすごい落ち込んだなー」


 最後の方は、俺ではなく空の方に顔を向けて喋っていた。今日は夏らしく入道雲が浮いた気持ちの良い青空だ。


「あ、いつのまにか話題ずれてる!喫茶店の話してたのに!」


 慌ててたように茜は雑誌に目を下す。分かりやすく話題を変えたことは触れないでおく。代わりにかつて二人で彷徨った山の方を見ながら口を開く。


「俺は行かないと思う」

「え、いきなりなに?喫茶店の話?」

「ああ。茜が行かないなら俺も行かない」


 隣で茜が息を呑んだ気配がした。すぐに顔は向けられないけれど、言葉を訂正する気はない。


「っもう、可愛いやつめ!」


 軽く小突いてきた茜を、今は受け入れようと思った。

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