シュールストレミング密室で食ったら死んだ件。

ヤシさ

第一話…いや、やっぱプロローグ…だが、第一話…うん。やっぱりプロローg

 その日、俺は「天際莫迦大学てんさいばかだいがく」の講義を終え、帰路についていた。


 爆破物理学演習II。


 物理法則の許す限り、爆破の芸術性を追求するという崇高な講義だ。


 今回も生徒が数人ほど黒焦げになっていたが、まあ、いつものことである。

 彼らの探究心の現れであり、それは評価されるべきだろう。


 そんなことより、問題があった。


 改札で弾かれて気づいた。


 ICカードがない。


 また無くした。



 はあ。


 まあ、また作ればいいか。


 あれ?


 先週もこんなことを言っていたような……?


 まあ、いいか。



 自宅のアパートは、上京した時からかれこれ二十年近く住み続けている馴染みの場所だ。もはや俺の身体の一部と化しており、愛着がつきすぎて引っ越すなんて考えられない。荷造りが死ぬほど嫌だというのもあるが、それは些細な問題だ。


 このアパートが万が一にも取り壊されないよう、俺は大家に貢献している。


 部屋を、五つ借りることで。



 ああ。

 

 そうだ。

 

 すっかり忘れていた。例のブツだ。


 玄関のドアを開けた瞬間、思い出した。


 「シュールストレミング」


 最近、巷でやたらと話題の缶詰。


 俺も「Yvideo kids」に趣味で動画を上げている端くれのクリエイターとして、このビッグウェーブに乗り遅れるわけにはいかない。


 数週間ぶりにキッチン脇の棚を開ける。


 ホコリをかぶったソレが、鎮座していた。


 膨らんだ缶のラベルに、赤い文字が見える。


 「冷凍保存厳守」


 ……まあ、食えるだろ。


 三脚を立て、カメラの録画ボタンを押す。


 よし。

 

 俺は満面の笑みを浮かべ、レンズに向かって叫んだ。


 「はい、どうも皆さんGOODモ〜〜〜ニング!!!」

 

 「今回ご紹介してあげる商品は〜〜〜〜!!!」


 「こちら、『シュールストレミング』でえぇ〜〜す!」


 子供たちの笑う顔が目に浮かぶ。


 最高だ。


 こちらまで嬉しくなってくる。


 今回の動画名は「【絶望】シュールストレミング二週間放置して食ってみたwwww草w」あたりがいいだろうか。


 よし、カメラも回っている。


 では、早速。


 いただきま〜〜〜す!







 ──それからのことは、よく覚えていない。


 ただ、ひたすらに苦しく、気持ちが悪く、獣のように何かを撒き散らしながら、狭い部屋を暴れ回っていたような、そんな気がするだけだ。

 

 そして今、俺は、どこまでも広がる白い雲の上に立っていた。


 ふと目の前に、古びて錆びついた看板がぶら下がっているのが見えた。


 そこに書かれた文字は、二文字。


 「天国」


 よく見ると、その下には英語、中国語、ハングル、あと一つはどこの国の文字だろうか、とにかく計五カ国語で同じ意味の単語が併記されていた。


 なるほど。

 天国もインバウンド需要の獲得に必死なのだろう。

 グローバル化の波は、死後の世界にまで及んでいるらしい。


 しばらくの間、俺が雲の上でそんな経済情勢の分析に耽っていると、不意に背後から声がかけられた。


 「あの〜、どうされました?」


 恐る恐る振り返る。

 そこにいたのは、まあ、いわゆる天使だった。

 純白のローブに身を包み、頭上には輪が浮かんでいる。

 発光するその輪は、さながら最新のLED照明のようだ。

 いや、待てよ。

 天使が生物であると仮定するならば、発光原理は熱を伴うはずだ。それならば、比喩としては蛍光灯の方がより学術的に正しい表現か?


 そんな思考を巡らせている俺を、天使は心底困り果てたような表情で見つめている。


 いけない。

 まずは自己紹介が先だろう。


「俺は篠原圭。好きな食べ物は……」

「え、え? えっと……」

「ああ、やっぱりライムだよな。あの酸味と香り、料理の可能性を無限に広げる」

「?」

「で、君はどうなんだい? やはりレモンか?」

「あわ……あわ……えと……」


 どうやらこの天使は、まともに会話もできないらしい。

 ただ口ごもり、気の毒に唇をふるわせているだけだ。

 金管楽器でも吹かせてみたら、良い音が出るかもしれない。

 

 仕方がないので、俺は自主的に人生の栄光について語って聞かせた。

 爆破物理学演習で編み出した、最も芸術的な爆風の起こし方。

 アパートの五部屋を効率的に活用するための収納術。

 「Yvideo kids」で叩き出した、最高再生数三桁の動画について。


 しばらくそうしていると、天使が静かに、しかしはっきりとした声で言った。


 「あなたは……死んだんです」

 

 え?

 そうなの?

 ここは天国だと思っていたが。

 あれ? 天国って死んだら来るやつだっけ?

 なんかこう、厳しい修行を積んで悟りを開いたら来れる場所とかじゃなかったか?

 いや、むしろ神が地上に降りてくるとか、そういう……。


 「ああ、落ち着いてください! パニックになるのはわかります! 大丈夫です!」


 ふむ。

 どう見てもパニックなのは君の方だろう。

 俺は至って冷静だ。


 「つ、ついてきてください! コーヒーでも飲んで落ち着きましょう!」


 コーヒーミルクがいいのだが。

 まあ、いいか。


 天使に連れられて歩き出した天国は、想像以上に何もなかった。

 ただ、見渡す限りの雲。

 そして、どこまでも続く青空。

 天使の輪から漏れ出る光だけが、このだだっ広い空間で唯一の確かな存在感を放っている。


 しばらく無言でついていくと、唐突に、ぽつんとデスクがあった。

 大学の職員室にあるような、素っ気ないスチール製の机だ。

 なぜ、こんな場所に、こんな物が?


 天使は引き出しからインスタントコーヒーの箱を取り出すと、紙コップに粉を入れ、ポットから水を注いだ。


 手渡される。

 なるほど。

 アイスコーヒーか。


 俺は天使と二人、並んでアイスコーヒーを飲み始める。

 天使の顔をよく見ると、目の下には深いくまが刻まれている。ハートマークが描か れたファンシーなコーヒーカップを持つその手は、小刻みに震えていた。

 俺も、なぜかさっきから手が震えている。


 「……信じられませんよね。ご自分が死んだなんて」

 天使が、ようやく落ち着きを取り戻したのか、そう切り出してきた。


 「ああ。それより、早く動画の続きを撮りたいんだが」


 「……」


 「あの、あなた――お客様、お名前は?」


 ふと見ると、天使の雰囲気がすっかり変わっていた。

 いつの間にかその手にはアンケート用紙が握られ、俺を値踏みするような事務的な目で見つめている。


 「篠原圭」


 「あ……さっき聞きましたね。すいません」

 

 どうやら、この天使は頭がおかしいらしい。



 目の前の天使は、完璧な業務用の笑顔を顔に貼り付けて、俺の置かれた状況について説明を始めた。


 ふと、昔のことを思い出す。

 うっかり納税を忘れていた時、税務署で対峙したオネエサンが浮かべていた笑顔と全く同じ種類のものだ。

 しかし、今思えば腑に落ちない。

 なぜ公務員が、わざわざ自分で税金を申請しなくてはならなかったんだ? 国家システムとして致命的な欠陥ではないか?


 天使は何かを懸命に喋っていたが、俺の頭は税制の矛盾に関する考察でいっぱいだった。


 「……というわけで、この天界はですね、一度死んだ人の魂が……」

 「あー、はいはい。で?」

 「ですから! 次のステージへ進むための……聞いてますか!」

 「うん」

 「ちょっと……ご自分の状況、わかってるんですか!」

 「う〜ん。個人所得があったのか……?」


 いつの間にか、天使の顔から業務用の笑顔は吹き飛び、差し押さえ通知書のような険しい表情に変わっていた。


 「もう、聞いてるんですか!」

 「ああ。聞いていた。理解はしていないよ」

 「……」

 「そういえば、俺はこの先ずっと天国にいるのか?」

 「……それ、さっき八回くらい説明しましたよね?」

 「ああ。キリよく十回にするのはどうだ?」

 「……はあ」


 天使は、差し押さえの顔すら維持できなくなったのか、ぐにゃりと表情を萎ませて俯いてしまった。


 静寂が訪れる。

 俺の体内時計によれば、かれこれ半日は経過しただろうか。

 腹が、減った。

 このままだと、俺の腹の中で共生しているアニサキスちゃんたちが飢え死にしてしまう。


 その時、天使が何やらぶつぶつと呟き始めた。

 「私、ずっとこんなところで働いてるんです。毎日毎日、規格外の魂の対応に追われて……」

 「俺が勤めてる大学も、似たようなもんだよ」

 「そ、そうですか……」


 天使は少しだけ驚いたように顔を上げた。

 まあ、生徒が黒焦げになる大学も、そうそうないだろうからな。


 「なんか、腹減ったよな。悪いけど、何か作ってくれないか? 俺、人の作った飯以外は食べられない体質なんだ」

 「……あなた、どうやって今まで生きてきたんですか?」

 「え?」

 

 どうやらこの天使は、俺のことを相当なヤバいやつだと思っている節がある。

 心外だ。

 この半日の間、俺からの返事もないのに一方的に事務連絡を叫び続けていたこの天使に比べれば、俺の方がよほどサバイバルスキルは高いだろう。まあ、死んでいるが。


 「もう……いいんです。私なんか……」

 「どうした」

 「なんでこういう時だけ律儀に答えてくれるんですか……」


 天使は、ついに何かが切れたようだった。

 「もう、どうでもいいです! この天界のシステムのこととか! あなたを滞りなく転生させることとか! 神がただの派遣社員だってこととか! 私に残業代が支払われないこととか! もう、ぜんぶ、ぜーんぶ、どうでもいいんです!」


 「ふむ。残業代? それはかなり一大事だな」

 「いや、神が派遣社員の方がどう考えても一大事ですよ……」


 なぜか、天使は少しだけ嬉しそうだった。

 いや、これは苦笑いというやつか。

 「なんか……少し元気出ました。会話がここまで成り立たないと、逆に。自分よりダ メな人も、ちゃんといるんだなって……」

 「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ」

 「……」

 「……」


 一瞬の沈黙の後、天使はハッとしたように顔を上げた。


 「もう、時間がないんですよね……! ほとんどの時間を、あなたとの不毛なやり取りで使ってしまって……!」

 「時間って?」

 「転生までの準備時間です! 普通なら、この時間でチートスキルの受注とか、転生する世界のリセマラとか、色々やってもらってるんですよ!」

 「転生って、牛とか豚とか、そういう畜生にでもなるのか?」

 「……そっちの転生じゃないです」


 天使は手首を返し、何もない空間に浮かび上がった時計を見た。

 「ああ、あともう二十秒しかありませんよ!」


 天使は猛烈な勢いで俺に向き直ると、両手を突き出し、謎の呪文を叫び始めた。


 「この篠原圭を……ええい! 転生させよ、テンセイ・テンセイ!!!」


 「?」


 次の瞬間、俺は、何も見えなくなるほどの眩い光に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る