路地裏の備忘録

新開 錠

第1話  夢

高校二年のある日の放課後、いつものように教室でだらだらと雑談していた僕たち三人、A、B、そして僕の間に、奇妙な空気が持ち込まれた。


発端は友人Aだった。Aは普段から少し神経質で、些細なことでも大げさに騒ぐ癖があったが、その日の顔色は尋常ではなかった。


「なあ、聞いてくれよ。気持ち悪いんだ」


Aは机に突っ伏しながら言った。「一昨日から二日連続で、全く同じ夢を見てるんだ。それが本当に気持ち悪い」


僕とBは顔を見合わせた。Bはスマホをいじりながら、「二日連続か。珍しいな。宝くじでも買えよ」と笑った。


Aは真剣な顔で首を振る。「笑い事じゃねえって。ただの夢じゃない。夢の中、ずっと暗い場所に、ボサボサの髪で、白いドレスを着た女が立ってるんだ。そいつ、ずっと僕に背を向けて動かない。音もない。ただ立ってる。二日とも、全く同じ場所に、同じ姿勢で」


「背中だけかよ。たいしたことないじゃん」と僕が言うと、Aは苛立ちを露わにした。「それが嫌なんだよ! 二日連続で、同じ『後ろ姿』を拝まされるのが、まるで何かを試されてるみたいで」


https://kakuyomu.jp/users/korokorokun/news/822139836945334819


結局、僕たちは「そんなこともあるよ」「疲れが溜まってるんだろ」と、ありふれた冗談でAの訴えを流し、その日は帰宅した。夢の中の女は、Aだけの不気味な体験として、教室の隅に忘れ去られるはずだった。


翌日、Aは学校に来なかった。


朝のホームルームで担任が「A君は体調不良でお休みです」と告げたが、僕がLINEで連絡しても既読すらつかない。Aは神経質だが、連絡を無視するような奴ではなかった。


昼休み。Bが僕の席に駆け寄ってきた。その顔は、昨日までAがしていた顔色よりも、さらに青ざめていた。


「ユウタ……俺、見た」


Bの声は震えていた。


「何を?」


「あの女だ。Aが言ってた、ボサボサの髪の後ろ姿の女。昨晩、俺の夢にも出てきた」


僕は一瞬息を呑んだ。まさか。そんな偶然があるだろうか?


Bは腕を組み、何度も体をさすった。「夢の中は本当に暗くて、女はAが言った通り、白いドレスで、ずっと背を向けて立ってた。ただそれだけだ。でも、目が覚めた後、『次はおまえだ』って声が聞こえた気がして、一睡もできなかった」


僕たちは震える声で、これが単なる偶然ではないことを理解し始めた。まるで、Aの夢が、僕たちに『伝染』したかのように。


そして次の日、Bはさらに憔悴しきった様子で登校してきた。目の下に濃い隈を作り、ほとんどまともに口も利けない。


「また、昨夜も…またあの女だ。同じ夢…二日目だ…」Bは机に顔を伏せ、微かにそう呟いた。「Aと同じ…二日連続で…」


その日の夕方、担任に呼び出された。担任は深刻な顔で、「A君のことなんだが、家族から連絡があった。彼は精神的にひどく病んでしまったそうだ。しばらく休学することになった」と僕たちに告げた。


「精神的に病む」――それは、物理的な怪我とは違う、内側から確実に崩壊させられた、ということを示唆しているように思えた。Aが最後に言っていた「何かを試されているみたい」という言葉が、僕の脳裏にこだました。


そして、その翌日。


Bの席は空席だった。


Bの母親に連絡を入れたが、「昨夜から連絡が取れない。携帯も部屋に置いたままで…」と、ただ混乱する声だけが返ってきた。


Bも消えた。Aが休学した次の日、Bも学校から姿を消したのだ。


クラスメイトたちは単なる失踪や家出だと噂したが、僕には分かっていた。これは、Aの夢から始まった、女による選別の結果なのだと。そして、二人が三日目に消えたことを考えると、次は僕の番だった。


その夜、僕は布団に入っても、一睡もできずに天井を睨み続けた。コーヒーを飲み、音楽を大音量で流し、どうにか睡魔を追い払おうとしたが、前の晩からの寝不足と精神的な疲労には勝てなかった。


時計が午前二時を回った頃、僕の意識は暗闇に引きずり込まれた。


案の定、僕は夢の中にいた。


あたりは深い暗闇。そして、僕の目の前には、白いドレスを着た女が立っている。ボサボサの黒い髪が背中を覆い、彼女が僕に背を向けているのは、AとBが見た夢と全く同じだ。


「ああ…来てしまった」


しかし、AやBが言っていたよりも、彼女はずいぶん近くにいるように感じた。ほんの数メートル先に、静かに立っている。


「ゴトッ」


女の足元で、何かが転がる音がした。女は微動だにしない。恐怖が頂点に達し、僕は心臓が張り裂けそうな感覚で飛び起きた。


時計は午前三時半を指していた。全身が汗で濡れていたが、僕は少し安堵した。


しかし、心はすでに疲弊しきっていた。寝不足と恐怖で、僕はフラフラになりながらも、学校へ向かった。


教室には、AもBもいない。彼らが座っていた席は、まるで初めから誰もいなかったかのように、静かに佇んでいる。


「今夜、眠ると…二回目、三回目には僕は終わる」


―― 眠ってしまった……


僕の夢の中では、あの女は昨日よりも近くにいた。Aが二日、Bが二日。そして僕も、昨夜で二日目の夢を見た。もし今夜、眠って三日目の夢を見るとしたら、その女は振り向くのではないか?


僕は三日目を迎えた今夜こそ、絶対に眠らないと決意した。


しかし、前夜に無理やり起きた反動は想像を絶するものだった。授業中も目は勝手に閉じそうになるし、食事も喉を通らない。目蓋の裏は重く、脳は警報を鳴らし続けているのに、体は休息を求めて悲鳴を上げている。


夜九時。僕はリビングの椅子に座り、歯を食いしばっていた。

家族は眠そうな僕を心配して、「眠いなら早く寝なさい」と声をかける。

夢の中の女のことなどを話しても信じてもらえず、「夢は夢」と軽くあしらわれるだけだろう。


夜十時。意識が途切れそうになるたびに、冷たい水を顔に叩きつけた。

家族の声かけは、眠気を退けるには助かるが、もはや「早く寝なさい」と小言となってきた。


夜十一時。家族の小言にうんざりしてきたので、濃い目のコーヒーを淹れ、自室でヘッドホンをして大音量で音楽をかけたが、試みは虚しく僕の視界は歪み始め、床の模様が不気味な顔に見え始める。


そして、深夜零時を過ぎた頃。抗いようのない睡魔が、僕の意識をゆっくりと、しかし確実に、引きずり下ろした。


夢の中に、僕はいる……いや、寸でのところで飛び起きた!


恐らく数秒眠ってしまったのだろう……。


僕は今、この話をタイプしている。


まだ夜は長い。全身に力が入り筋肉が強張っている。


僕は今夜、眠るのが怖い。


もし眠ったら、僕はAやBと同じように、精神を病むか、あるいは消えてしまうだろう。


しかし、それ以上に怖いのは、僕のこの話が、この記事を読んでいるあなたの元へと、夢となって伝染してしまうことだ。


願わくば、明日以降、あなたの夢の中にボサボサの髪の後ろ姿で白いドレスを着た女が現れないことを、心から祈っている。

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