第15話:面倒なこと

作戦会議が終わり、夜も更けてきた。


マカカチは客人をそれぞれの部屋へ案内する役を買って出た。

元気いっぱいの声で、マカカチは悠夜とシルファンを先導する。


長い廊下を抜け、一つの扉の前で立ち止まった。

「まずはシルファンからね。ここがあなたの部屋」


マカカチが扉を開けると、中には上品で落ち着いた雰囲気の部屋が広がっていた。


「どう? 悪くないでしょ?」

猫の耳をぴこぴこと動かしながら、得意げに胸を張る。

その姿は、自分の城を自慢する無邪気な子供のようだ。


「すごい……綺麗……」

シルファンは素直に感嘆の声を漏らした。


「ふふん、当然でしょ。ゆっくり休みなさいな」

満足そうに頷くと、マカカチは悠夜の方を向く。


「さて、次はあんたね。こっち」

シルファンの部屋の隣。

同じように扉を開けると、そこもまた、清潔で機能的な部屋だった。


「あんたはこっち。シルファンの隣だから、何かあってもすぐ対応できるでしょ」

「ああ、助かる。ありがとう」

悠夜が素直に礼を言うと、マカカチは少しだけバツが悪そうな顔をした。

「べ、別に……あんたのためじゃないんだからね。シルファンが安心して休めるようにしただけなんだから」

ぷいっと顔をそっぽに向け、早口でまくし立てる。


「それじゃ、二人ともおやすみ! 明日は早いんだから、寝坊しないようにね!」

マカカチはそう言い残すと、ぱたぱたと軽い足音を立てて廊下の向こうへ消えていった。


その背中を見送りながら、悠夜は小さく苦笑した。

「相変わらずだな、あいつは」

元気で、自信家で、少しだけ素直じゃない。




自室ではなく、執務室へと戻ったマカカチは、扉を閉めた瞬間、大きく息を吐き出した。

どさりと、まるで糸が切れた人形のように、自分の椅子に深く沈み込む。


「はぁ……つっかれた……」

さっきまでの元気な態度は嘘のように消え、今はただ深い疲労感だけが全身を包んでいた。


自信に満ちた商人の仮面を脱ぎ捨て、そこには一人の少女の素顔があった。


少しだけ休みたい。

脳が休息を求めている。

しかし、まだやるべきことは山積みだ。


マカカチはもう一度、今度は自分を奮い立たせるように息を吸い込むと、しゃんと背筋を伸ばした。


そして、落ち着いた声で扉の外へと呼びかける。

「フィーナ、いる?」

「はい、お嬢様。ここに」

すぐに返事があり、静かに扉が開かれる。


フィーナはマカカチが物心ついた頃からの付き合いだ。

主人と使用人という立場ではあるが、その関係は姉妹や親友に近い。

マカカチが心の底から信頼できる存在。


「お疲れ様です、お嬢様」

「あんたもお疲れ様。……早速だけど、今後のことで話があるの」

マカカチは机の上の資料を指で軽く叩きながら、先程の会議で決まった計画の概要をフィーナに説明した。


「……と、いうわけで、明日から本格的に動き出すことになるわ」

「承知いたしました」

「それで、あんたとエルザには、あのフォレストエルフ……シルファンと一緒に行動してもらう」

「はい」

「いい? 具体的な作戦中は、まず自分たちの身の安全を最優先にしなさい。それから、あのエルフが私たちの邪魔をしないように、うまく立ち回って。……決して、視線から外さないようにね」


マカカチの声には、いつもの快活さとは違う、冷徹な響きがあった。


フィーナは主人の真意を探るように、静かに問いかける。

「……あのフォレストエルフは、信用できるのでしょうか?」

「仲間、ではあるわね。一応は」


マカカチは少しだけ間を置いて、言葉を続けた。

「でも、油断は禁物よ。あのエルフ、見た目によらず戦闘力はとんでもなく高い。正面からぶつかるのは絶対に避けて」

「……」

「悠夜がこっちを牽制するために送り込んできた駒、くらいに思っておくのが丁度いいわ。あいつも、私たちのことを百パーセント信用してるわけじゃないだろうしね」


「悠夜……あの方、人間ですよね。なぜ、あのような者と手を組む必要が? 私には、理解できません」

フィーナの言葉には、悠夜に対する明確な不信感が滲んでいた。


「……あいつは、ちょっと特別なのよ」

マカカチは無意識に、指先で自分の髪をいじっていた。


その些細な仕草を見逃さず、フィーナは少し意地悪く笑う。

「あら。もしかしてお嬢様、あの方に惚れたんじゃありませんこと?」


「はぁ!? な、ななな、何言ってるのよ! そんなわけないでしょ!」

図星を突かれたように、マカカチは激しく否定する。


耳がぴんっと立ち、尻尾がぶわりと膨らんだ。

「あいつはただの! ビジネスパートナー! それ以上でもそれ以下でもないわ!」

「はいはい、そうでございますか」

フィーナは相槌を打つ。

あの反応は、明らかに「ある」と言っているようなものだ。


「も、もういいわ! それから、あのリス人の件! 信頼できる者に素性を調べさせて。何か裏があるかもしれない」

マカカチは話を逸らすように、別の指示を出す。

「承知いたしました」


フィーナが頷くと、ふと何かを思い出したように表情を改めた。

「お嬢様がお留守の間、元老院から通達が」

「……聞きたくないわね」

「そう仰らずに。……魔族との協力体制を、正式に決定したとのことです」

「……」

マカカチは黙り込んだ。


元老院。

それは、ネコ族の中でも特に有力な商人たちによって構成される意思決定機関。

一族の利益を守るため、時には非情な判断も下す存在だ。


「……やっぱり、そうなったの。時間の問題だとは思ってたけど」

マカカチの呟きには、諦めと呆れが混じっていた。


「人間と魔族の戦争に、ここまで深く首を突っ込むなんて。……本当に、あのジジイどもは何を考えてるんだか」

「魔族は……本当に信用できるのでしょうか。今の生活でも、十分にやっていけているというのに……」

フィーナが不安げに眉をひそめる。


「さあ、どうでしょうね。魔族なんて、腹の底で何を考えてるか分からないわ」

マカカチは肩をすくめた。

「だからこそ、両方に賭けておく必要があるのよ」

「両方に?」

「そう。魔族と、そして人間側に。……悠夜が必要なのは、そのためよ」

マカカチはさも当然のように言ったが、フィーナにはそれが今、咄嗟に考えついた言い訳であることを見抜いていた。


(……悠夜、ですか)

フィーナは、あの人間の男に対して、興味と、そして強い警戒心を抱いた。

お嬢様をここまで夢中にさせる男。

決して、油断できる相手ではない。


「それから、これは内々の情報ですが」

フィーナは話題を変える。

「ウルフ族が、魔族側へ全面的に加担することを決めたそうです。一体、どんな見返りがあったのやら」

「ふん。元老院の連中と同じね。頭が単純のバカだな」

マカカチは鼻で笑った。


フィーナは、その言葉が元老院だけでなく、マカカチの父親にも向けられていることを理解していた。

「……時代の流れ、なのでしょうか。人類が栄華を極めて、もう百年以上も経つのですから」

フィーナは当たり障りのない言葉を返すことしかできない。


そして、もう一つ、別の話題を切り出した。

「ストームたちが、近々開催される勇者選抜会合の会場設営の仕事を受注したそうですよ。大したものですね」


ストーム。

マカカチがかつて奴隷市場で救い出した、同族の青年。

今ではマカカチの商会にとって、欠かせない戦力の一人となっている。


フィーナ個人としては、もしマカカチが誰かと恋愛をするのであれば、得体の知れない人間の悠夜よりも、実直で忠誠心も厚いストームの方が遥かに相応しいと考えている。

だから、こうしてさりげなく彼の名を出す。


しかし、マカカチの反応は、冷めたものだった。

「へえ、そうなの。まあ、ああいう政府関連の案件は、いつ入金されるか分かったもんじゃないけど。貴族と繋がりが持てるなら、悪くはないんじゃない」


そこには、何の感情も籠っていなかった。

興味がない。

その一言に尽きた。


フィーナは内心で小さくため息をつく。

(……これでは、全く……)

しばらくの沈黙が、部屋を支配した。


「……では、私はこれで」

フィーナが下がるために一礼し、部屋を出ようとした、その時だった。

「待って、フィーナ」

マカカチが、彼女を呼び止めた。


「……信頼できる者を一人、悠夜の監視につけて」

「……」

「……もし、あいつに危険が迫ったら……」

マカカチは一瞬、言葉をためらった。


そして、決心したように、はっきりとした口調で告げる。

「……守りなさい」


主人の真剣な眼差し。

その瞳の奥に宿る感情を、フィーナは正確に読み取っていた。


「……承知、いたしました」

静かに一礼し、フィーナは今度こそ部屋を退出した。




一人残された執務室。

窓の外は、静寂に包まれた夜の街が広がっている。

まるで、世界中の時間が止まってしまったかのようだ。


この巨大な都市で、今もなお煌々と明かりが灯っているのは、きっとこの部屋だけだろう。


マカカチは、疲れたようにこめかみを指で揉んだ。

人間。

魔族。

元老院。

勇者。

教会。


そして……。

「悠夜……」

ぽつりと、その名前が口からこぼれた。


「……ほんと、面倒なことばっかり」

少女の呟きは、誰に聞かれることもなく、静かな夜の闇に溶けていった。

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