第15話 目覚め


 東の空が明るさを増し、光を受けた雲が薄紅色や紫色に染まった。紺色の夜空は徐々に青色に変わり、星々は光を失った。東の地平から太陽が顔を出し、朝が来た。

 朝日に照らされた光茨はすべて枯れ落ち、茨に守られていた塔が姿を現した。


 窓から差し込む朝日が、寝台で眠るアウロラ姫の顔を照らし出した。姫は、少し眉を顰め、長い睫毛を震わせた後に、目を開けた。


 寝台の上で身を起こし、周囲を見回すと、何故か部屋中に赤い実が落ちていた。赤い実は朝日を受けてキラキラと光り、まるで紅玉を散りばめたようで美しかった。視線を寝台の近くの床に向けたアウロラ姫は、ぎょっとした。見知らぬ若い男が倒れていたのだ。自分が寝ている間に何があったのだろう。


 窓の外は、美しい朝焼けが広がっていた。そして窓の外から話し声がした。アウロラは寝台から下り、窓辺に歩いた。


「……塔の中に入らなかったもん」

「不審者に攻撃するなんて!アウロラ姫には防衛魔法をかけていたので大丈夫だったのですよ。むしろあなたの攻撃が姫に当たれば、魔法が発動して反撃されていたかもしれないのですよ。ソル、あなたがついていながら!」


 塔の外、浮遊する自転車にそれぞれ乗った魔女ルミナと妹のディアナ、それにディアナの自転車の前籠に乗った黒猫のソルがいた。妹と猫は、なにやら魔女に説教されていた。叱られてしょぼくれていたディアナが、アウロラに気付いた。


「姉上!おはようございます!」

 笑顔で声をかけるディアナに、アウロラが挨拶を返した。


「おはよう。良い朝ね」


*****


 王は、魔女スアデラと公子クピドを拘束し、公国に抗議した。

 大公は、一連の陰謀に公国は関与せず、2人が勝手に行ったことであると言い張り、処分を王国に任せた。公国にとっては、公子だけではなく魔女も捨石であった。


 取り調べの結果、スアデラは15年前のアウロラ姫の呪詛の首謀者であるだけでなく、9の塔の魔女ケレスの殺害未遂、王国の高官の殺害など、数々の犯罪に関与していることが判明した。余罪の調査が終了したら、極刑に処されることが決定した。


 問題はクピド公子である。積極的に犯罪に加担しておらず、アウロラ姫への狼藉も未遂。冷遇されていたとはいえ大公の子を処刑すれば、公国から後に言いがかりをつけられるかもしれないし、かといって生かすとなれば、どこに預ければよいか分からない。

 彼には、意外なところから引き取り手が現れた。冤罪の晴れた9の塔の魔女ケレスである。塔で彼にアッパーカットをお見舞いしたときにケレスが気付いたが、クピドはかなりの魔力持ちであった。彼は『魔女見習い』としてケレスが育てることになった。

 なお、昔は男の魔女も大勢いたが、教会による魔女狩り以降は、男の魔力持ちは教会の修道士や象牙の塔の魔術師になるのが普通となった。クピドは数十年ぶりの男の魔女となるかもしれない。


 人間恐怖症のケレスであったが、ぬいぐるみとしてアウロラ姫の部屋で世話になっているうちに、ある程度克服できるようになっていた。毎日のように姫に話しかけられ、抱きしめられ、最初はそのたびに気絶していたが、15年間もぬいぐるみをやっているうちに耐性が付いたそうだ。また、アウロラ姫と過ごすうちに彼女の善性に触れ、人間不信が緩和されたようだ。

 お気に入りの熊のぬいぐるみが魔女で自分の塔に帰ることになったことを知ったアウロラ姫は落ち込んだが、今は、ケレスが15年間世話になったお礼に贈った熊のぬいぐるみを大切にしている。


 ケレスは、フォルトゥナの魔法によって元の姿に戻ることができた。しかしストレスを感じると熊のぬいぐるみに戻ってしまい、なかなか生活が不便そうだ。そんな熊のぬいぐるみを、元公子のクピドが文句を言いながらも甲斐甲斐しく世話をしていた。苦労人の元公子は、オカン属性持ちであった。もしかすると、ケレスは世話係というか介護者が欲しくてクピドを引き取ったのではないかとフォルトゥナは疑っている。


 操られていたとはいえ、ケレスも全くのお咎めなしとはいかなかった。しかし、一番の被害者であるアウロラ姫が彼女の減刑を願い、かなり軽い罰となった。

 王国に対して数年間の無料奉仕を義務付けられ、塔の魔女たちにも謝罪と賠償を行い、いくつかの特権を数年間凍結され、そして彼女にとって一番つらいことに、数年間のパーティーなどの催し物への強制出席が命じられた。ルミナもケレスに試飲会の招待状を送る予定だと、良い笑顔で宣言した。


 第一王女アウロラは、立太子した。第二王女ディアナは、後宮に住まいを移し、妹として彼女を支えることになった。


*****


 9の塔の畑の傍に植わる大きなエルダーフラワーは、今年の初夏も満開の白い花を付けた。その木陰のガーデンテーブルにお茶の支度をしてから、黒猫のソルは、薬草畑で作業をする主人に呼びかけた。


「ルミナ様~そろそろ休憩しましょう」


 使い魔の呼びかけに、ルミナは土で汚れた手を洗い、ガーデンテーブルの椅子に座った。ソルは香草茶を淹れ、陶器の碗に注いだ。お茶を飲みながら、ルミナは自分の畑を見回した。整然と区画整備された美しい薬草畑。いつも通りの完璧な自分の領地。だが何かが欠けているような気がしてならない。


「静かですね」

 隣に座って浅皿から水を飲んでからソルがぽつりと呟いた。

「そうか?」

「静かですよ」

「良いことじゃないか。騒がしくなくて」


 そう言う主人に、ソルは「素直じゃない」と文句を言ったが、ルミナは聞こえないふりをした。


「ディアナ様、元気でやっていますかね」

 ソルの言葉に、ルミナは頷いた。

「元気でやっているんじゃないかな。便りがないのは良い報せって言うじゃないか」

「なに年寄臭いこと言っているんですか。こう静かで刺激がないと、老化が進むらしいですよ」

「お前……主人に向かって…」


 ソルは、びたんびたんと地面をシッポで叩き、不満を表明した。

「そんな辛気臭い顔で毎日過ごされると、見ているこっちの気持ちも落ち込むんです。心配なら、城に様子を見に行きましょうよ」

「……子供の頃城から出て魔女の世話になっていたと言うのは、王族としての瑕疵かしになるんだ。私は、あの子の周りにいない方が良い」

「ルミナ様……」


 この春、第一王女のアウロラは15歳の成人になり、王太子となった。これまでルミナの塔に住んで時折城に通っていた第二王女ディアナは、後宮に自分の宮を与えられ、そこに住み、使用人を差配して宮を運営することになった。


 同時に王女としての教育も本格的に始まり、父や姉の仕事の手伝い、王族としての行事参加、社交と忙しく過ごしているようだ。ルミナは紙飛行機の手紙を何通か出したが、返事は返ってこない。こうして次第に違う世界の人間となっていくのだろう。


 ルミナはお茶を飲み干し、立ち上がった。畑の作業を続けようとしたルミナは、遠くから人の声が聞こえて、空を見上げた。

 初夏の青空を背景に、大きな鳥がこちらに飛んでくるのが見えた。鳥ではない。自転車に乗った黒髪の少女が叫びながらこちらに向かっている。


「おーい、師匠!ソル!久しぶりー!手紙に返事しようと思ったけど、色々書きたいことがあり過ぎて、書ききれなくなったから来ちゃった!」


 少女の大声は、魔の森に響きわたった。森の小動物は茂みに隠れ、木の魔物は梢を震わせ、寝ていた梟は何事かと飛び起き、12の塔の魔女ヴェスタは、塔の最上階の窓から顔を出して「あらあら、もう里帰り?」と言った。


「ああ、本当に騒がしい」

 空を見上げてそう言って、ルミナが笑った。



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※お読みいただきありがとうございます。

※本編はこれで完了となりますが、おまけが1話あります

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