『婚約破棄?ごめん、あなたの愛が重すぎるので!』
みずとき かたくり子
第1話
侯爵令嬢ソフィア・ラティーナは、その日、静かに自室の窓辺に立っていた。外の景色はいつもと変わらず、花々が咲き乱れる庭園と、その先に広がる穏やかな青空。しかし、彼女の心はまるで嵐の前の海のように静かに波打っていた。
「ソフィア様」
控えめなノックと共に、侍女のルーシーが部屋へと入ってくる。その手には銀の盆に乗せられた、封蝋が施された一通の手紙――それは王宮からのものだ。ソフィアは目を伏せ、ゆっくりと息を吐くと、頷いて侍女に手紙を渡すよう促した。
「ついに、来たのね……」
王宮からの命令、それはソフィアと公爵家の若き当主、レオン・グランヴィルとの政略結婚の正式な通達だった。彼女の家柄は侯爵家であり、王国でも屈指の名門。だが、それゆえに彼女の未来は常に政治の道具として扱われてきた。
「侯爵家の令嬢である以上、家の繁栄のために生きるべきだ」
そう教えられ続けた少女時代。しかし、彼女には幼い頃から違和感があった。生まれた家が貴族であろうと平民であろうと、人間には自由があるべきだ――そんな理想を抱いていたが、現実は甘くない。彼女はただ、静かに受け入れるしかなかった。
「ソフィア様……その、お気を確かに」
「大丈夫よ、ルーシー」
ソフィアは侍女の不安を払うように微笑んだ。表面上は凛とした貴婦人の姿を保ちつつ、心の中ではやりきれない感情を必死に抑え込む。
手紙を広げると、そこには公爵家との縁談の詳細が記されていた。王国の第二王子であるエリオット殿下が直接取りまとめたこの縁談は、王国にとっての政治的安定を図るものだ。
「……エリオット殿下」
その名を口にすると、胸の中に小さな苛立ちが湧いてくる。かつて彼はソフィアの婚約者であったが、一方的に婚約破棄を突きつけてきた過去がある。理由は「ソフィアのような冷たい女はふさわしくない」というもので、今でも王国の社交界では彼の言葉がささやかれていた。
だが今回、彼が仲介したのは公爵家の当主、レオン・グランヴィル。王国最強の家柄であり、若き公爵として並外れた政治手腕と戦術力を誇る彼だが、その噂は決して良いものではない。
冷徹な公爵
人を道具のように扱う男
「この結婚、果たしてどうなることかしらね……」
ソフィアは皮肉めいた笑みを浮かべた。そんな彼女の様子を見て、侍女のルーシーが意を決したように口を開く。
「ソフィア様、まだ……お考えを改めることも……」
「いいえ、ルーシー。もう決まったことよ」
政略結婚は侯爵家の名誉、そして家族の繁栄に繋がる――その理屈を頭では理解している。しかし、心がそれに追いつかない。ソフィアは手紙を静かに折り畳み、再び窓の外を見つめた。
自由な空
その青空の向こうに、自分の自由が広がっているとしたら――そんな夢物語を思い描くほど、彼女は幼くも愚かでもなかった。
その日の午後、侯爵家の応接室では正式な結婚の取り決めが行われることとなっていた。重厚な扉の向こうで、父である侯爵が王宮の使者と会談を始める。ソフィアは母に連れられ、ひとまずその場に姿を見せることになる。
---
応接室に入った瞬間、ソフィアの目はある一点で止まった。
レオン・グランヴィル――彼がそこにいた。
「……!」
想像とは違う――それが彼を初めて見たソフィアの率直な感想だった。冷徹で恐ろしい男を想像していたが、そこに座っていたのは端正な顔立ちの青年だった。
漆黒の髪に金色の瞳、貴族らしい気品に満ちた佇まい。何より、その目に一切の感情が宿っていないように見えるのが、彼の「冷徹」という噂を裏付けているようでもあった。
「初めまして、ソフィア・ラティーナ嬢」
レオンが低く抑えた声で挨拶をする。淡々とした口調に、ソフィアは少しだけ眉をひそめた。
「初めまして、公爵様。お目にかかれて光栄ですわ」
ソフィアは笑顔を浮かべながらも、その瞳には一瞬の警戒心が宿る。
レオンはじっと彼女を見つめた後、薄く笑った。
「……聡明そうな目だ。面白い」
「え?」
「いや、なんでもない」
レオンはそう言い捨てると、侯爵との話に戻ってしまう。その後、彼は必要最低限の言葉しか発さなかったが、ソフィアには感じ取れた。彼の中には単なる政略結婚を超えた、何か別の考えがある――それが何なのかはまだ分からないが。
---
夕方、ソフィアは再び自室の窓辺に立っていた。
「ソフィア様、大丈夫ですか?」
ルーシーが心配そうに声をかけるが、ソフィアは静かに微笑んだ。
「大丈夫よ。ただ――」
――冷徹な公爵が何を考えているのか、少しだけ気になるの。
彼女の心に芽生えた小さな違和感が、やがて大きな愛へと変わるとは、この時のソフィアにはまだ知る由もなかった。
ソフィア・ラティーナが侯爵家の応接室でレオン・グランヴィルと対面した翌日、彼女は正式に王宮へ招かれた。政略結婚に伴う両家の面通しが目的だと告げられたが、実際のところ、彼女にとってはただの形式的な儀礼に過ぎなかった。
「これが未来の夫――なんてね」
ソフィアは淡々とした表情のまま、馬車の窓から流れる街の風景を眺める。侯爵家の紋章が刻まれた重厚な馬車に揺られながら、彼女は内心で何度もため息をついた。
レオン・グランヴィル。王国最強の公爵家を束ねる当主であり、その冷徹さと合理的な判断力で知られている。彼に嫁ぐことで侯爵家が盤石な地位を手にするのは明白だが、ソフィアにはどうしても納得がいかなかった。
――自由なんて、私には許されないのね。
「お嬢様、少し疲れたご様子ですね」
侍女のルーシーが心配そうに尋ねる。ソフィアはすぐに笑みを浮かべ、何事もないふうに首を横に振った。
「大丈夫よ、ルーシー。ただ……少し気が重いだけ」
「お嬢様なら大丈夫です。公爵様もきっと素晴らしいお方ですよ」
ルーシーは励ますように言うが、ソフィアは曖昧に微笑むだけだった。
---
王宮の大広間に着いた時、ソフィアは深呼吸をして背筋を伸ばした。目の前には豪奢なシャンデリアと広大な空間が広がり、そして中央には既にレオン・グランヴィルが待っていた。
「ようこそ、ソフィア・ラティーナ嬢」
レオンが淡々とした口調で迎え入れる。その金色の瞳は冷たくもあり、どこか探るような光を宿していた。
ソフィアは礼儀正しく一礼し、微笑みを浮かべた。
「本日はお招きいただき光栄です、公爵様」
「無駄な形式は苦手だ。立ち話はやめよう」
レオンの手が自然にソフィアへと差し出される。彼女は一瞬の躊躇いを見せながらも、その手を取った。指先に伝わる彼の温度は意外にも温かく、それが逆に彼の「冷徹」という噂を思い起こさせた。
「参りましょう」
ソフィアは内心で小さく息を吐き、レオンの隣を歩き始める。広間を進む二人を見つめる周囲の視線は、どこか興味津々で、そして少しだけ冷ややかだった。
――侯爵家の令嬢が、公爵家の冷徹な当主に嫁ぐ。皆、その未来をどう思っているのかしら?
「何を考えている?」
「え?」
突然、レオンが声をかけてきたことで、ソフィアはわずかに驚く。彼は正面を見据えたまま、まるで独り言のように続けた。
「お前は妙に落ち着いているな。普通なら震えるか、泣き叫ぶだろう」
「泣き叫ぶ? それは少し失礼ではなくて?」
ソフィアは冷静に言い返し、その瞳で彼を見つめる。レオンは目を細め、何かを見極めるような表情を浮かべた。
「……面白い」
「何がおかしいのですか?」
「いや、ただ少し期待以上だったというだけだ」
レオンの口元がわずかに笑みを形作った。それは皮肉めいた笑みでも、嘲るものでもない。彼が見せたそのわずかな表情に、ソフィアは戸惑いを覚える。
――この人、何を考えているのかしら。
---
その後、レオンの私室に招かれたソフィアは、一対一で話をすることとなった。部屋には無駄な装飾は一切なく、重厚な机と書類の山が彼の仕事ぶりを物語っている。
「この結婚、どう思う?」
レオンが突然核心に触れるような質問を投げかける。ソフィアは少し目を見開いたが、すぐに平静を装った。
「どう、とは?」
「お前にとって、この結婚は不本意なものだろう?」
彼の鋭い金色の瞳が、まっすぐに彼女を射抜いている。ソフィアは嘘をつくべきか悩んだが、彼に対して取り繕う必要はないと判断した。
「……正直、不本意ですわ」
「そうだろうな」
レオンは特に怒るでもなく、淡々と受け入れた。その反応が予想外で、ソフィアは少し拍子抜けする。
「では、あなたはどうなのです? この結婚をどうお考えで?」
レオンはふっと息を吐き、ソフィアを見つめた。
「お前に興味はない。ただの政略結婚だ」
「――そうですか」
ソフィアは心の中で小さな棘が刺さったような感覚を覚えた。わかっていたはずだ。彼が自分を愛するはずがないと。それでも、少しだけ期待していた自分が悔しかった。
「だが、面白いものだな」
「何が、ですか?」
レオンは目を細め、微笑んだ。
「お前の目だ。強い目をしている」
その言葉に、ソフィアの心が小さく揺れる。彼の言葉はまるで彼女を見透かしているかのようだった。
「この結婚で何を得るかは、お前次第だ。少なくとも俺は――」
レオンは言葉を濁し、ソフィアから目を逸らした。その先に何があるのか、彼女にはまだわからなかったが、彼の中に何か秘められた意図があるのだと直感した。
---
部屋を出た後、ソフィアは深いため息をついた。
「冷徹な公爵、ね……本当に冷たいだけの人ではなさそう」
レオン・グランヴィルという男は確かに謎めいている。しかし、彼の言葉や行動に、どこか人間らしさを感じてしまう自分がいることに、ソフィアは気づいていた。
「私の未来、一体どうなってしまうのかしら……」
政略結婚。それは単なる政治の道具としての役割だと思っていた。しかし、この先に待っているものが、想像を超えたものであることをソフィアはまだ知らない――。
「お嬢様、今日は公爵邸での滞在初日でございます。しっかりと振る舞ってくださいね」
侍女のルーシーが鏡越しに声をかけながら、ソフィアの髪をまとめる。窓から差し込む朝の光は眩しく、彼女の金髪に艶やかな輝きを与えていた。
「分かっているわ。でも、どうしようかしらね……」
ソフィアは意味ありげに微笑み、優雅に立ち上がる。今日は政略結婚の準備として、ソフィアが公爵邸を見学し、夫となるレオン・グランヴィル公爵と共に過ごす時間が設けられている。しかし――。
「嫌われ妻作戦を決行しなくては」
ソフィアは静かに呟いた。
――この結婚が政略だということは分かっている。けれど、私には自由が欲しい。
そのためには彼に**「こんな妻はいらない」**と思わせるのが一番手っ取り早い方法だ。レオンは冷徹で有名なのだ。それならば、彼を呆れさせるくらい容易いはず――そう、彼女は考えていた。
---
「おはようございます、公爵様!」
ソフィアは朝から思い切り明るい声を出し、公爵邸の庭で待つレオンに手を振った。彼女の声に、庭の使用人たちが驚いて振り向く。
レオン・グランヴィルはソフィアの突飛な行動に、一瞬だけ眉をひそめた。彼はいつもの冷徹な表情のまま、ソフィアに視線を向ける。
「……お前、何をしている?」
「ご挨拶ですわ、公爵様!」
ソフィアはにっこりと笑いながら、慣れない手つきで大きな花束を差し出す。もちろん、これも彼を呆れさせるための一芝居だ。だが、彼女の演技には少々力が入りすぎていた。
「今朝摘んだばかりの庭のお花ですわ! 私、こういうの得意なの!」
周囲の使用人たちは一瞬ぽかんとした後、くすくすと笑いを漏らし始めた。侯爵令嬢が自ら花を摘むなど前代未聞だし、その花束はどこか不格好で泥までついている。
「……どうして花に泥がついている」
「ええ、少し失敗しちゃいました!でも、気にしないで!」
ソフィアは堂々と笑うが、レオンの表情はまるで氷のように冷え切っていた。彼の金色の瞳がじっとソフィアを見つめる。
「くだらんことを……」
レオンは呆れたようにそう呟き、花束を一瞥して背を向けた。しかし、すぐには立ち去らない。彼の瞳には一瞬、どこか興味深げな光が宿っていた。
――あれ?思ったより呆れていない?
ソフィアは少し焦ったが、気を取り直して次の「嫌われ作戦」を考えた。彼女は邸内を案内される最中、わざと物を落としたり、ドジな素振りを見せたりと、あらゆる手を尽くした。
---
昼食の時間、レオンの向かいに座ったソフィアは再び挑戦することにした。
食事マナーが完璧でなければ、きっと公爵は呆れ、彼女を拒絶するだろう――そう思ったのだ。
「さあ、いただきます!」
ソフィアはわざとフォークを落とし、パンを手でちぎって食べようとした。周囲の侍女や執事たちは絶句し、視線が一斉にソフィアに向かう。
「お嬢様、それは――」
「まぁ、こういう方が楽しいですもの!」
しかし、その時だ。
「待て」
レオンが鋭く声を上げる。彼の視線がソフィアに突き刺さり、一瞬で空気が凍りついた。
――ああ、これは叱られるかしら。
ソフィアは内心冷や汗をかきながらも、冷静な表情を保った。だが、次の瞬間、レオンはソフィアの手からパンを取り上げ、ため息をついた。
「侯爵令嬢ともあろう者が、食事の作法も忘れたのか?」
「……だって、フォークが重すぎて!」
ソフィアは拗ねたように言い訳をするが、レオンはただ冷たく見つめるだけだった。彼は侍女に新しいフォークを持って来させ、静かに言った。
「いいか、作法は基本だ。お前の振る舞いは侯爵家の品位を傷つける。明日から徹底的に覚え直せ」
「……え?」
ソフィアは驚いた。普通なら彼は呆れて放り出すはずだ。しかし、レオンはまるで教師のように彼女に注意し、躾けようとしている。
「お前のような聡明な人間が、どうしてこんな振る舞いをするのか……理解に苦しむ」
レオンの言葉にはどこか皮肉が含まれているようで、しかし本気で彼女を見ているようにも感じられた。ソフィアは思わず目を逸らす。
――冷徹な公爵だと思っていたのに、なんなの、この人……。
彼女の作戦はことごとく失敗に終わった。レオンは呆れるどころか、むしろソフィアの行動に「どうしてそんなことをするのか」という興味を抱いているようだった。
---
夕方、ソフィアは自室に戻ると、力なくベッドに倒れ込んだ。
「どうしてこうなるの……」
作戦は失敗、むしろレオンの冷徹な仮面の裏に見え隠れする彼の別の一面に、彼女は翻弄されつつあった。
「お嬢様、どうなさいました?」
ルーシーが心配そうに尋ねる。ソフィアはため息をつきながら、ぽつりと言った。
「……彼、意外と冷たくないかもしれないわ」
「え?」
「なんでもない。ただの独り言よ」
ソフィアは口元に小さな笑みを浮かべる。それは敗北感と、どこか新しい興味が入り混じったものだった。
――この冷徹な公爵、案外手強いかもしれない。
しかし、ここで諦めるつもりはない。自由を手に入れるための戦いは、まだ始まったばかりなのだから。
「お嬢様、今日は公爵邸での滞在初日でございます。しっかりと振る舞ってくださいね」
侍女のルーシーが鏡越しに声をかけながら、ソフィアの髪をまとめる。窓から差し込む朝の光は眩しく、彼女の金髪に艶やかな輝きを与えていた。
「分かっているわ。でも、どうしようかしらね……」
ソフィアは意味ありげに微笑み、優雅に立ち上がる。今日は政略結婚の準備として、ソフィアが公爵邸を見学し、夫となるレオン・グランヴィル公爵と共に過ごす時間が設けられている。しかし――。
「嫌われ妻作戦を決行しなくては」
ソフィアは静かに呟いた。
――この結婚が政略だということは分かっている。けれど、私には自由が欲しい。
そのためには彼に**「こんな妻はいらない」**と思わせるのが一番手っ取り早い方法だ。レオンは冷徹で有名なのだ。それならば、彼を呆れさせるくらい容易いはず――そう、彼女は考えていた。
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「おはようございます、公爵様!」
ソフィアは朝から思い切り明るい声を出し、公爵邸の庭で待つレオンに手を振った。彼女の声に、庭の使用人たちが驚いて振り向く。
レオン・グランヴィルはソフィアの突飛な行動に、一瞬だけ眉をひそめた。彼はいつもの冷徹な表情のまま、ソフィアに視線を向ける。
「……お前、何をしている?」
「ご挨拶ですわ、公爵様!」
ソフィアはにっこりと笑いながら、慣れない手つきで大きな花束を差し出す。もちろん、これも彼を呆れさせるための一芝居だ。だが、彼女の演技には少々力が入りすぎていた。
「今朝摘んだばかりの庭のお花ですわ! 私、こういうの得意なの!」
周囲の使用人たちは一瞬ぽかんとした後、くすくすと笑いを漏らし始めた。侯爵令嬢が自ら花を摘むなど前代未聞だし、その花束はどこか不格好で泥までついている。
「……どうして花に泥がついている」
「ええ、少し失敗しちゃいました!でも、気にしないで!」
ソフィアは堂々と笑うが、レオンの表情はまるで氷のように冷え切っていた。彼の金色の瞳がじっとソフィアを見つめる。
「くだらんことを……」
レオンは呆れたようにそう呟き、花束を一瞥して背を向けた。しかし、すぐには立ち去らない。彼の瞳には一瞬、どこか興味深げな光が宿っていた。
――あれ?思ったより呆れていない?
ソフィアは少し焦ったが、気を取り直して次の「嫌われ作戦」を考えた。彼女は邸内を案内される最中、わざと物を落としたり、ドジな素振りを見せたりと、あらゆる手を尽くした。
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昼食の時間、レオンの向かいに座ったソフィアは再び挑戦することにした。
食事マナーが完璧でなければ、きっと公爵は呆れ、彼女を拒絶するだろう――そう思ったのだ。
「さあ、いただきます!」
ソフィアはわざとフォークを落とし、パンを手でちぎって食べようとした。周囲の侍女や執事たちは絶句し、視線が一斉にソフィアに向かう。
「お嬢様、それは――」
「まぁ、こういう方が楽しいですもの!」
しかし、その時だ。
「待て」
レオンが鋭く声を上げる。彼の視線がソフィアに突き刺さり、一瞬で空気が凍りついた。
――ああ、これは叱られるかしら。
ソフィアは内心冷や汗をかきながらも、冷静な表情を保った。だが、次の瞬間、レオンはソフィアの手からパンを取り上げ、ため息をついた。
「侯爵令嬢ともあろう者が、食事の作法も忘れたのか?」
「……だって、フォークが重すぎて!」
ソフィアは拗ねたように言い訳をするが、レオンはただ冷たく見つめるだけだった。彼は侍女に新しいフォークを持って来させ、静かに言った。
「いいか、作法は基本だ。お前の振る舞いは侯爵家の品位を傷つける。明日から徹底的に覚え直せ」
「……え?」
ソフィアは驚いた。普通なら彼は呆れて放り出すはずだ。しかし、レオンはまるで教師のように彼女に注意し、躾けようとしている。
「お前のような聡明な人間が、どうしてこんな振る舞いをするのか……理解に苦しむ」
レオンの言葉にはどこか皮肉が含まれているようで、しかし本気で彼女を見ているようにも感じられた。ソフィアは思わず目を逸らす。
――冷徹な公爵だと思っていたのに、なんなの、この人……。
彼女の作戦はことごとく失敗に終わった。レオンは呆れるどころか、むしろソフィアの行動に「どうしてそんなことをするのか」という興味を抱いているようだった。
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夕方、ソフィアは自室に戻ると、力なくベッドに倒れ込んだ。
「どうしてこうなるの……」
作戦は失敗、むしろレオンの冷徹な仮面の裏に見え隠れする彼の別の一面に、彼女は翻弄されつつあった。
「お嬢様、どうなさいました?」
ルーシーが心配そうに尋ねる。ソフィアはため息をつきながら、ぽつりと言った。
「……彼、意外と冷たくないかもしれないわ」
「え?」
「なんでもない。ただの独り言よ」
ソフィアは口元に小さな笑みを浮かべる。それは敗北感と、どこか新しい興味が入り混じったものだった。
――この冷徹な公爵、案外手強いかもしれない。
しかし、ここで諦めるつもりはない。自由を手に入れるための戦いは、まだ始まったばかりなのだから。
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