第2話 デルタ
カレンとアランの出会いを聞いたことがある。
言われてみればアランはよく「俺の名前をフランス読みするな」とカレンに言っている。
そうするとカレンは必ず「哲学者みたいでいいじゃない」と返す。
それが二人の最初の会話だったらしい。
アランはアメリカ人だったらしい。カレンは…。
北海、地中海、大西洋、六角形レグザゴーヌ
西欧フランス
北部に位置する世界都市パリ市特別区第十八区
モンマルトルの丘
春先の日差しがその頂上に建つサクレクール寺院を照らし、人知れず観光客たちの背を後押している。
「警察、憲兵隊。これらはどちらも相変わらずで仲が良くない。」
「フランス国家警察とフランス国家憲兵隊。どちらも国家への忠誠の元に集った者たち。というのは建前で本音ではどちらも社会的地位が懸かっている。」
「ああ。生活のために糧を得るのが父親の仕事だ。」
パリ市内メトロ「アンヴェール駅」下車。
観光客の群れで埋め尽くされた坂道、両側には土産物屋。
パリ市内で一番標高の高い場所。
メリーゴーランド、頂上にそびえ建つ白亜(はくあ)サクレクール寺院、緑色の芝。
はしゃぐ子供たち、それを見守る父親。
大きな体の大きな背中を芝に預ける男。
二人は目を合わさない。
「生活? 超格差社会のこの国の国家公務員が生活にどう困っているのか。」
「この国では生まれた時、その瞬間に立場が決まっている。万が一にも立場を失わないためには金が掛かるんだ。」
「仲違い(なかたがい)をすれば金が動く。人間が戦争をやめられない理由だ。」
「ああそうだ。国民のために命を懸けると言えば、国民から金を巻き上げられる。」
「実務は外国人傭兵部隊かい? 国民の不満は常に溢れ、暴動や放火は定期的に起きている。」
「暴力に馴れた国民でも、テロには大きく動揺するんだ。」
「マスメディア。どの国でもこれは大衆を煽るだけで責任は取らない。暴力を煽り金を得る。戦争もどれもやり方は同じだ。」
「サラエボで大公(たいこう)とその妻が殺されてから百年、何も変わらない。退屈な世界だよ。」
舞い上がる蝶 喧騒
眼下に広がるパリ市内の風景 青い空と白い雲
子供たちが父親にじゃれ付き、二人の会話が止まる
遠く景色を眺める老人、愛を語る若い男女、子供たちと父親、男。
「腹に巻いた爆弾。教会で二百人以上を巻き込み、爆死だって? 入国記録からその連れである二人を逮捕。原理主義というものは若者をそそのかして自殺させることを教義としてるのだろうな。」
「原理主義も同じ。大衆を煽れば権力も金もその手に乗るんだ。」
「二日後の昼だよ。パリ警察長官府に私の名前で迎えに行くといい。」
パリ四区、セーヌ川の中州。
ノートルダム大聖堂、その向かいにパリ警視庁は建つ。
「二日…ねえ。」
「最近じゃうるさいのはアメリカだけじゃないんだ。SVRからもつつかれている。時間が掛かるんだよ。」
「SVR。元はソ連時代のKGB内、対外諜報機関PGU。そうか…CIAとSVR、冷戦が終わった世界の次の火種はここフランスかい?」
「わからんよ。ただ次の戦争にこの国は無関心だ。フランスはヨーロッパの中心ではなくなった。」
「愛を語り血を流す時代は終わったということだな。」
「いや、愛は語るよ。
そう言うと父親は子供たちに歩み寄り、それぞれ手を繋ぐと階段をゆっくりと降りていく。
変わらない空。
芝の上、横たわる男を華奢な人影が覆った。
「アラン・ベイカー。」
「俺の名前をフランス読みするな。勧誘はお断りだ」
「哲学者みたいでいいじゃない、アラン・ベイカー少佐。」
女は構わず言葉を繋げる。
「第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊(ぶんけんたい)、通称デルタフォース。アメリカ陸軍所属、対テロ作戦のスペシャリスト。」
黒く長い髪は揺れることなく女の輪郭を縁取る。
「イラクで殉職した貴様が、今はテロリストとしてフランスに来ている。」
ゆっくりと立ち上がる男。
女は顔ひとつ分以上も大きいその男を見上げて続けた。
「テロリズムは貴様の正義をどう正した。」
「正義? そう言う君は正義のヒーローかい? きっと脱いだらマッチョマンなんだろうねえ。」
「安い挑発だな。私は女だ。そしてテロリストを蔑む(さげすむ)。」
「つまり今から君に殺されるということかい?」
「父親はUDTからネイビーシールズ、ウイリアム・ベイカー少佐。第五次中東戦争レバノン内戦、テロリストの自爆、それにより殉職。父親をテロリストに殺された貴様がなぜテロリストとしてここフランスにいるのか。」
女がさらに一歩を踏み出すと、芝が鳴り、風が吹く。
蝶が舞った。
「アメリカ中央軍から第一特殊部隊に志願。デルタフォースとしてアフガニスタン、二年後にはイラク戦争。殉職し少佐に昇進、八年八カ月の戦争が終わる。その後、貴様の遺体は本国に帰ることはなかった。」
「大量破壊兵器は見つからないが、今ではそんな大義は忘れ去られたよ。」
「生粋の愛国者、国粋(こくすい)主義者であった貴様が、今は祖国アメリカを脅かす原理主義のテロリスト。元来真面目な性格である貴様には原理主義は受け入れやすいものであった。」
長い髪がふわりと舞い上がると、線の細い輪郭を先ほどの蝶が掠め(かすめ)た。
「1911(ナインティーンイレブン)、四十五口径コルト・ガバメントからトカレフのコピーに持ち替え、世界最強戦闘機ラプターから今ではドイツ車。そしてその車で若者を自爆させる。それが貴様の正義へと変容した理由は何だ。」
「アメリカに裏切られたわけじゃないさ。ただ、何かあれば国のためだとか、子供たちのためだとか、そうやって殺し合うことに飽きたんだ。」
「軍を辞した貴様の元に現れたのは、イラクで知り合ったトルコ人エージェント。その仲介でテロリストとしてフランスへ来た。」
「若者たちの送り迎えをしているだけだよ。」
「デルタとして世界の戦場を渡り歩いた経験を活かしてテロリストの手助け。それはイラクで殺した者たちへの懺悔のつもりか?」
「言うね姉ちゃん。戦争に正義はない。奪うことが目的だ。そうだ、どちらかといえば悪だよなぁ戦争は。」
「祖国に疑問を抱いた貴様は軍にいられなくなった。そして贖罪(しょくざい)としてテロリストの手伝いを始めた。しかしそこにも貴様の求める正義はなかったのだろう?」
「みんなが正義だよテロリストは。」
「そしてテロリストにも飽きた貴様は組織から離れる。おまえはまた逃げ出すんだ。貴様は二日後のテロリスト引き渡しには行かない。」
「前途ある若者が死にゆく姿を見るのはつらいんだよ。歳かねえ。」
「アムステルダム経由。夕方の便でパナマへ向かうおまえの搭乗券は紙くずになる。」
「おたくCIAか何かかい?」
二人の間を春風が吹き抜け、女の長い髪が蠢く(うごめく)。
陽に照らされた白亜の寺院。
「カレンだ。アラン、私と来い。正義はそこにある。」
アランこの日から、掛け替えのないカレンの仲間になった。
カレンは世界中を回る。
私はカレンと共に、人間と世界を知る。
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