閑話1「観測者たちの始まり」

(エレインの視点)


最初に感じたのは、光だった。

死んだはずだった。怪物の爪が、わたしの胸を確かに引き裂いたはずだった。


「……なのに、生きてる?」

ゆっくりと瞼を開くと、そこは、見慣れた村の広場ではなかった。

どこまでも続く、温かい光だけの空間。

隣を見ると、同じように呆然とした顔のケイが、座り込んでいた。


「ケイ…? ここは…?」

「分からない。だが、傷が…エレイン、君もだ。傷が、完全に…」


その時だった。 目の前の光が、より一層強く輝き、一つの人影を形作った。

星空をそのまま閉じ込めたような、きらめく光の人影。 その存在から、感情というものが一切感じられなかった。


《イレギュラーな存在よ》

声は、直接、頭の中に響いてきた。

《お前たちは、死の運命を捻じ曲げ、ここに在る》

《それは、一人の少年が、自らの『全記憶』と『全縁』を対価に願った、奇跡の結果だ》

「アーサーが…対価に…?」 ケイが、呻くように言った。


《世界の理は、綻びを修正する。失われた縁が、不自然に繋がることは許されない》

光の人影は、ただ淡々と、世界のルールを告げる。


《もし、お前たちが、彼の名や、彼との過去を、彼自身や彼を忘れた者たちに告げたなら――その瞬間、奇跡は取り消される》 《蘇った命は再び失われ、この村は滅びるだろう》


《――お前たち自身も、例外ではない》


その最後の言葉を合図にしたかのように、光の人影の輪郭が、ぼやけ始めた。

世界から、色が、音が、そして温もりすらもが、急速に失われていく。

抗いがたい眠気に襲われるような、不思議な感覚。 まるで、長い夢から、無理やり覚まさせられる寸前のように。


次に目を開けた時、わたしは、見慣れた故郷の村の広場に倒れていた。

空は、悪夢が嘘だったかのように、美しい夕焼けに染まっている。

隣では、ケイが、わたしと同じように、呆然と空を見上げていた。


先ほどの出来事は、夢ではない。

わたしとケイは、アーサーの犠牲によって生き返り、そして、彼の存在を世界から隠し通すための「観測者」という、呪いをかけられたのだ。


その時、周囲から「おおお!」という歓声が上がった。

見れば、広場に倒れていた村人たちが、次々と立ち上がっていた。

奇跡だ、と誰もが叫んだ。


「英雄だ!」「我らの英雄だ!」

村人たちが、駆け寄ってくる。


わたしと、ケイと、そして少し離れた場所で目を覚ました、モードレッドに。

わたしたちは、村人たちに担ぎ上げられ、歓喜の輪の中心にいた。



モードレッドは、まだ状況が飲み込めていないようだったが、やがて、自分が村を救ったのだと理解し、誇らしげな笑みを浮かべた。

だが、すぐに彼は、その違和感に気づいた。


「……アーサーはどこだ?」

その名を聞いた瞬間、わたしとケイの心臓が、鷲掴みにされたように痛んだ。

わたしたちが、世界でたった二人、答えを知っている、その問い。 そして、決して答えてはならない、その問い。


村人たちは、きょとんとした顔で「誰のことだ?」と首を傾げる。 モードレッドが、怪訝な顔で、わたしとケイに視線を向けた。


わたしたちは、何も答えられなかった。 ただ、課せられた呪いの重さに、痛みをこらえるように、俯くことしかできなかった。


アーサーが消えた。

その事実に気づいたのは、わたしと、ケイと、そしてモードレッドだけだった。

村人たちは、英雄として残ったモードレッドを称賛し、祭りを開いた。

その熱狂の中で、わたしとケイは、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


その夜。 わたしは、ケイの部屋を訪ねた。

「……これから、どうするの」

わたしの問いに、ケイは答えなかった。

ただ、窓の外、狂ったように続く宴の灯りを、憎々しげに見つめている。

彼が、アーサーの次に信頼していたモードレッドは、村人たちの賞賛を一身に浴び、少しずつ、その瞳から光を失っていくように見えた。


「アーサーを、探さなきゃ」

「……どうやって」

ケイが、低い声で言った。

「世界から、存在そのものが消されたんだ。どこを探せばいい。それに、もし見つけたとして、私たちは、あいつに何も告げられないんだぞ」

呪いだ、と彼は言った。

その通りだった。

真実を告げれば、全てが滅ぶ。 アーサーが全てを犠牲にして守った、この日常が。


「それでも!」 わたしは、叫んでいた。

「今、この瞬間も、アーサーはどこかで一人でいるのよ! 自分が誰かも分からずに、きっと、苦しんでいるわ… わたしは…わたしは、ただ彼のそばにいて、彼を助けたいの!」


涙が、止まらなかった。

ケイは、何も言わずに、ただ、わたしの隣に立っていてくれた。


数日後。

村人たちの、モードレッドへの態度が変わり始めた。

賞賛は、恐怖へ。

感謝は、畏怖へ。

そして、それはやがて、あからさまな迫害へと変わっていった。


わたしとケイは、それを止めることができなかった。

モードレッドを守ろうとすれば、必ず「7年前の真実」に触れなければならなくなるからだ。 わたしたちは、ただ無力だった。


そして、あの日。 モードレッドの妹、リリアが殺された日。

全てに絶望し、村を捨てていくモードレッドの背中を、わたしたちは、ただ見送ることしかできなかった。


「……行こう、エレイン」

全てが終わった後、ケイが言った。


「ここにいても、何も変わらない。私たちは、アーサーを探しに行こう。あいつがどこかで生きていると、信じて」

「…でも、見つけても、わたしたちは…」

「それでもだ」

ケイの瞳には、強い決意の光が宿っていた。

それは、贖罪の旅だったのかもしれない。 何もできなかった、無力な自分たちへの。


「あいつが全てを忘れて、幸せに暮らしているなら、それでいい。ただ、その笑顔を、遠くから見守るだけでいい。それが、私たちにできる、唯一の償いだ」


こうして、わたしたちは村を捨てた。 真実を隠し、ただ一人の少年を探すためだけの、果てしない旅が、始まった。


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