6.女の子との出会い

 木々を飛び越え、レイが風のように駆け抜けていく。


「わぁ……速い!」

「森の主だからな。これくらい、朝の散歩みたいなものだ」

「すごいね! これなら、すぐに森を抜けられそう」

「目的地は町だったな? このまま一直線に行くぞ」


 レイの背に身を預けながら、私は頬に当たる風の冷たさと、目の前の景色が流れていく速さに胸を弾ませていた。


 まさか、こんなに楽して、こんなに速く移動できるなんて。まるで飛んでいるみたい。


「……む?」

「どうしたの?」

「今、悲鳴が聞こえた気がした」

「悲鳴?」

「幼い子の……助けを呼ぶ声だ」

「それは大変! 助けに行こう!」

「承知した」


 小さな子の助けを求める声を、見過ごすなんてできない。レイは方向を変え、森の中へと飛び込んだ。


 木々の間をすり抜けた先に、悲鳴の主が見えた。小さな女の子が必死に走っていて、その後ろからゴブリンが追いかけている。


「レイ、あの子を助けて!」

「了解!」


 次の瞬間、姿をかき消すほどの速度でゴブリンの前に閃光のように現れた。鋭い爪が一閃し、ゴブリンは呻き声を上げる間もなく地面に崩れ落ちる。


「……っ、やった!」


 私はすぐにレイの背から飛び降り、女の子に駆け寄った。彼女は私より少し年上くらいで、肩までの栗色の髪が乱れている。目を丸くして私たちを見つめていた。


「ねぇ、大丈夫!?」

「う、うん……。あなたたちが助けてくれたの?」

「そうだよ。悲鳴が聞こえたから、すぐ来たの」

「そっか……助かった……」


 女の子はその場にへたりこみ、涙が目に浮かぶ。怖かったのだろう。安心して、気が抜けたのだ。


「助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして。でも、こんな森の中に一人で来たら危ないよ。どうしたの?」

「……薬草を探してたの」

「薬草?」

「お母さんの具合が悪くて……。元気になる薬を作ろうと思って」


 しょんぼりと肩を落とす彼女の姿に、胸が締めつけられる。なんとか力になれないだろうか、と思っていたそのとき――。


「……そうだ! 助けてくれたお礼に、ごはんをご馳走するよ!」

「え? そんな、いいよ。たまたま通りかかっただけだから」

「ううん! いいことをされたら、いいことで返すって教わったの。だから、遠慮しないで!」


 涙が浮かんだ顔に、今度は笑顔が浮かぶ。その笑顔が、夕日のように優しくて、私はもう断る気になれなかった。


「……分かった。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「うんっ! こっちだよ!」


 女の子はぱっと立ち上がり、私の手を掴んで森の奥へと駆け出した。


 ◇


 森の中を進んでいくと、やがて木々の切れ間から光が差し込み、開けた場所へと出た。そこには、いくつもの小さな家屋が並ぶ、静かな村があった。


「私の家はこっちだよ!」


 女の子は振り返って笑いながら、私を手招きする。私は小さくなったレイを両腕に抱え、彼女の後をついていった。


 ほどなくして、少し古びたけれど温かみのある家の前にたどり着く。


「ただいまー!」


 女の子が扉を開けて中に入るが、家の中から返事はなかった。


「ごめんね。お母さんは寝込んでるし、お父さんはお仕事に行ってるの」

「ううん、大丈夫だよ。でも……お邪魔しちゃって、悪いかな?」

「そんなことないよ! ほら、こっちこっち!」


 元気よく笑う女の子に手を引かれて、私は家の中へと入った。案内されたダイニングはこぢんまりしていて、どこか落ち着く匂いがする。


「さぁ、座って! 今、ごはんを準備するから!」

「えっ、ごはん? そんな、気を遣わなくていいよ!」


 そう言った途端――ぐぅぅぅ。お腹が盛大に鳴った。


「……」

「ふふっ、お腹減ってるんだね。大丈夫、温めるだけでできる簡単なご馳走だから!」


 女の子はクスッと笑って、台所に向かう。慣れた手つきで竈に火を灯すと、鍋を温めはじめた。すぐに、香ばしくて優しい匂いが部屋いっぱいに広がっていく。


「くんくん……いい匂いだな。私も気になるぞ」

「ふふっ、狼さんも食べたい? じゃあ、ちゃんと分けてあげるね!」


 女の子はにこにこしながら、器を並べていく。そして、湯気を立てるスープとパン、色鮮やかな果実をテーブルに置いた。


「はいっ、お待たせ! これが我が家のご馳走だよ!」


 漂う香りに思わず喉が鳴る。見た目は素朴なのに、どこか家庭の温もりを感じさせる食卓だった。


「「いただきます!」」


 スプーンを手に取り、一口。ふわっと、優しい味が広がった。


「んっ……美味しい!」

「これは……見事だな!」

「でしょ? お父さんもお母さんも料理が上手なの。いっぱい食べてね!」


 塩気と旨みのバランスが絶妙で、体の芯まで温まる。スープを飲み、パンをちぎり、果実を頬張る。気づけば夢中で食べ進めていて、あっという間に皿は空っぽになっていた。


「ごちそうさま! 本当に美味しかったよ!」

「うむ、満腹だ!」

「気に入ってもらえてよかった!」


 女の子は嬉しそうに笑う。すると、質問をしてきた。


「でも……私より小さいのに、どうして森の中にいたの?」

「えっと……実は、捨てられちゃって……」

「えっ!?」


 私が小さく事情を話すと、女の子の顔が一瞬で曇った。そして、そっと近づいてきて――ぎゅっと抱きしめてくれる。


「……だったら、すごく怖かったでしょ? 不安だったよね」

「……うん」


 その言葉が胸に沁みた。優しい腕の中にいると、ずっと張っていた心の糸が、少しずつ解けていくようだった。


 私は思わず、女の子を抱きしめ返した。ぬくもりがじんわりと広がって、胸がいっぱいになる。


 あぁ、あったかい。この温かさを、忘れたくない。私はしばらく、その温もりに心を寄せた。

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