第九話 師匠との会話

 結局ぼくは、初めての休日を、無謀にも迷宮という場所に挑むために使うことを決意していた。


 これには経緯がある。


 ぼくは休日の過ごし方をあれこれと考えていたのだが、自分一人で考えていても解決しないと気づき、頼れそうな師匠の元に赴くことにしたのだ。


 この世界のギルドにおける師匠という制度は、ベテランの人間が弟子となる新入りを割り振って担当する、学校の部活におけるコーチ、あるいは会社などに存在すると聞くメンターのようなものらしい。


 ぼくの師匠、ダリウス・マクローリンは未だ現役の一流の冒険者であるとは聞いており、おそらく多忙だ。ここまでの4日間、ぼくが塔で彼を見かけることは一度もなかったし、平日はずっと迷宮に潜っているのかもしれない。


 だが休日であるならば、会うことも叶うかもしれない。


 そう思い、ギルドの受付に行ってみた。


「あの、ダリウス師匠と面談の時間を取れないものでしょうか?」


「本日でしたらダリウスさんは塔の研究室に滞在しています。アポイントの連絡を入れてみますね」


 なるほど、研究室というものがあるのか。ここは魔導師のギルドだし、魔法の研究など、いろいろやることがあるのだろう。ぼくからすれば遠い世界の話に思えるが、将来的には他人事ではないかもしれない。


 ぼくは受付の人がこの世界における電話のようなものを使って師匠と話をしているのを眺めていた。


「20分程度だったら時間が取れるそうです。ダリウスさんの研究室は21階の北西側にあります。地図が21階の階段のそばに描かれているので、参考にしてください」


「21階まで階段を登るんですか?」


「当然エレベーターがありますよ?」


 どうやら高層に向けてはエレベーターがあるらしいので、ありがたく使わせてもらった。


 エレベーターは、縦型に空いた穴に石板のようなものが浮いているだけの代物で、階数が光となって宙に浮かび上がっているので、それを押すとその階に行けるらしい。ぼくは21という表示を探して人差し指で触れると、石板がすうっと物理的にはあり得ない滑らかさで上昇を始め、2階3階と出口が過ぎていき、やがて21階の広間の前ですうっと滑らかに停止した。エレベーターは油断すると怪我してしまいそうな作りだったので、地球のエレベーターがいかに考えられて作られたものなのか、少し想いを馳せてしまった。


 21階に到着したぼくは、そこがぼくが普段暮らす1階~3階の見習い向けフロアとは全く雰囲気の異なる場所であることに驚いた。床は赤い高級そうなカーペットが敷かれ、壁には美麗な風景画や人物画、武器や魔道具などが飾られている。


 も、もしかしなくても、ぼくの師匠って結構すごい人というか、VIP的な感じなんだろうか?


 そんなことを考えながら、場違いなフロアの整然とした廊下を地図の記憶に従い歩いていくと、重厚な両開きの扉を構えた師匠の研究室にたどり着いた。


 コンコン、とノックをすると、扉がすぐに開き、一人の女性が顔を出した。


「あれ。キミは……」


 どこか愛嬌のある雰囲気の可愛らしいお姉さんは、金髪をふわふわしたロングヘアにして黒色のローブを纏っている。ローブの下は白のブラウスと黒のミニスカートで、ブラウスを押し上げる大きな胸の作る谷間に少し顔が赤くなりそうになってしまう。


「あ、あの、ぼくはナナフミというダリウス師匠の弟子でして……アポイントを20分ほど取っています」


「ああ、例の異世界からきたっていう少年ね……可愛い子じゃない。入っていいわよ」


 お姉さんは扉を開けて、ぼくを招き入れる。


 中は、広々としたオフィスのような空間になっているが、異世界らしい魔法的な器具や道具、羊皮紙の山といったものがあちこちに積まれていた。いくつも木製の大机が置かれ、その前に黒いローブを着た男女が座り、本を読んだりなにか実験をしたりしているのが分かる。その一番奥、窓際のひときわ大きな机の前に師匠が全体を睥睨するように座っていた。


「ボス。ナナフミ少年をお連れしました」


 女の人について師匠の前までいくと、師匠は立ち上がり、にこやかにぼくを歓迎するように両手を広げた。


「ありがとうマーガレット。下がっていい。今はちょっと応接室が埋まっていてな。ちょっと人の目は気になるかもしれないが、ここで話してもいいか?」


「は、はい……大丈夫です。それにしても、師匠はもしかして、偉い人なんですか? ぼく、師匠のことなんにも知らなくって」


「ははっ、そうだよな。まあ、これでもベテランだ、そこそこ名は通っているほうだよ」


「すごい魔導師なんですね」


「いや、俺はさすがに〈魔導師〉ではないぞ? まだそんなことも教わっていないのか」


「え?」


 師匠はぼくがすごい魔導師と言った瞬間、少しだけ、表情になにか違和感のあるものを浮かべた気がした。あれはなんだろう? すこしだけ、嫌そうな感じだったけど……


「魔導師のギルドで、〈魔導師〉を名乗れるのはただ一人だ」


「え?」


「魔導師のギルドというのは、魔導師に至ることを目指すギルド、という意味なんだ」


 そんなバカな、と思うが、ここは異世界。現実と違う常識があることは、今までも感じたことが何度もあった。これもその一つということだろう。


 それにしても、ここまで4日も魔導師のギルドにいて、だれも教えてくれないなんて、と思ったが、彼らからすると当たり前すぎてわざわざ言うことでもなかったのかもしれない。考えてみればここまで会った誰もが、「魔導師のギルド」ということはあっても、「魔導師」を名乗ること、ぼくたちを魔導師と呼ぶことはなかった。


「もしかして、その人は〈至高シュプリーム〉なんですか?」


「そうだ。ギルドというのは何十個もあるが、〈至高シュプリーム〉に到れるのはわずか7名。すべてのギルドの頂点、〈看板持ち〉と呼ばれる存在が〈至高シュプリーム〉に到れるわけではない。だが我らが魔導師のギルドは、現〈至高シュプリーム〉を輩出している、誇り高き名門ギルドなんだよ」


「す、すごい……」


 ぼくは、その〈至高シュプリーム〉にまで至ったという魔導師のギルドのトップ、唯一の〈魔導師〉がどんな人なのかすっかり気になってしまった。


「どんな人なんですか? やっぱりすごい人なんですか、ぼくたちのトップは?」


「そうだな……まあ、一言では到底表現できない奴だ。個人的には、一切会わないことをおすすめする」


「え、ええ? なぜですか?」


「自分と差がありすぎて、ポッキリ折れてしまう奴がいるんだ。まあ、理由はそれだけではないんだが……」


「な、なるほど……」


 ぼくが地球で一生懸命やったことなんて、せいぜいハマっていた対人ゲームくらいだ。

 それも、世界全体で上位1%くらいかな、というレーティングまで至った程度で、まだまだ上には上がいた。そんなぼくが、もしいきなり世界の頂点と試合をしてしまったら、おそらく心が折れることは十二分に考えられるだろう。きっと彼が言っているのはそういう話かもしれない。真剣に高みを目指した人間だけが分かる、絶望的な頂点との差……


 ましてや、迷宮都市における自らのギルドを象徴する技能というのは、単なるゲームではない、人生を賭けて高めていくような性質のものだ。


 ぼくは迷宮というものの深淵を覗き込んだような気分になった。


「それで、ナナフミはどうして俺に会いに来たんだ?」


「あ、それなんですけど……ぼくは、ただ授業を聞いているだけでは、なんというか周囲に埋もれてしまって、高みには至れないんじゃないかって、そう感じたんです。それで、迷宮に潜ったほうがいいのか、どこかで特別な訓練をしたほうがいいのか、それとも今はまだ時期尚早なのか、そういうことを相談したくって……」


 そういうと、ダリウス師匠は、目を輝かせてテンション高くぼくの肩を掴んだ。


「ふむ……ふむふむ……! 素晴らしいな! 若者とはこうでなくてはならない! ナナフミ、俺はすっかりキミを気に入ってしまったよ」


「そ、そうですか? ありがとうございます……」


 何が琴線に触れたのか、ぼくをすっかり気に入ったらしい師匠は、そのまま、ご機嫌な様子で続きを語り始めた。


「人間が高みに至るために必要なものは、他人から与えられたものではない、内発的で圧倒的な強度の動機だと俺は考えている。ナナフミはその重要な条件をクリアしている。そういう人間には、必要な雑多な物事は世界から与えられるようにできているものなんだ」


「世界から与えられる……ですか?」


「そうだ。この世界というのは、必要な人間に必要な試練を与えるようにできている。そこから必要なレッスンを学んだ人間だけが、次のステージにいける」


「なんというか……哲学的な話ですね」


 ぼくは、スバルちゃんだったら、こういう師匠の話にもついていって、対等に深みのある話をできそうだな、なんて感じてしまった。


「ぼくの好きな女の子が、こういう話、好きそうです」


「なんだ、惚れている女がいるのか? それもまた良し。そうした感情はときに爆発するようなエネルギーになって、人間が偉業を成す力になるものだ。大事にするといい」


「は、はい……」


「その惚れている女も、この世界に来ているのか?」


「そうなんです。ぼくと一緒にこの世界に来て、聖女ギルドに行っているんですけど……」


「なに? 聖女ギルドだと?」


「え?」


 ぼくが聖女ギルドの名を出した途端、ダリウスは表情を真剣なものに変えた。


「聖女ギルドが、どうかしたんですか? ぼくが魔導師のギルドに呼ばれたように、彼女は聖女ギルドに呼ばれた、というだけかと思っていましたが」


「この都市には、御三家と呼ばれるギルドがある。通常、お前たちのような、迷宮に潜ったこともないような異世界人がいきなり一員として認められることはまずあり得ない、それくらいの格の違いがあるギルドだ」


「御三家……」


「勇者ギルド、賢者ギルド、聖女ギルドの御三家は、それくらい他のギルドとは隔絶した実力者が揃っている。しかもどれも少数精鋭で、他ギルドの才能を時折スカウトするだけ、というスタンスだから、内部のことは謎に包まれている」


「へ、へぇ……」


「もし、この世界に呼ばれたばかりで聖女ギルドに行ったというのが本当なら……間違いなくとんでもない天才だぞ、その少女は……」


「そうですね……現実世界でも、誰が見ても明らかなくらい、モノが違う少女ではありましたが……」


 たとえるなら、まだ中学生の野球部の少年が、いきなりプロ野球にスカウトされる、くらいの凄さはあるのかもしれないな、とぼくは思った。


「お前が到達したいという高みというのは……もしかすると、その少女絡みか?」


「はい。ぼくはその子と、対等でいたいんです」


「なるほどな……なるほどな」


 そこで師匠は、どこか遠い目をするように、窓の外の景色を眺めた。


「その少女は、下手すると〈至聖シュプリーム〉に至ることすらあるかもしれないほどの天才だろう。それと対等でいたいと思うのなら、お前は自分の限界を超えて努力しないといけない」


「……はい」


「いいだろう。お前の至りたい地点、お前の人柄や性格、すべて俺にとっては好ましいものだ。師匠として、全力で応援させてもらう。そのために、まずひとつの教えを与えよう」


「は、はい……なんでしょうか?」


「それはな。なにかで一流に至りたいと思ったら、結局のところ、もっとも本番に近い環境で、自分が潰れないギリギリの負荷をかけ続けたほうがいいということだ」


「な、なるほど……たしかに、わかります」


「お前はこの迷宮都市で、魔導師のギルドのメンバーとして一流たらんと欲するわけだ。であれば、もっとも本番に近い環境とは?」


「……迷宮に潜ること」


「当然その結論には至るだろう。だがお前はどう思う?」


「ぼくはまだ、魔法も一つも使えないし、身体も貧弱です。ふつうに死んでしまうんじゃないかと思ってしまいます」


「そうだ。当然危険を伴う。だが、たとえばお前のルームメイトになっているアンリエッタのやつを連れていけばどうだ?」


「アンリエッタも師匠の弟子なんですか?」


「そうだ。同じ師匠を持つ見習いがルームメイトになるようになっている。まああいつは出来が悪いしやる気もそれほどないからわりと放置しているが、それでも2年目の見習い、お前よりは経験も知識も魔法の技能もある」


 なにげにひどいことを言われているアンリエッタは可哀想だが、これは師匠の名案だと思った。一人で不安なら、パーティメンバーというのがいればいいんだ。それは何も、見知らぬ人間を連れて行く必要もない。


「同級生にもやる気のありそうな友達がいたら、連れていけばいい。迷宮は2人と3人だと結構生存率が違うんだ」


「そうなんですね」


 それを聞いてぼくの脳裏には、サムの能天気な顔が思い浮かんだ。


 あいつが迷宮で役に立つビジョンはそれほど湧かないが、まあいないよりは居たほうがいいだろう。何気にぼくもひどいことを考えている。


「これはなにも、いきなり迷宮で富を作ったり強敵を倒すのが目的ではない。迷宮という未知の環境、未知の負荷に、お前を強制的に慣れさせるのが目的だ。難易度は第一階層の入口付近でいいし、生存を第一に、とにかく逃げること、死なないことを重視して戦略を組み立てろ。宝物などはすべて無視していい、罠があったら死ぬからな」


「ふむふむ……」


「たしかに、お前たちが俺が想定しているより愚かだったり運が悪かった場合、ここで死んでしまうリスクは存在している。だが、こうした試練を毎週くぐり抜けることで、お前たちはただ魔法語を覚えているだけの同級生とは比較にならないアドバンテージを得ることになる。迷宮の経験は授業から吸収する知識や技能の質も高めるし、それらをすぐに本番で活かし知恵とすることができるようになる。魔物を倒すことで得られる魔力もお前達の力となるし、稼いだ金銭を自らを強化する教育や装備などに費やすことができる」


「な、なるほど」


 ぼくは、つくづく有能な師匠を持って良かったと思った。


 間違いなく、この人自身が、この魔導師のギルドと言う世界、冒険者という世界で、一流に至った人だ。


 そうした人には、凡人には見えていない景色、凡人は至っていない考え方や哲学があるものだ。


 それらをこうして吸収できるという機会は有り難いものだろう。


 ぼくは、スバルちゃんに誇れるような努力、対等な男になれるような努力を、来週からやる、とかではなく、今やらないといけないんだ、と自分を奮い立たせた。


 そんなことを考えると、スバルちゃんの可憐すぎる笑顔が、ぷるぷるとした唇や、制服を押し上げる豊かな胸、抜群のスタイル、甘く囁くような声などと一緒に想起されて、なんだか男性ホルモンがドクドクと分泌されるような感覚を覚えた。


 無性にやる気が湧いてくる。


 やるぞ。

 やってやるぞ、ぼくは。


 そうしてぼくは、冒頭のこれから迷宮に三人で挑むというフェーズに至るのだったが……


 こうした無謀なやる気が至る当然の結末として……


 これからぼくは、圧倒的な現実の暴力に打ちのめされることになるのだった……

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