第17話 死神と呼ばれる者

 見覚えのある形をした、黒紫こくしの鱗。顔ほどもあるそれが何枚も連なり、時折ズルズルと音を立てながら動いている。

 空との区切りは見上げるほどの頭上。森との区切りは、遙か彼方で視界には映らない。


 それは死の眠りを象徴する森の覇者が一体。タナトススネーク。

 側にあるだけで首筋に死神の鎌をかけられているような錯覚を覚えさせる化け物の胴だった。


 ユーゲンは叫びそうになるのを必死に堪え、ラツェルに手招きをする。目指す先は、タナトススネークの進んでいる方向と逆方向。少しでも早くすれ違って山頂を目指したいと考えてのことだ。


 呼吸音すら聞こえないよう、必死に祈る。

 タナトススネークが移動を続ける間は歩みを進め、黒紫の鱗が動きを止めれば二人も止まって息を潜める。二人とも、神経が凄まじい勢いですり減るのを感じていた。


 やがて鱗の先に緑が見えて、ようやく僅かに表情を緩められた。まだまだ安心はできないが、一応の終わりだ。

 二人とも無意識に足を速めて、その終わりを目指す。あの尾を越えて山頂に近づけば、もう大丈夫。さしものAランク、タナトススネークといえど、神獣の領域には近づいてこない。

 ――あと、ちょっとだ……。


 黒紫の上に緑が見えた。鱗が尾先に向けて、緩やかな傾斜を作る。


 そしてついに、黒紫が消えた。絶望の影は見えなくなって、緑と青ばかりが視界に広がる。


 遠ざかっていくタナトススネークの尾。ユーゲンもラツェルも、深く息を吐いて笑みを交わす。

 それから気を取り直し、山頂へ足を向けた、直後だ。


 青を遮るようにして、ぬっと黒紫の影が現れた。影の内には、金色の月が二つ。

 チロチロとチラつく赤い舌は、空気の味でも確かめているのか、何度も出し入れされている。


 二人は、動けない。隠れることも、逃げることもできなくて、ただその場に呆然と、石になったように立ち尽くす。

 ――ああ、死んだな、これ……。


 死を確信した諦観が少年の心を埋め尽くし、少し遅れて、隣の少女を連れ出した後悔が沸き起こる。

 もし、自分がラツェルを連れ出さなかったなら。女神の箱庭に迷い込まなかったなら。彼女はこんなところで死なずに済んだろうに。あの楽園で、今も神獣や母たる女神と共に笑っていただろうに。


 ――わりぃな、ラツェル、まじで。


 タナトススネークの顔がスッと近づいてきた。すぐ目の前に縦に細長い瞳孔がある。

 シューッと空気の漏れ出るような音がして、舌が二人の間を彷徨った。


 きっとこのまま、ひと呑みにされてしまうのだろう。

 ユーゲンは、ラツェルは、ぎゅっと目を瞑る。


 しかしおかしい。

 待てども待てども、その時は来ない。


 どうしてだろうかと、ラツェルはそっと目を開ける。

 そこに想像していた牙も、真っ赤な口内も、見えない。


 どころかタナトススネークの頭も木々の上まで遠ざかっていた。何かを探すように左右へ視線を向けてはいるが、それが二人で止まることはない。


 未だ目を瞑ったままのユーゲンの肩を揺すり、鎌首をもたげたままのタナトススネークを指さす。

 彼もまた、何が何だか分からないようだった。


 そうしている間にタナトススネークは再び森の中に消える。

 移動を再開したようで、ズルズルという音もどんどん遠ざかっていった。


 やがて森の音が消えて、辺り一帯の空気が弛緩する。それでようやく、絶望が去ったのだと、二人は肌で感じとることができた。


「……はぁぁぁぁ」

「こ、怖かった……」


 足の力が抜けて、二人とも崩れ落ちるように座り込む。急がなければならないとは分かっていても、すぐには動けない。


「水で冷やす作戦、上手くいったみたいだな」

「ね。本当に、良かった……」


 女神レーテルに追われているときとはまた違った恐怖だった。あの時も恐ろしくて仕方なかったが、こんな体の芯から凍り付きそうなものではなかった。


「なんにせよ、これでしばらくは安心だな。ついさっきまでアイツがいたところには他の魔獣も近づかねぇだろ」

「そうだね。突然生まれない限りだけど」


 そればかりは考えても仕方ない。


「とにかく、山頂へ急ごうぜ。もうちょっとだ」

「うん!」


 気がつけば、木々の隙間に山頂が見えていた。まだまだ距離はあるが、ゴールの見えると見えないとでは心持ちが全く違う。

 一応警戒は続けたまま、しかし半ば小走りの勢いで、二人はそこを目指した。


 山頂付近になると、急に木の数が少なくなった。徐々に視界は開けていき、ついには木そのものが無くなる。

 一番高いところにある木でも、山頂よりも低い位置に頂点があった。


 その理由も気になるが、もっと気にかけるべきことがある。

 ユーゲンでも分かるほどに、この地の魔力は荒れ狂っていたのだ。


 長閑な風景なのに、全身に感じるのは激流の中のような圧力。彼からすれば初めての体験で、視界と体感の差異に混乱しそうになる。


「これ、神獣がどうにかなってるからか?」

「うん。でも、まだなんとか制御してる。じゃなかったらもっと酷いことになってるはずだから」


 ユーゲンからすれば今でも十分酷い状況だ。これ以上となると、想像できない。

 天変地異でも起きるのだろうか? 激怒したレーテルが起こしていた現象を思うと、それも有り得そうだ。


 山頂はすり鉢状になっているらしく、まだ登りきらないうちには神獣の姿は見えない。

 ただ、思っているよりも酷い状況なんじゃないだろうか。そんな不安を抱えながら、二人は足を速めた。





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