箱入り女神と英雄の卵~最高神が過保護すぎる毒親だったので英雄の息子が神の娘をさらって一緒に旅してみた~

嘉神かろ

第1話 女神と卵

 少年は浮かれていた。ずっと憧れて、夢見ていた存在への第一歩を踏み出したから。


 彼はニヤニヤと手の内にある小さなカードを見つめる。そこには彼のユーゲンという名前と、新人冒険者だということを表わすFの文字が刻まれている。


 背中にはバスタードソード、片手半剣とも言われる剣が一本。しかし十六歳相応の体格でしかない彼には少し大きくて、両手剣のように見える。


 明らかに新人ですと言わんばかりの他の装備とは違って、その剣だけは、妙に年季が入っていた。


 麗らかな光の中、彼は浮かれた足取りで町の近くの森へ向かう。


 豊かで、生息する魔獣もそれほど強くない森だ。

 魔獣の恐ろしさを、命の軽さを誰よりも知るユーゲンは、若気の至りで無茶をすることなく、堅実な道を行こうとしていた。


「うん……?」


 その彼の視線の先に、青く光る亀裂があった。

 木や岩に、ではない。空中にだ。


 明らかに怪しい。

 しかし、若さ故の好奇心が悪さをしてしまった。


「うわぁっ!?」


 亀裂を覗き込んだ拍子に、何かが背中にぶつかった。

 ついでに足を滑らせて、ユーゲンは亀裂の中に飛び込んでしまう。


 気がつくと、彼は色とりどりの花々や鳥たちが舞う楽園にいた。


◆◇◆


 よく晴れた青空に小鳥たちが歌う。枝々の上で囀る彼らは警戒という言葉を知らないようで、時に小さな木の実をついばみながら、眼下の花畑に座る銀髪の少女を見下ろしていた。


 その長い銀髪が、陽の光を受けて煌めいた。いや、よく見れば、彼女の髪自体がうっすらと光っているようだ。

 銀の光に誘われたのか、少女の作る花飾りに興味があったのか。気がつけば、彼女の周りには動物たちが集まっていた。中には、角の生えた白馬や銀色の狼といった、神獣と呼ばれるような存在の姿もある。


 少女は翡翠色の瞳を細め、彼らに微笑みかける。もしこの光景を絵に描いたなら、無垢な娘、とでも題されたかもしれない。


 穏やかな時間が流れていた。少女、ラツェルの知る、唯一の時間だった。


「ねぇ、お母様は今日、いつ帰ってくるって言ってたの?」

「レーテル様は、夕方頃にお帰りになるとおっしゃってました」


 答えたのは銀毛の狼だ。渋い声は、どこから出しているのだろうか。

 ラツェルが礼代わりに首の辺りを撫でてやると、狼が気持ちよさげに目を細める。


 その狼の耳がピクリと動いた。鼻を鳴らし、すくりと立ち上がってラツェルを庇うように移動する。視線の先にあるのは、何の変哲もない茂みだ。


「――!」


 ラツェルの耳にも何かが聞こえた。


「――ぁぁぁああ!」


 だんだんとはっきりしたそれは、どうやら悲鳴らしい。

 少年のもののようだが、ラツェルの記憶にある神獣でこのような声を出すものはいない。


 首を傾げていると、ガサリと茂みを鳴らして、何かが転がり出てきた。


「えっと、お猿さん……?」

「違います、ラツェル様。これは人間です。しかしどうして人間が、女神の箱庭に……」


 転がってきた人間は、少年は、ラツェルと同じくらいの歳に見えた。

 短い金髪に赤い瞳で、背はラツェルより少し高いだろうか。痛みに顰められた顔は、犬のような印象を受ける。


「てぇー……。うん?」


 少年もラツェルに気がついたようで、木の葉や土を払いながら首を傾げた。


「あっ、人間! 良かった! ……って、うぇっ、シルバーウルフ!?」

「なっ……! 小僧! 私を魔獣風情に間違えたのはまだいい! だが、この方に向かって人間だと!?」

「うわっ……!」

「お、落ち着いて、フェリル!」


 フェリルと呼ばれた神獣は牙をむき出しにして少年を睨み付ける。ラツェルの手前それ以上のことはしないが、もし彼女が止めておらず、その場にもいなければ、少年は八つ裂きにされていたかもしれない。


「ごめんなさい。私はラツェル。彼はフェルって言って、お母様の使いだから安心して」

「使い……? 従魔的な感じか? あ、わるい! 俺はユーゲン。よろしくな、ラツェル!」

「様をつけろ小僧! この方は、レーテル様のご息女だぞ!」


 慌てて止めようとするラツェルだが、その前にユーゲンが顔色を変えた。

 フェリルを気にしながらも快活な笑みを浮かべていた彼が、顔を青くして慌てふためく。


「レーテル様って、創世の女神のレーテル様か!? え、じゃあ、ラツェルも、神様……?」

「だから様をつけろと言っておるだろう!」

「あ、その、ごめんなさい、ラツェル、様」


 普段から様をつけて呼ばれるラツェルだ。そうして敬われることには慣れている。

 しかしどうしてか、ユーゲンに様をつけられると、胸にチクリと刺されたような感覚を覚えた。


「いいえ、大丈夫。それより、人間なら大変ね。お母様に見つかったらきっと凄く怒られるわ。お母様は優しいけれど、ときどきとっても苛烈なの」

「えっ、ちょっ!?」


 ラツェルはユーゲンの手を引いて、森の奥へ向かう。

 神獣や動物たちも付いていこうとしたが、ラツェルが止めた。


「いい、みんな、お母様には内緒だからね!」


 珍しく少し大きな声を出して走る彼女は、誰の目にも明らかなほどに楽しげだ。

 訳も分からないままに引っ張られるユーゲン。彼が少し頬を染めているのは、ラツェルのような少女に手を握られた経験がないからだった。


 ラツェルがユーゲンを連れてきたのは、蔓草に覆われた大木のうろだ。森の深い所にあるそこは、神獣たちも、箱庭の主である女神すらも知らない彼女だけの秘密の場所だった。


「ここならお母様にも見つからないわ。ごめんなさい、急に引っ張って」

「あ、いや、大丈夫。です。ラツェル様」


 まただ。またラツェルの胸がチクリとした。どうやら、ユーゲンに様とつけて呼ばれるのが嫌らしいと、彼女は気がついた。


「えっと、その、ここならフェルンも来ないし、ラツェルって、最初みたいに呼んでほしいなって……」

「……いいのか?」

「うん! それから、私と友達になってほしいの!」


 勢いで口にしたことだったが、納得した。

 ときどき神獣や動物たちから聞く、友人という概念に、ラツェルは憧れていたのだ。


 初めて友達になれそうな相手が見つかったのに、神獣たちのように謙られるのは悲しい。だから胸が痛んだのだと。


「そっか……。じゃあ、これから俺たちは友達だ! よろしくな、ラツェル!」

「うん! よろしくね、ユーゲン!」


 ラツェルも、そしてユーゲンも、胸が不思議と温かくて、こそばゆいような心地を覚えた。


「そうだ、ユーゲン。あなたは、どうやってここに来たの? ここはお母様の認めた者しか来られない箱庭のはずなんだけれど……」

「分からない。気がついたらあの森の中にいて、でっかい鳥が見えたから逃げてたら足を滑らせちゃって、あとは知っての通りだな」


 でっかい鳥とは、神鳥の誰かだろう。何かの拍子で空間の裂け目にでも入り込んでしまったのだろうか、とラツェルは首を傾げる。

 ただ、女神レーテルに招かれたわけではないのは確かだ。


「それじゃあ尚更、ここにいたら良くないでしょうね。でも、私も出口は知らなくて……」

「あー、まあ、気にしなくてもいいぜ? どうにかして脱出するからよ」

「だめ! お母様が怒ったら、本当に怖いんだから!」


 いつかラツェルに怪我をさせた神獣に激怒した母を思い出して、ラツェルは震える。あの時のレーテルの顔は、彼女の忘れたい記憶ナンバーワンだ。


「うーん、どうにかしてお母様に聞き出してみるから、それまではここにいて?」

「まあ、創造神様だしなぁ……。分かった」


 ユーゲンとて、神の怒りには触れたくない。

 

「お母様は夕方まで帰ってこないみたい」

「夕方ってなると、まだけっこうありそうだな……。そうだ、さっきの話だと、ラツェルはここから出たことがないんだろ?」

「うん、そうだけど……」

「じゃあ俺が外の話してやるよ!」


 ユーゲンの話は、これまでラツェルの生きてきた中で、一番と言っていいくらいに楽しいものだった。

 見たことは当然、聞いたこともないような世界の話だ。


 人々の暮しに、彼らの作った様々な国。不思議な景色や生き物。ユーゲンも話に聞いて知っているだけとは言っていたが、ラツェルの興味を引くには十分だった。


 特に気になったのは、冒険者と呼ばれる人々のことだ。


「――それじゃあ、ユーゲンもその冒険者として、世界中を旅してるの?」

「ああ、もちろん! と言いたいところだけどさ、俺もまだ冒険者になったばっかりなんだ。これからあちこち行って、いつか父さんみたいな、英雄って言われるような冒険者になりたいんだ」


 そう語るユーゲンの目は、ルビーのように輝いて、キラキラとしている。


「いいなぁ……」

「なんならラツェルも来るか? 冒険者は自由だから、たぶん、神様でもなれるぜ?」


 冒険者……と呟く彼女の声は、期待に溢れている。

 ユーゲンと、友達と、知らない広い世界を一緒に見て回れたら、どんなに楽しいだろうか。


 ただ、それは難しいと、彼女は知っていた。


「たぶん、お母様が許さない。お母様は、私がかすり傷を負うことも許さないから……」

「あー、そっか。……レーテル様って、過保護ってやつなのか?」

「過保護……。どうなんだろう。分からない」


 自分以外の神や人間の家族をラツェルは知らない。

 獣の性質を持つ神獣はまた違うであろうし、比べる対象がないのだ。


「まあ、もし許してもらえたらな!」

「うん、そう、だね」


 そうして話していると、あっという間に時間は過ぎて、空が茜色に染まった。

 ラツェルはユーゲンに別れを告げ、箱庭に一つだけある宮殿へ帰る。そして、母の帰ってくるのを待った。



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