第6話 多忙

 京生さんは、……布施社長は「“配慮”します」と言った。私はその言葉が納得できなかった。会社や社員を大事に想う布施社長らしくはなかった。SNSの炎上は無知な人々が騒いでいただけで、『イマジエッセン』は上場企業ではないのだから株主に配慮する必要もない。『イマジエッセン』が株式会社ではないのは、最新技術を活用している分、専門ではない人の声を聞かなくて済むようにするためだ。


 布施社長の言葉で現場は大きく変わった。


 まず、企画部や営業部は大混乱し、方向性の違いから退職者が続出した。コラボしていたアニメやゲームを扱っている会社への謝罪はひどく心を痛めるものだったと聞いている。生産ラインの半分は停止し、会社の利益が大幅に減少することが確定した。これによって、技術職の退職者も増加した。


 動物倫理の問題に関しては、植物性由来の製品を増やすことに決まった。動物由来の場合は、細胞の初期化技術を使用しないものに限られた。研究としては、細胞の状態が受精卵にどれほど近いかを示す指標を取り入れ、体性幹細胞のような、細胞の増殖能力が比較的高く、受精卵と異なって特定の機能の細胞にしかなれない状態の細胞を利用することを目指すことになった。

 魚介類を中心に担当していた私は、研究のほとんどを中止に追い込まれ、代わりに体性幹細胞に近い特徴を持つ細胞を用いた食品開発を手伝うことになった。加えて、不要になった生産ラインを他の生産ラインに移設する生産技術寄りの仕事や、新しい技術を踏まえた上で発がん性物質や有毒物質の検出方法を模索する研究を与えられた。


 休日も減少し、残業は増え、残業代を賄うようにボーナスがカットされることになった。結果的に、馬車馬のように働き、給料は下がる最悪な結果だ。布施社長は分かっていたはずだ。社内の雰囲気が悪くなって、離職者が増えて、給料が下がって、今後のキャリアアップが望めなくて、労働環境が悪化して、これだけの犠牲を払ってでも、“配慮”すると決めた意味が分からない。

 お客様のためでもなく、社員のためでもなく、株主のいない会社で、SNSの炎上を本気にした。


 布施社長。


「私はあなたと話しがしたいです」


 犠牲を払って、“配慮”する意味って何?

 どうして取材陣の対応をする日、私を『芽亜ちゃん』って呼んでくれなかったの?

 あれほど冷たい目をしていたの?

 血の通っていない視線に、私は怖くなってしまった。

 私が、私たち社員が納得できる理由があるなら、どうか、どうか。

 話しをしてください、理由を聞かせてください、めちゃくちゃになってしまった社内のことをもっと知ってください。


 オフィスでパソコン作業をしていると、主任が来た。


「芽亜ちゃん、今日は仕事早めに終わりそう?」

「久しぶりにですね。七時には終わりそうです」

「飲みに行かない? 店は、私が考えておくから。奢るよ」

「分かりました」


 明日、明後日は休みだ。金曜日に店を探すのは難しいと思うけど、主任に任せることにした。ぼんやりと一緒に夕食に行くみたいな話をして、炎上後の布施社長のせいで忙殺していたから、ようやくである。

 主任はきっと話したいことがあるのだろう。

 夕食を誘ってくれたときの言葉に、雰囲気に、猛獣の目の前を通り過ぎるような慎重さがあった。本当は断ってしまいたい。でも今まで優しくしてくれた主任だ。


 夕食は居酒屋になった。

 懐かしい半個室の居酒屋で、よく布施社長と来たことを思い出す。


「場を温めて、ようやく話を切り出そうとすると、改まってしまって、話を切り出しにくくなるよね」

「そうかもしれません」


 タッチパネルで枝豆や焼き鳥を頼む。

 鉄板ハンバーグやエビフライ定食のような、腹を満たす食事をする気にはなれなかった。ビールをジョッキで選ぶと、主任は微笑んでビールを一杯だけ頼む。


「そうだね、天ぷらの盛り合わせとシーザーサラダとほかほかポテトサラダの大盛サイズも選んでもらっていい? 適度に野菜を食べたくてね」


 主任の手がパネルから離れる。

 注文した品を待つことができなかった。


「きっかけは? 仕事、やめるんですよね」

「あちゃー。ばれちゃったか。もっと鈍感だと思ってた。芽亜ちゃんらしくない。でもそっか、研究のことだったら鋭いし、そりゃ、洞察力はあるよね」

「理由は言わなくてもいいです。咄嗟に聞いてしまいましたが、踏み込むのは違う気がするので」

「気を遣わなくていいよ。きっかけというか、私の場合は、続ける理由があるうちは続けていただけ。やめると決めたのは布施社長の言葉。がっかりしちゃって、布施社長はあんなのじゃなかったから」


 主任の言葉を聞いて共感しかなかった。私もがっかりした。ショックだった。布施社長は私たちを守ってくれるし、SNSの意見なんて振り払ってくれると思っていた。

 そうか。主任はやめる理由があったというよりかは、いつでもやめていい状態で、続ける理由を求めていた。布施社長の言葉で理由がなくなって、やめることにしたんだ。


「夫の稼ぎに頼って、私はパートタイムで働くつもり。子供ともっと触れ合おうって思って。今の『イマジエッセン』は私の居場所ではない気がしたから。残る芽亜ちゃんに言うことじゃないけど」


 主任に夕食を誘われて、何を言われるのか覚悟していた。結果、退職することを伝えられたけど、思ったより私の心は爽やかだった。夏が終わって秋が始まり、その寒風を涼しいと思ってしまうような、勘違いから来るものかもしれないけど。

 主任は主任だ、そう思ったから大丈夫なのかもしれない。

 布施社長は変わってしまったけど、主任のように変わらない人もいる。


 でも。

 会社からいなくなってしまうのは、変わらない者だ。

 変わりたくない者からいなくなってしまう。


「芽亜ちゃんって酒豪だね。私はこの一杯しか飲まないけど」


 料理とビールが来て、二人の思い出話をする。

 それから、私は聞いてみた。就職面接みたいで、堅苦しいものだけど。


「どうして『イマジエッセン』を選びましたか?」

「新しいことをしていて楽しそうだったから。そういう人が多くて、大学の専門を生かしてって人は芽亜ちゃんぐらいだと思う。楽しくて、自由で。未知の世界に飛び込む怖さよりもわくわくが勝って。本当に楽しかったんだけどな」


 主任は少し酔っていたようで、後半の言葉は呂律が回っていない。

 飲み会は布施社長と一緒に飲んでいたから、主任があまりお酒を飲まないことさえ今日まで知らなかった。私は、周囲の人の想いに鈍感かもしれない。


「私も、今は忙しいばかりで苦しくて、全然楽しくないです。わくわくしないです」


 呟く。主任に聞かれるのは怖くて、飲み込めない感情を他人に晒したくなくて、でも自分の中だけで留めておけなくて。溢れてしまったけど、幸い主任は聞いていないようだった。


「今までありがとうございました」

「ええ。引継ぎはしっかりしたいけど。人もいないから、予算の都合でいくつか中止になるかもね。私の研究はきっと無駄になる。まあ、研究は無駄ばかりだよね。それが繋がってたまに宝石のようになるだけで」


 主任は二週間ほどでいなくなってしまった。

 私たちのグループの先輩が主任に昇級したけど、男性ばかりの職場で、年齢も離れていて、私は意見交流の際に壁を感じる。主任のプロジェクトは大きくは三つあって、一つは私が引継ぎ、もう一つは新しい主任のプロジェクトに統合された。残り一つは中止となった。


 よく分からない“配慮”を優先して、利益の低下と設備投資の巨額化が避けられない『イマジエッセン』には、研究部の人員を増やす余裕がない。物だけがなくなった旧主任のディスクがオフィス作業では視界に入ってくる。悔しくて、間違い続ける布施社長が少し憎たらしかった。少しだけ憎い、そういうことにしないと、自分を嫌いになりそうだった。思い出が汚れてしまいそうだった。




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