第4話 考慮
二年の月日が経って、社長は重病を患い、療養のためにその座を降りることになった。そして、ついに京生さんが社長となる。最新技術を先導する『イマジエッセン』の社長が交代し、二十八才の超若手社長になるということで、メディアでは大きく取り上げられた。
京生さんは会社の宣伝も兼ねて取材を多く受けているらしい。そのため、社員は社長となった京生さんの姿を見ていない。私としても、今まで通り研究をしているだけだ。
京生さんが社長になっても不安はない。
若手敏腕社長、と呼ばれれば、京生さんは少しばかり調子に乗るだろうけど、それすらも原動力になることを私は知っている。
「私も頑張りますから」
昼食休憩で私は社内の食堂に来ていた。二十八才、少しは健康を意識して、健康定食ランチを頼んだ。千切りキャベツ、チキン南蛮、味噌汁、白飯、小鉢としてほうれん草の胡麻和えとひじき煮である。さらに、牛乳を飲んで、鉄分とカルシウムを補充した。貧血と骨密度対策である。万年インドア派で運動不足の私も、これで健康上の問題は解決である。
……大丈夫だと思いたい。「二十代後半から身体の不具合が増え始める」とは母の忠告である。遺伝子の半分を担う母の忠告は信頼できる。
というわけで、充実したランチタイムを送る。今日は京生さんの取材動画を見て、これから会社がどこへ向かうのか期待を膨らせることにした。
『我が社は、社会の様々な要求に応えるもので、日本人が代々大切にしてきた食を、より豊かに発展させる責任があります。あくまでも、豊かで美味しい食の追求です。味気ない食品で効率よく栄養が取れる、では話になりません』
動画内のテロップとして、『話題の若手イケメン社長に取材』と書いてある。
否定はしないけど、他人にイケメンって言われると、「京生さんはそういうのじゃなくて」と反論したくなってしまう。私の隣からいなくなって、オーラは社長になったけど、京生さんは京生さんで。立派な人で優しい人で、でも持ち上げられすぎ、っていうか。
「研究馬鹿な芽亜ちゃんがゆっくり食べているなんて。ああ、布施社長のやつね。格好いいって社内でも人気で騒がれていて」
主任が隣に座る。
私のスマホを見て楽しそうに微笑む。
「先に芽亜ちゃんが見つけたのにね」
「そういうのじゃないですから」
「若いエネルギーを感じるわ。先陣を切るのが布施社長、研究で活躍するのがエリート研究者の芽亜ちゃん。未来に向けて会社を成長させる、って感じがして」
「あの京生さんが社長って違和感があります」
私はひじき煮を口に入れてみる。
出汁が染みた油揚げがひじきによく合う。
「相応しいでしょ?」
「それとこれとは別というか」
「遠くに行ってしまった?」
「御曹司ですよ。初めから遠いですから」
「布施社長はずっと変わらない。会社想いで、チャラいけど野望があって、社員が大好きで、周囲から愛されていて。どうせ今も芽亜ちゃんのことが——」
主任は言い掛けて、味噌汁を入れ忘れたお椀を持って席から離れた。
食堂の味噌汁はお椀に具材が入っていて、サーバーから味噌と出汁を注ぐ。主任はサーバーの近くで私を見つけたからか、注ぐのを忘れたみたい。
私はスマホを閉じる。
上司の前でずっとスマホを見ているのは違う気がした。
戻ってきた主任は、焦ったようで額に汗を流していた。
「芽亜ちゃん、今度一緒に夕食に行こう。芽亜ちゃんは一人だとカップ麺か冷食だって聞いたからね。もちろん、在りし日の布施社長に」
「……家事は苦手で」
「うちの研究って不器用だとできないでしょ。細かい作業は多いし。家事が苦手なのはどうして?」
「考え事をしてしまって、例えば料理なら焦がしたりします」
「研究馬鹿だね」
「研究室時代から言われていますよ」
「じゃあ、うちは天職だね」
主任はコロッケ定食を食べている。京生さんがいなくなってから、主任は私を気遣うようになった。ただ、私を夕食に誘ってくれたのは初めてだった。プロジェクトの成功の打ち上げで一緒に夕食を食べたことはあるが、お祝い以外ではない。
京生さんが社長になったことで、私と話したいことができたのか?
元々話したいことがあって、きっかけがあっただけなのか?
考え込んで手を止めてしまうのは、私の悪い癖だ。
「どうしたの? 研究のこと? 私、主任だから何でも聞いていいよ」
「いいえ、どうして私は一人分なのにろくに家事もできないのかなって。主任は家族がいて、共働きで。私は一人暮らしですら回らないのに」
「最近は家電も自動化が進んでいるし、子供はいても、夫も頑張ってくれているから。夫は私よりもしっかり者だし」
私は誤魔化して質問をする。主任は真剣に考えて答えてくれた。夫がしっかりしている、か。主任は仕事ができる人で、指摘をするときは鋭いけれど、人に頼るのも上手だ。他人を立てることも多い。
家庭を持っていても一人分の家事と変わらないとして、私を気遣ってくれた。
罪悪感が募る。
「芽亜ちゃん、暗い話はやめよ!」
それよりも、と主任はスマホを出して社内ニュースを見せてくれる。
大人気アニメとのコラボが決定、グッズ化も進めているらしい。
細胞レベルの技術を用いても、『イマジエッセン』の本質は食品メーカーである。
アニメやゲームとのコラボは度々行われていた。
「夫が好きなアニメだから、昨日からうるさくて。社員だとグッズとか優先して手に入ることもあるからね。芽亜ちゃんは好きなアニメとかあるの?」
主任は私の反応を見る。
「あまり見ません」
「家で何をしているの?」
「研究に関する電子書籍を読んだり、今も交流している研究室時代の先輩や同学年、後輩、担当教員とチャットで議論したり、たまに論文を読んでいます。あ、最近はシミュレーションの時間を増やして……」
主任が固まった。憐れむような、残念な人を見るような目だ。
「芽亜ちゃんはそれが趣味だよね」
「そうですけど?」
「他に楽しいことはない?」
「えー、……家事ができない分、最新の自動化家電の情報を集めるのは意外と好きですね。あと考え事をするときに、焚火の映像を調べて流すこともあります」
主任は考え込んで、
「布施社長がなぜ過保護なレベルで芽亜ちゃんを心配していたか分かったかもしれないわ」
主任は頭を抱えた。そこまで悩ませる返答だっただろうか?
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