我が社は、"配慮"します

第3話 研究

 社長の調子が良くない、と噂されるようになって、すぐに京生さんが部門ごと移動した。生産技術職の、食品包装周辺を扱う部署らしい。私は京生さんからの説明がないまま、若手が私だけの職場で研究をしている。京生さんは次期社長になるために様々な部署で知識を蓄えている、それすらも噂で知って、私と京生さんは別の世界の住人だと分かってしまう。


 研究の議論については、主任と行う会議で行うだけになってしまった。

 私自身の研究の進捗を考えると、京生さんと話し合う時間がいかに大切だったかと痛感させられる。でも、京生さんは『イマジエッセン』の先頭に立つために努力をしている。私だって、会社のためにできることをしないと。

 主任は女性の方なので、話しやすい。


 私は会議室に集まって、主任の話を聞く。

 グループ内の目標を確認して、最後に中間発表で称賛された私の話をする。

 私は給料やポジションに興味がなく、研究だけできればいいと思っている。主任から褒められても、心から喜べない。京生さんが隣にいたら違ったのだろうか?


 主任の話が終わって、個々の研究報告が始まる。

 近しい研究を行っている者からの質問が飛び交い、データ収集や研究内容、考察に気になる点があれば、先輩や主任に厳しく追及される。ついに、私の発表だ。いつも主任が頷いているだけなので、逆に居心地が悪い。


 研究室時代のように、先輩や担当教員から指摘を受けた方が、弛んだ気持ちを引き締めることができるいい機会になるのに。


「焼き魚用の食材を作製しました。寄生虫のリスクがなく、近年騒がれているマイクロプラスチックや一部報道されている根拠もない有害物質の生物濃縮の懸念もないので、価値はあると思いますが、風味が足りません。食材として展開するのであれば追加研究が必要ですが、我が社の製品として売るなら風味を後付した方がいいでしょう」


 私はスクリーンに、風味付けで考えられる添加物の一覧を表示する。社内の共通認識として、細胞レベルの制御で発がん性物質を含む有害な物質を検査するのは難しいと考えている。当然、我が社で有害物質の検査についての技術はあるが、細胞を弄る段階を増やすほど検査の手間が増え、培養する細胞のエラーや生産での歩留まり低下のリスクも指数関数的に向上する。

 したがって、危険ではない添加物を使用して済むのであれば、細胞を操作しない方がいい。


「分かった。企画部に確認を取ろう」


 主任は頷く。誰も質問をせずに私の発表が終わって、主任が総括を述べる。

 そこで、私の研究内容にも触れられた。

 

「白樺さんが行っている魚介類の研究だが、需要が発生したのは、マイクロプラスチックや有毒物質の生物濃縮のためだ。我が社として今後も取り組むことになるが、それが海の資源を否定するものであってはならない。デマの部分は様々な機関と協力して消費者の誤解を解くとして、一方でマイクロプラスチック等は取り除く方針を考えている」


 主任は普段「芽亜ちゃん」呼びだけど、正式な会議の場では苗字呼びである。

 私も主任が言うように、マイクロプラスチックに恐れないために、細胞レベルで魚の切り身を作製する『イマジエッセン』の技術を投入することへ疑問を抱いている。

 漁で採った魚から取り除けばいいし、消費者が過剰に恐れて我が社の製品に逃げるのは良いことだと思わない。京生さんも言っていた。『イマジエッセン』は食を豊かにするためにあると。


 会議が終わると、私は実験室に籠る。


 我が社の研究というのは、『PDCAサイクル』に基づいて行うもので、『P』は『Plan:計画』、『D』は『Do:実行』、『C』は『Check:評価』、『A』は『Action:改善』である。『計画』は何を解決するかを考え、そのアプローチ方法を考えることで、『実行』は実際にアプローチを行って計画通りのサンプルを作製すること、『評価』はサンプルを試薬や測定装置などを用いてサンプルの状況や性質を調べること、『改善』は『評価』を踏まえて考察し現状の立ち位置を確認することである。


 これらの工程で、『計画』はオフィスで行い、『実行』は実験室、『評価』はデータを取るまでは実験室、データ処理はパソコンのあるオフィスで行う。『改善』は個人で行う場合はオフィスだが、上司や他の部署、相手先と行うこともあるので、その場合は会議室になる。

 魚の切り身の作製については、先ほどの会議で『改善』まで終わったわけだが、次に『計画』に移るかは仕事をもらってきた企画部の判断となった。したがって、私は他のプロジェクトについてのサンプル作製を行うわけである。


「さてと」


 クリーンルームというのは、慣れれば楽だが、入退室は意外と面倒である。クリーンルーム服は着ぐるみを着るときのように全身を覆い、目だけは保護メガネをする。ズボンを履いて、ズボンの裾を専用の長靴のようなものの中に入れる。靴は、つま先から足首の辺りまでチャックが付いていて隙間を作らない。


 服を着たら、二重扉の中に入って、空気のシャワーを浴びる。

 着替えの場所はいわゆる陽圧(外よりも圧力が大きい)の状態にして、ゴミを入れないようにしているが、クリーンルーム内は陰圧(外より圧力が小さい)の状態にしてガスなどが外に出ないようにしている。

 また、入退室時にはエアーシャワー(空気のシャワー)で清潔を保っているにも関わらず、作業はボックスに手を入れて、そこで行う。ボックスから物を出し入れするときも洗浄が必要なため時間がかかる。ボックス内は無菌である。


「アレルギーの人でも食べられる海老、蟹か。細胞を弄って作ったら、それはもう海老でも蟹でもないと思うけど」


 我が社では『企画』や『営業』の時点で、ターゲット層や客の要求をまとめることになっている。例えば、牛の細胞を変えて蟹に似せたらいい場合もあれば、蟹の食感や味よりは蟹を食べている事実が必要だから、蟹の細胞を使うことを優先して、蟹らしい食感や味は後回しでもいい場合がある。


 今回は後者らしい。

 私は必要なものを棚や巨大な冷蔵室から集めて、作業用のボックスと冷蔵室にある私専用の棚のそれぞれの場所に入れる。自分専用の棚に置いておけば、次回から作業が効率化される。

 研究はやっぱりいいものだ、私は思う。

 

 京生さんがいない寂しさも、頭を使ったり、手を動かしたりしていれば、薄れてくる。



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