第12話 三度目の夏――運命を変えるために
船上で目を覚ましたのも、もう三度目だ。
(……はあ)
ため息をつき、ユーフェミアはボサボサの長い髪をかきあげた。
頭が痛い。それに、少し疲れているような気もした。
今回こそは上手く行ったと思ったのだが…まさか、屋敷の中にあんな罠が仕掛けられていようとは。
(ていうか、お祖父さんも不親切すぎじゃない? ヘグニさんですら知らなかったんだし。まさか本当に小人がいるなんて思わないわよ…。何かヒントくらい残しておいてくれても良さそうなものでしょ…。)
これから、というところで死んでしまったことに、少し腹が立っていた。
寝台の上で首をかき切られて暗殺されるなど、それこそ、昔話の女城主にありそうなシチュエーションだ。だが、そんな展開は、もう二度と御免被りたい。
(あの小人たち、私のことを侵入者か何かだと勘違いしたってこと? でも、入口のガルムは匂いを嗅いだだけで納得してくれたし…。敵じゃない、って伝えられれば…だけど、あの小人たち、人間の言葉は使っていなかったみたいだし…。うーん、どうすればいいんだろう)
ほつれた髪の毛を手早くまとめ上げなから、ユーフェミアは、ちらと同乗の四人組のほうに視線をやった。
前回と同じく、楽しげに会話している若者たち。甲高い声を上げて笑う少女。黒髪の男だけは不機嫌そうな顔をして、ふいと外へ出ていってしまう。
(そういえば、あの人たち…)
前回、宿の前で警官らしき人物は、四人組は 「
だがやはり、どう見ても彼らは意気投合しているようには見えない。
むしろ、指名手配犯だという男は、無理やり同行させられてうんざりしているようにも見えた。
ほんの僅か、興味を惹かれた。
指名手配犯と、友達でもないのに一緒に船に乗っている学生たち。奇妙と言えば奇妙な取り合わせだ。
(どうせ港町にいる間は死ぬようなことは何も起きないんだし、少しくらい違うことをしても大丈夫よね)
自分でも、少し大胆になりはじめていることには気づいていた。
けれど、もう二度も死んだ――”殺された”のだ。死を覚悟するどころか、死を体験してしまったのだから、これ以上恐れることなど何もない。
問題は、どうやって時間を繰り返しているのか、あと何度繰り返せるか分からないことなのだが、…それは、あとで考えるとしよう。
ユーフェミアは荷物を持って立ち上がり、外へ出ていった男を探した。
(あ、いた)
細長い包みを抱え、島のほうをじっと見つめている眼差し。そして、足元にはやはり、何かがいる。黒っぽい、
(…やっぱり、熊、よね? あれ…)
そういえば最初にこの島に来た時、男が宿の窓から飛び込んできた時の影が、熊のようにも見えたのだ。
あの時は単なる見間違いかと思っていたのだが、もしかしたら最初に部屋に飛び込んで来たのは、足元にいる半透明な熊のほうだったのかもしれない。
ボーッと船が汽笛を鳴らす。そろそろ船が到着するのだ。
振り返った男がこちらに気づいて、自分よりも背の高い相手を眺めるために視線を上げた。目が合った瞬間、
「あんた、視えてんのか」
「――え?」
「こいつのことだ」
男が足元の黒い影を指す。ユーフェミアが頷くと、男は、やれやれ、というように肩を竦めた。
「ということは、ヴァニールの生き残りだな。島に来ればいずれ出くわすとは思ってたが、まさか、船の中からもう居たとは」
「え、あの、私…」
「あいつらには黙ってろ。これ以上、余計な詮索はされたくない」
それだけ言って、ユーフェミアのすぐ側を、下船口に向かって通り過ぎていく。
すれ違う時、足元に微かな温度が通り過ぎた。ごわごわとした熊の毛皮の感触も。
ぶつかっても透過するだけなのに、触れた感覚はあるのだ。それが意外だった。
(あいつら、って…)
「あっ、いた! ローグ、ほら、下船するよぉ」
少女の甲高い声。四人の男女は、揃って先に船を降りていく。
(…たぶん、あの人たちのことね)
あの男は、行きずりの三人に余計なことは知られたくないらしい。
どういう関係なのかは気になったが、さすがに、この短時間では尋ねることも出来なかった。それに、もし尋ねても、答えてくれたかどうかは分からない。
ただ、収穫はあった。
(あの熊、見間違いじゃ…無かった)
鞄を握る手に、自然に力がこもる。
(それに私のこと、”ヴァニール”って呼んだ…。)
ヴァニール、というのは、この島にかつて暮らした古い一族のことなのだと、アトリやヘグニから聞いて知っている。
ユーフェミアの祖父や父の一族の名前。父の実家であるクリーズヴィ家は代々、そのヴァニールの「族長」を務めてきた一族なのだということも。
(この島の昔からの住人なら、あれが見える、ってこと? それを知ってるってことは、あの人もこの島に何か関係がある?)
船を降りながら、彼女は、四人組の行方を視線で追っていた。
ここまで三度繰り返し、少しずつ分かってきたことがある。
生き残るために必要なこと。知るべきこと。しなければならないこと。
それは、いつも側にあり、気がつかなければ手に入れることなく逃してしまう。
声をかけたのは今回が初めてだが、あの黒髪の男は、”最初の死”の以前から船で出会っていた。
もしも、あの青年も「生き残るために必要な要素」の一つなら、なんとかして知り合いにならなければ――。
けれど船を降りても、追いついて続きの話をすることは出来なかった。
四人組のほうに向かって人混みをかき分けていたユーフェミアの前に、以前と同じく制服姿の男が立ちふさがったのだ。
「失礼。あんたも、この船でいま着いたところだね?」
「そう、ですけど…私、急いで…」
「島を観光するつもりなら、入島届けを出してもらう必要があります。それと、観光許可証を出して貰わないと…」
「私はこの島の出身です!」
半ば苛立って、ユーフェミアは思わず、そう言ってしまった。
はっとしたように男の顔がこわばり、きょときょとと、ユーフェミアの格好を見回した。
「ええと、そうかい…もしかして、フェンサリルの?」
「そうです。親戚の家に行く所なんです」
「それじゃあ、観光許可書は要らないが、入島手続きだけはしてもらわないと…。お願いしますよ」
制服姿の男はユーフェミアの剣幕に押され、うろたえた様子でもぞもぞとそれだけ言って立ち去ってゆく。
その時にはもう、あの四人組の姿はどこにも見えなくなっていた。
がっかりしたが、まだ希望はある。
あの男とは、このあと一度は確実に会える機会がある。
宿のいちばん端の部屋に泊まれば、警官に追われた男が窓ガラスを蹴破って部屋に飛び込んで来る。その時点ならば、確実に対面出来る。
問題は、その後だ。何をする? 何を尋ねる? どうすればあの男から、生き残るためのヒントを引き出せる?
迷った挙げ句、とりあえずは観光案内所へ行くことにした。
入島手続きだけはしないと、宿に泊まれない。それで、船着き場のそばの、さびれた観光案内所に入った。
もう三度目となる入島手続き書を書いたあと、ユーフェミアは、受付の女性に恐る恐る尋ねてみた。
「…あの、もしご存知だったら、なんですが、この島って、昔…巨人だけじゃなく、小人もいたりしましたか?」
「うん?」
カウンターの向こうの壮年の婦人は、きょとんとした顔になる。
「ああ、えっと…もし、そういう観光地とか、伝承とかあればな、って。私、そういうのに興味があって…」
「それなら、そこに、ほら。絵本があるだろ? 売り物なんだけど、一冊買っていく?」
「あるんですか?!」
思わず声が出てしまった。
「あっ…えっと、すいません…」
「謝ることはないよ。ここは観光案内所だしねぇ」
無愛想だと思っていた壮年の婦人は思いのほか柔らかい笑みを浮かべると、観光パンフレットの隣の棚から絵本を一冊とって、埃を払ってユーフェミアに手渡した。
タイトルは「小人の住むお城と孤独な王様」。表紙には、どこかフェンサリルのお屋敷に似た森に囲まれたお城と、掃除道具や食器や草刈り鎌を持った小人たちが描かれている。
「これ…」
「おとぎ話だよ、大昔のね。フェンサリルの古城には、人間を信用できない城主が小人を使役して、たった一人で暮らしていた――まあ、一部は本当というか、あのお城には、つい最近まで一族の最後の生き残りが一人で暮らしていたんだけけどねえ」
「あっ、あの。こういうの、探していたんです。いただきます…! 他にも、ありますか?」
「うーん、そうだねえ。ちょっと待っといで、確か…このへんに…」
女性が本棚の間を探っている間に、ユーフェミアは、その絵本の中身を素早く確かめた。
(小人をどうやって使っていたの? 使役する方法…っていうか、仲良くなる方法とか、どこかに…)
ページをめくっていた手が、ある場面で止まった。
そこには、小人たちがコップを傾け、楽しそうに飲んでいる場面が描かれている。
『小人たちのお給金は、毎日出される一杯のビールでした。仕事あがりに極上の黄金のビール。王様は、魔法の器からビールを注ぎ出して、小人たちに配っていきます』
(ビール…魔法の器…器…?)
彼女は、思わず考え込んだ。
前回、屋敷を一通り見て周った時には、それらしきものは見当たらなかった。だが、絵本の中では、城主の老人が、金色に輝く杯のようなものを傾けて、小人たちにビールを注いでいる。もし、この絵本のとおりなら、屋敷のどこかに小人たちを従えるための魔法の器があるに違いない。
一体、どこにあるのだろう。書斎か…それとも、まさか台所に? 或いは、財宝として宝物庫のような場所に大事に隠されているのか。
ユーフェミアが考えこんでいるところに、案内の婦人が、奥の部屋から両手に何冊かの冊子や本を抱えて出て来た。
「あったよ。古い売れ残りだけど、一冊ずつ見繕ってきたから、気にいるものがあるて見ておくれ」
売れ残りというだけあって、どれも色褪せて、ずいぶんな年代物のようだ。十冊はあるだろうか。絵本や、一般向けの薄い概要書のようなものばかりだ。
「こんなにあるんですか? 島に観光客って、…あんまり来ないと思ってたんですけど」
「そうなんだけどねえ。この島に何度も来てた学者先生がいて、観光用に何冊かまとめて本を書いてもらったんだよ。」
「へえー…」
ちらと本の表紙を見ると、どれも著者名は「ルベット・グンドゥル」とある。
(ん? グンドゥル…?)
どこかで聞いた名前だ。
手に持っている絵本を見ると、それも同じ著者名。どうやらそれが、島に来ていた学者の名前らしい。
「ちなみにこれ、おいくらですか」
「あんまり売れないし、古くなってるから一冊百リセでいいよ。」
「それじゃあ…」
ユーフェミアは、手持ちのお金のことを考えた。
フェンサリルへの切符は、往復で七百リセ。それを買ってしまえば、残りはもう、幾らもない。今回は食料や日用品をあまり買い込まないとしても、二冊が限界だ。
(この絵本と、あと一冊…)
ざっと本に視線を巡らせた彼女は、ふと、同じく絵本として作られている、「島のおまじない」というタイトルの本に目を留めた。
開くと、すぐに見覚えのある印が目に飛び込んできた。”ヘビよけのおまじない”。畑仕事に出る前に、指で手に印を描く。すると毒蛇に噛まれない――。
それは、紛れもなく、ヘグニの使っていた「ヘビ除けのルーン」だった。
胸の奥で、心臓が、どくんと高鳴った。めくっていくと、他にも同じような印がいくつも出てくる。”暗い夜道で迷わないためのおまじない”、”いなや人に見つからないためのおまじない”、”探し物が見つかるおまじない”…。
ユーフェミアの心は決まった。
「これも、いただきます。フェンサリル行きの切符といっしょに買います」
「まいどあり。ああ、もしこういうのに興味があるなら、フェンサリルの村の博物館にも行くといいよ。あそこの受付やってるのは、あたしの弟でね。昔話には詳しいから」
「ぜひ、そうします。ありがとうございます」
支払いを済ませ、軽くなってしまった財布とともに外に出る。
残りの手持ちはもう、ほとんど無い。宿代と、今夜のぶんの食事代でギリギリくらいだろう。
買い出しにはあとで出るとして、まずは宿を取って、本の中身を確認しておきたい。
観光案内所をあとにしたユーフェミアは、次に、すぐ隣の宿に向かった。
今回は、初回と同じく宿の主人の提案してきた角部屋にそのまま泊まることにする。この部屋にいれば、今夜、船にいた男が飛び込んでくるはずなのだ。
部屋に入ったユーフェミアは、観光案内のパンフレットとあわせて買ってきた本を取り出して寝台の上に並べた。
(さて、と…。)
まずは、小人についての絵本をもう一度、最初から読み返してみる。
絵本だけに、読むのにはそれほど時間もかからなかった。お城に住む小人たちは光に当たると砂になって消えてしまうので、夜にしか出てこない。天井裏や地下室にひっそり暮らしていて、夜の間に仕事をしてくれる。契約を重視する種族なので、契約が守られない時は、主人を害する存在となる…。
(間違いないわね。あのお屋敷にいた小人のことだ。契約のビールをもらえなかったから、私を敵だと思ったのかも)
だとしたらやはり、”死なない”ためにやるべきことは、この「魔法の杯」なるものを屋敷の中から探し出すことだ。
それにしても、この絵本の著者は一体、何者なのだろう。
観光案内所で聞いた話からして、この島の人では無さそうな雰囲気だった。よそ者ならば、なぜ、こんなに島に詳しいのだろう。誰かに聞いたのか。かつてこの島に暮らしていことがあるのか。それに、どこかで名前を聞いたような気もするのに、いまひとつ思い出せない。
絵本は脇に置いておいて、ユーフェミアはもう一冊の「おまじない」の本にも取りかかった。
そちらも、他愛のない、子供向けの絵本のような体裁だ。島に伝わる昔のおまじないについての解説本。”おまじない”とは言っているが、実際には島では「魔法」の一種として使われている。きっとこれが、ヘグニの言っていた他のルーンに違いない。
(ヘビ除けのルーンは、もう見たわね。ということは、他のも島のどこかで使われているものなんだ…多分)
”おまじない”は、どれも「指で手のひらに描く」とか、「足で床に描く」とかになっていた。石に刻んだりはしなくても、決まった形をなぞるだけで効果を発揮するものらしい。
ユーフェミアは、試しに、”暗い夜道で迷わないためのおまじない”をやってみることにした。
(えーと…迷いたくない時はこの模様を道に描きなさい。すると不思議なことに、道が分かるようになります…?)
寝台から足を伸ばして、近くの床にその模様をなぞる。
「これで、どうやって道が分かるの?…」
呟いて絵本から顔を上げた時、彼女は信じられないものを見た。
目の前の床が、ぼんやりと光っているのだ。
「え?!」
思わず声を上げて、二度見した。
見間違いなどではない。印を描いた部分に光がある。
彼女はあわてて立ち上がり、カーテンを閉めた。それから、どきどきする胸に手をやりながら床にしゃがんで、そっと手で触れた。
熱くも、冷たくもない。
でも、確かに光っている。
(どういうこと? 一体、どういう仕組になってるの?…)
壁に目をやり、試しにとばかり、そこに同じ印を描いてみる。
やはり、光った。今度はもっと、はっきりとだ。
ユーフェミアは呆然として、自分の手を見下ろした。
(まさか、あのお屋敷にロウソクもオイルランプも無かったのって…)
住民が、この”おまじない”を使っていたから?
灯芯のないオイルランプは、”おまじない”で光らせるために形だけ置いてあった道具ということなのか?
だとしたら――。
彼女は、慌てて絵本をめくっていった。
”涼しい風を呼ぶおまじない”、”火起こしがうまくいくためのおまじない”、”木こりが固くて太い木に出くわした時に使うおまじない”、”畑の作物がうまく育つためのおまじない”…。
これらが、もし本当にすべて効果のある”おまじない”だったとしたら、それは”魔法”と同じではないのか。
書かれている数は数十種類もある。全てうまく使いこなせれば、それだけで魔法使いになれてしまう。
(どうして、こんなものが普通に絵本として売られているの?)
まず浮かんできた疑問は、そこだった。
こんなに簡単に誰にでも使えるのなら、子供向けの絵本に書いておくには危険すぎる。
そういえばヘグニは、「
ルーンを知っていても、使うためには魔力が必要なのだ、とも。
それなら、答えは一つだ。――他の人たちには「使えない」。
かつて族長を務めたクリーズヴィ家の一族だから、…父の血を引いている自分だから、本当に効果が出てしまう。
船で出会った男の口にした、『生き残り』という言葉が、今更のように重くのしかかってくる。
父の手紙に書かれていた言葉。ルーンを教えて欲しいという内容。
もしも、この絵本に書かれている以上の、もっと強力な”おまじない”がどこかに隠されているのだとしたら――。
それを使うことの出来た一族が、かつては島全体を統べる王のような存在だったというのも、最もなことだと思えるのだった。
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