第9話 再会

 夕方6時前、急に耕二さんが忘れた企画書と取りに戻って来た。

 「真知子ちゃんが、急ぎの相談事があるって云うから、久しぶりに、ちょっと、ス

ヌーカーで会う事になったの…だって、今日は夜中まで録音でしょう…」と言った。


「珍しいねぇ、くる実が外に出るなんて、まぁ、たまには行っといで…」と、耕二

さん。

 耕二さんは、突然のことに、ちょっと驚いてたような表情をしていただけだった。

 バタバタと耕二さんの戻ってからの夜食のおにぎりの支度をしている最中にも、 「あっ、悪い。くる実、この間、中井さんから届いてた、第一校の企画書どこにしま

ったかなぁ?」

 私は、部屋中を駆けずり回って探す。

 ナカナカ見つからない。気持ちは焦る。

 「もう、私、急いでるのに、帰って来てからじゃ駄目?」

 「今、要るんだよ…」

 私は時間が気になって落ち着かなかった。


 結局、家を出たのは約束の、6時半頃だった。

 遅れたので、私は自転車に乗って店まで急いだ。

 自転車だと約束の店までは、5分とはかからなかった。

 小さなライトがはめ込まれたコンクリートの石段を駆け上がって、小さなドアーを

押し開けた。


 「あぁ、お久しぶりですね」といつもの礼儀正しい男の子が言う。 

 私は、返事もそこそこに、店の中を見渡して彼の姿を探した。

 まだのようだった。

 私は、取りあえずカウンターに座って、いつものハーフのカクテルのベシェールを注文した。

 この店は、結婚してからも二、三年に一度一人でフラッと来る場所だった。

 誰もが淡々としていて一見、冷たいようで、それでいて見えない所で気を遣

ってくれるこの店が好きだった。

 店の男の子と、他愛ない会話を二、三交わしたまま、ただ彼を待っていた。

 入口のドアーが開く度に、ドキドキして振り返ってしまったが、彼は一向に来な

い。


 時間が気になった。約束は6時半から7時の間だった。

 もう、時計は7時半近くになっていた。

 時間に遅れるのはいつもの事だった、と思ってみても何年か振りの約束なのに…、

と少し心配になって、会社に電話してみた。

  誰も出ない。じゃぁ、出てるのでしょう。

 ……昔も、こうやって、いつも待たされたっけ……もう、嫌だ。

 何だって云うのよ、あぁ、別れてよかった…

 昔と同じ腹立ちの思いが甦って来ていた。


  それにしても、遅い。

 いつもの気紛れで急に厭になって帰っちゃったのだろうか?

 それとも私の約束の後に、仕事の電話でも入って、私に無断で勝手にそっちを優先

しちゃったのだろうか?

 いろいろな考えが頭を過ぎった。


 『結婚してる癖に、昔の彼氏に会うためにノコノコ耕二さんに嘘付いて出て来て、

スッポかされて、待ちぼうけを喰ってるなんて・・』

 時間が経つに従って、腹立ちの思いが惨めな思いに変わって来た時。

 彼が来た。

  嬉しいような、照れくさいような…気持ちの持って行き場に困った言葉が身体中

にバラバラに散らばったようだった。


 「久し振り」と彼が私の右隣に座った。

 「本当、久し振り」と私。

 私は、まだ隣に座った彼を見つめることが出来ないで、じっとうつ向いてカクテ

ルグラスを見つめていた。

 ただ、少し距離の空いた空間から伝わって来る彼のほのかな体温を感じていた。

 彼はバックの中の物を取り出そうとゴソゴソしていた。

 私は、だいたい何が出て来るか想像は出来ていた。

 きっと薄い黄色のロングピースだろうと…そして、ポンとカウンターの上にロング

ピースが投げ出された。

 私は、ホッと安心して急に距離が縮まったように感じた。


 「相変らず、ロングピースで…」

「ウン」

「何だか、嬉しい。安心した」

「・・・・・」彼は、黙ってそっとタバコに火を点けた。

「それで、家では缶ピース?」

「・・・・」彼は黙って頷いていた。

ここで、彼が外国タバコか何かを取り出していたら、きっと彼を遠くに感じただろ

う。

 ほんの些細なことだけど、 おしゃれな彼の小道具としては外国タバコが似合うだ

ろう、でも、頑固にロングピースなる、人気のないタバコを吹い続けている彼がよけ

いにおしゃれに感じた。

 しばらく何を話したか覚えていない。

 「何を飲んでるの?」と彼。

 「ウン、ハーブが入って、炭酸で割ったカクテル、飲んでみる?」と私は彼にグラ

スを渡した。

久し振りに会ったのに、大胆過ぎるかなと思ったが、何故か私はすんなりそうして

いた。

 彼も、何の抵抗もなくすんなりグラスに口を付けて飲んでしまっていた。

「うん、ナカナカおいしいね」

「そうでしょう、私このカクテルここで教えて貰って、ここでしか飲まないの」

 彼は、取りあえずと白ワインを頼んだ。

「じゃ、改めて」と言って、お互い「久し振り」と言って乾杯した。


「痩せたけど、何にも変わってないよ、さっき後ろから入って来て、すぐに解かっ

たよ」と、彼は嬉しそうに言った。

でも、私の手首を見て「本当に細くなってしまったね」っと、じっと手首を見てい

た。

「どうしてかな?」と私。

「あんまり、物事を深く考え過ぎるからだよ、前からそう云う傾向はあったけど

ね」

「治らないのよ、不治の病に苦しんでるのよ…駄目だね」

「・・・・・・・・」

私は、久しぶりの慣れない場を繋ぐために、妹の手紙「OKAMACHIアルチザン物

語」をバックの中から取り出した。

「ねぇ、うちの妹の手紙よ」

「あぁ、読んでいいの?」

「いいよ、楽しいから…」

「もう、いくつになった?」

「あぁ、妹は 私より9つ下だから今年で34よ。私とあなたが別れた時より、歳とっ

ちゃってるよ…」

「そうかぁ~、もう、そんなになるのか…僕、昔、よく手紙貰ったの覚えてるよ、

あの時は、まだ小さかったよな…」

「うん、20年近く前だから、中学生だったんじゃないかなぁ…」

「そうだよな、まだ、本当にチビちゃんって印象しかないよ」

彼は、感慨深気に薄暗い明りの中で、ゆっくり丁寧に読んでいた。

私は タバコをゆっくり吹かしながら目の前の棚に所狭しと整然と並んだお酒のビンを眺めていた。

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