1.幼なじみはカボチャがこわい/婚約式3日前 「姫様~! どこですか!?」

 長い廊下を走り回る、メイドたちの足音が響いている。


「ふふっ、ここなら絶対見つからないでしょ」


 城の隅にある、3番目に大きな中庭。そのさらに端にある、墓標の佇むカボチャ畑。

 巨大カボチャをクッション代わりに本を読んでいれば、いつの間にかメイドたちも諦めるだろう。


 私のわがままで、彼女たちの仕事を増やしているのは申し訳ないが――仕方がない。だって、婚約式のドレスが黒一色なんてあり得ないのだから。


 それに婚約式はもう3日後だというのに、まだ婚約相手も知らされていない。


「ん?」


 足元の土が動いた気がしたが、気のせいだろうか。


 本に集中したくても、やはり婚約者が誰なのか気になって落ち着けない。

 別に愛のない結婚だ。誰だっていい。でも私の女王を一緒に生む相手だって考えたら、誰でもいいとは言っていられない。


 その人と、身体を結ぶことになるのだから――。


「主治医のジギ先生……いや、パパが信頼する大臣の息子とか?」


 その辺の世代とは、10歳くらい歳が離れている。


 パパは、私がよく知っている人と言っていた。

 それで歳が近いとなると――。


 ふと、幼なじみ騎士のことが思い浮かんだ。

 年が近いどころか、同じ日に生まれた彼。この小説の中のヒロインだったら、『それって運命の相手!?』とか言いそうなものだが。


「いや、ないな」


 ウルは子どもの頃、よく私の後にくっついていた。

「カボチャ怖いよ〜」なんて言っていた、天使みたいな男の子だったが――今では会うたびに私を睨みつける大男だ。

 この国の特別な役職を継いだ、責任の重さがあるのだろうか。

 それとも――。

 思えば、から、ウルは変わってしまった気がする。彼自身の性格も、私への態度も、すべて――。


「でも、あれは私のせいだし……ん?」


 また、足元の土が動いた気がした。

 なんだか気持ち悪い――足を浮かし、巨大カボチャの上へ立った瞬間。


『……オ茶ノ、オ時間デス』

「え――」


 振り返った先にあったのは、誰かの右手。

 それもボロボロの手袋。

 おそるおそる、顔を見上げると――。


「ギャアッ!」


 ゾンビだ。

 思わず、カボチャの上から転がり落ちてしまった。


『ヒ、ヒヒ姫様、オ茶ヲ……』


 腐臭を放つ、ボロボロの人形のような彼は――一昨年亡くなった執事長。

 他にも畑の下から、次々とゾンビたちが這い出てくる。


「そ、そうだ……! 今、『冥府の夜』の最中だったんだ!」


 さっき足元の土が動いたのは、ゾンビが目覚めそうだったから――すっかり失念していた。

 でも、反省している余裕はない。


「オーリウス、待って! お茶いらないから、来ないで!」


 今は、年に1週間だけの『冥府の夜』。死者が帰ってくる期間。

 独り身の下働きたちが埋葬される墓地から出てきたのは、他にも「元メイド」や「元料理番」たち。


 カボチャのランタンを持っていないと、生者は襲われてしまうのに――。


『姫様、コレ、オ召シニ……』

「きゃあっ! だれか、だれかランタンを……!」


 分厚い本を盾にしたが、意味がない。

 革の表紙は、ゾンビの爪に引き裂かれた。


 あ、これ、1回死ぬ――。


 覚悟をして瞼を閉じた、その時。

 燃え爆ぜる炎の音が、ゾンビたちの声をかき消した。


「『業を絶て……無焔むえん』」


 今の詠唱は――。


 黒炎が刀身を焦がす、巨大な大剣。

 それを容赦なくゾンビたちに振り下ろす男――。


「ウル!」


 彼はこちらを一瞥すると、すぐに数体のゾンビたちをなぎ払った。


 あの獄炎が断ち切るのは、ゾンビに残った“未練の残滓”だけ。

 墓から出てきた十数体のゾンビをすべて地に伏すと、ウルは祈りの手を組んだ。


「……お前も」

「あっ……うん!」


 彼の剣術と炎に、つい見惚れていた――。


 ウルに倣って手を組み、彼らの冥福を祈る。

 するとゾンビたちは、静かに土の中へ戻っていった。


 これが『冥府の夜』の風物詩だ。今回は、うっかり死にかけたが。


「怪我はないか?」


 こちらに向けて、黒い手袋越しの手が伸びてきた。


「えっ……」


 こんなこと、初めてだ。

 幼い泣き虫ウルに、私が手を伸ばしたことはあれど――まさかウルが、こうやって気遣おうとしてくれるなんて。


 手が広い。長い指が、私よりもずっと太い。

 顔は――そっぽを向いているけれど。

 この手に触れても、良いのだろうか。


 少しずつ早くなる鼓動を感じながら、そっと手を取ろうとした、瞬間。


「あ……」

 

 指が触れる直前、ウルは手を引っ込めてしまった。


「……『冥府の夜』に、ランタンも持たずひとりで墓場をうろつくな」


 結局、いつもの冷たい言い方だ。

 ウルが手を差し伸べてくれようとしたのは、気のせいだったのだろうか。


(そっか。偶然、私の前に手を出しただけ……)


「ランタンは、ちょっと忘れてただけだし。それに襲われたってどうせ……」


 言いかけたところで、とっさに口を閉じた。


 何があっても“命に危険はない”としても、痛いのは嫌だし殺されるのは怖い。

 ウルが来てくれて、心の底から良かったと思っているのに。いつも怒った様子の幼なじみに対して、お礼の言葉が素直に出てこない。


「……外出するときは同行する」

 

 顔を背けて行ってしまおうとするウルに、ふと手を伸ばした。


(思わせぶりなこと、しておいて……)


 いつもの素っ気ない口調に、今更ながら苛立ちが募る。


 そうだ――。


 足元の小さなカボチャを拾い上げ、ウルの背に軽く投げた。

 カボチャ嫌いだった男の子は、大人になってどんな反応をするのか――ちょっとした遊びのつもり、だったのだが。


「ひっ……!」


 今、普段からは想像もできない声が響いた。


 荒れた畑が、一瞬にして静まり返る。


「もしかして、ウル……まだカボチャ怖いの?」


 固まって黙るウルに、笑いが込み上げてきた。


 これも『冥府の夜』の遊びだ。カボチャをぶつけられた人は、ぶつけた人にカボチャパイを振る舞わなければならない。


「『無焔の番人』が、まだカボチャ怖いとか……あはははっ!」


 だめだ。人の苦手を笑うなんて最低なのに、ウルの赤く染まった頬を見ていると耐えられない。

 ウルは無言でこちらを睨んでいるが、全然怖くない。


「俺が怖いのはカボチャではない!」

「あれ、言い訳? じゃあ何だっていうのよ」

「中に大きな尺取り虫が入っていたことがあった……それきりカボチャを見ると、ゾッとする」


 まさか、あのウルが虫嫌いだったなんて。

「初めて知った」と、笑い混じりに言ったところ。頬の熱が冷めたウルは、荒れた畑へ視線を落とした。


「……お前もその場にいたはずだ」

「そうだっけ?」


 よく覚えていないけれど――これがきっかけで、ちょっとは昔みたいに話せたら良いのに。

 それで、このまま一緒に『冥府の夜』の夜市でも見に行けたら――少しだけ期待した瞬間。ウルは黒いローブを翻し、畑から出て行ってしまった。

「あとでメイドにパイを届けさせる」と、一言だけ残して。


「あ……」


 相変わらず、私との対話を拒むみたいな態度。

 それでも、助けてくれた――。

 いつもだ。私が危ない時、必ずウルは来てくれる。


 ただ、個人的に私が大切だからではない。単に仕事だから。


「ウルは婚約者じゃないんだろうな……」


 どうして私は、残念に思っているのだろうか――。


 ウルは昔みたいに可愛くないし、あちらも私のことなんて、何とも思ってないはずなのに。


 表紙が裂けた本を拾い、ひとり畑を出た。


「あれ……?」


 そういえば。

『冥府の夜』にはいつも、係の誰かが墓場の入り口にランタンを下げていたはずだ。


「どうして今日は……忘れちゃったのかな?」


 こんなに大事なことを忘れるなんて――と思ったが、私も人のことは言えない。


(まさかわざと……ううん、あり得ない)


 もうそろそろ、ランチの時間だ。

 パパが食堂で待っている。




「今年は、パパと一緒に“魂迎え”に行かない?」

「え……?」


 ひと口も料理へ手を付けないうちに、パパはナイフとフォークを置いて言った。

 踊り焼きの黒魔貝が、「まだ食べないのか?」と言いたげに墨を吐いているのに。


「1年にたった7日だけ、ママがお家に帰ってくるんだからね! 楽しみだなぁ」

「それは……もちろん、いくけど。いいの?」


 前女王様の魂を迎えに行くのは、次期女王としての大切な仕事。

 それでも「あの場所はまだ危険だから」と、毎年行かせてくれなかったのに。どうして今更――。


「リリンももう成人だからね。いやぁ、3日後のパーティーも楽しみだよ!」


 そうか。

 私がそろそろ、女王を継ぐから――。

 きっと、女王としての覚悟も試したいのだろう。

 パパは普段、王様の威厳のカケラもない黒髭のおじさんだけれど。王家のしきたりには厳しい人だ。


「うん? 曇り顔が素敵だけれど、心配事ならパパに言ってみなさいよ」


 魂迎えが不安なのではない。

 それよりも。

 今は、どうしても気になることがある――。


「私の婚約者って、どんな人なの?」


 そろそろ教えてくれてもいいのでは――そう、問いかけると。


「ようやく興味持ってくれた?」


 パパは安堵したように表情を緩ませた。

 それも当然だろう。私はこれまで、パパが婚約者の話をしようものなら食事の席を去っていたのだから。


「……もう、逃げられないって思っただけ」


 女王の娘として生まれた以上、20歳になれば逃れられない運命。

 婚約式まで、あと3日。

 覚悟を決めるのが遅すぎたくらいだ。


「候補は4人くらいいたんだけどね〜、きっと“彼”ならリリンも喜ぶんじゃないかと思って」

「私が喜ぶ人……?」

「そうそう! 相手方は、話を持っていったら泣いて喜んでたよ」


(な、泣いて喜ぶ……?)


 ウル――ではないと分かる。


 結局パパは、今はっきりと教えてくれそうにない。

 少し元気がなくなってきた貝を見下ろしながら、思わずため息が出た。


「じゃ、今夜18時にお城の前集合ね!」


 パパとの約束の時間。

 門番ですら酒にカボチャパイと浮かれている門前へ行ってみると――そこには、パパよりずっと細身で背の高い影があった。


「あれ……?」


『無焔の番人』だけが継ぐ、赤黒い刀身の大剣に、禍々しい鎧――間違いない。


「なんで、ウルが……?」

「行くぞ」


 こちらをまともに見ようともせず、ウルは踵を返した。


 パパとの約束場所に、ウルがいた。

 そして彼は、私に「行くぞ」と声をかけ、石畳の坂を下りようとしている。


 どういうこと――?


「早くしろ……」

「あっ、ちょっと待ってよ!」


 本当に置いて行かれそうだ。

 状況を理解する間もなく、昼間カボチャをぶつけた背中に続いた。

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