六章 秘めた想い

第42話 白球

 白球がどこまでも真っすぐ伸びていく。

 そんな錯覚に襲われる時がある。

 自身の投げた球がどんどん回転を増し、ぐんぐんと伸びていく。

 ああ、このまま落ちないのかもしれない。

 そんな気にさせられる時がある。

 もちろん、現実はそうじゃない。

 一定の距離を過ぎれば、俺の視線の先で構えていたキャッチャーのミットに、乾いた音を発しながら収まることになる。

 それでも、指先から離れる瞬間は、この先の永遠を信じてやまないほどの輝きを放つときがある。

 まるで、別れを惜しむように、白球が指先を掴んで離さない。

 俺は、その白球に、その一瞬に、全身全霊を込める。

 そんな時、俺は脳ではなく、心で調子がいいのだと理解をする。

 まるで、野球という存在、俺が投げる白球、それら全てが体に溶け込んでいくような気にさせられる。

 その日はどんなに投げても、自分の理想とする球が投げられる。

 球を受けるピッチャーも、それを見ている監督も、多くは語ることはないけれど、納得感を孕んだ視線を向けてくれる。

 けれど、不思議と自身の中に高揚感はなく、ただそこにそうあれるだけだと感じる。

 自然体、と言えばいいのかもしれない。

 少し残念なことと言えば、時間が限られていることだ。

 どんなに調子が良くても、練習は終わりが来るし、寝て起きてしまえば、昨日の感覚とは違う自分が存在している。

 しかも、調子のよかった日の翌日に限って、調子は悪くなる。

 投げても投げても、白球は言うことを聞いてくれないし、あれほど別れを惜しんだ指先からもまるでそっぽを向くかのようにすっぽ抜けていく。

 苛立ちが募りはするが、それでも日々の自身の変化を感じ取りながら野球と向き合うことは楽しくもあった。

「今は、どうかな」

 俺はこちら・・・に持ってきていた白球を手に取り、庭先の壁に軽く投げた。

 球は、込めた力よりも遥かに力強いラインを描き、壁に勢いよくぶつかった。

 スポーツは心技体、というけれど、心がどうしようもない今なのに、球はあまりにも心地よく飛んで行った。

「なんだよ、それ」

 今の自分にはあまりにも不釣り合いな球筋に、俺は思わず自虐的な笑みを浮かべる。


 ―――だからそうじゃねえって!


 言葉も、そうであるならよかったのに。

 言葉も、心とは違うように動いてくれればよかったのに。

 そうすれば、あんなことを言わないで済んだはずだ。

 俺は、自身が親友に投げてしまった言葉とそこに込めてしまった想いを反芻し、目をきつく閉じる。

 あの時、俺の心はどうしようもなくなってしまった。

 でもそれ以上に、薫が悩んでいることも感じていた。

 俺と出かけたいと言った薫は、少しだけ唇を噛んでいた。

 薫は悩んだときに、唇を噛む癖がある。

 そうであるのなら、俺から聞くべきだった。

 何を思い、何を感じ、何に答えを見いだせないでいるのかを。

 もしかしたら、正解じゃなかったかもしれない。

 それでも、薫は少なからず救われたはずだ。

 けれど、俺は何も言わなかった。

 言えなかった。

 自分を守ることで必死だった。

 自身の想いが漏れてしまうことを恐れて、薫を見ることができなかった。

 薫を、見ることができていなかった。

「何が親友だよ。聞いてあきれる」

 ぼつりと、雨が降ってきた。

 そのまま勢いを増していく雨。

 俺はただ、心に染み込んでくることのない雨を、体に受け続けた。

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