第31話 今を生きている
短い通路を抜けた先から展示が始まっていく。
この水族館の作りは非常にシンプルで、近しい種類の海洋生物が小さな水槽で区切られながら展示されている。
「懐かしー!」
僕は一気に開けた視界の先にある展示スペースに走り出した。
「おお、変わってないな」
後ろから誠も続く。
彼の声からもその感動が伝わってくる。
「修学旅行で来たのが小学校三年生の時だったから七年? 八年ぶりかな?」
「それくらいか。あの時から正直いつ潰れてもって雰囲気はあったけど、受付のおばちゃんの話だと修学旅行とかで固定客確保できてそうだな」
「うんうん。何よりだよ」
僕は水の中をおよおよと泳ぐクラゲや魚を視界に収めながら会話を紡いでいく。
「ほんと、懐かしいな」
「そう言えば聞いてなかったけど」
誠の手が展示ガラスに優しく触れる。
そんな誠の横顔を見ながら、僕は電車内でついた嘘を思い出す。
ここに来たかったのは、誠との男友達としての思い出があるからだ。
もちろん、家の傍にも思い出は溢れているけれど、知り合いに遭遇しない場所でゆっくりと彼との関係を確かめたかった。
二人の関係は、当たり前だけど男同士の友人としての期間が圧倒的に長い。
今はこういう体だし、瑠々もいるからなかなか感じづらくなっているけど、きっと男友達としての思い出がある場所に来れば僕の心もこの勘違いに気づいてくれると思ったから。
そんな僕の心を知ることのない誠は熱心に展示を見つめている。
そう言えば、修学旅行で来た時も他の男子が騒ぐ中で誠だけ一生懸命に展示を見てたな。
僕はそんな誠の傍にいた。
その時はすごく一生懸命に見るもんだなー、と小学生ながらに僕は感心したものだった。
そして今日も、僕はそんな誠の横顔を見つめる。
真剣な眼差しはあの頃と変わらない。
その眼差しと横顔に僕の鼓動は微かに高鳴る。
変わってしまったのは僕の方。
心に刺さった棘が痛い。
「なんか俺の顔についてるか?」
「んん⁉ いや、一生懸命に見てるなって思って」
「あーすまん。せっかく二人で来てるのにこれじゃつまらんよな」
「いいよいいよ。水族館なんて滅多に来られるわけじゃないんだし好きに楽しもうよ。それに、一生懸命見てる誠を見ると昔を思い出せるから、それはそれで懐かしさに浸れてありよりのあり」
「そうか? じゃあ遠慮なく。でも嫌だったら言ってくれ」
そう言うと、誠は再び視線を展示に戻す。
ゆっくりと展示を眺めながら誠は歩を進める。
僕も後ろについて行く。
人気のない館内。
僕と誠だけの息遣いと足音が響いている。
思い出が溢れる空間の中で、僕は今の誠を見つめる。
もうとっくに僕は気づいてしまっていた。
きっと、僕の心は彼のことを想っている。
昔の思い出なんて結局昔のことでしかなく、僕は今を生きていて、今の誠と関係を築いている。
だからこそ、どうしようもなく彼に惹かれてしまっていることに、僕は気づいてしまった。
静かに、湖の底にいるように、息ができなくなりそうになる。
一通り展示を見終わったのは入館から二時間後。
普通に歩けば一時間ほどで見て終わるところだが、時間に追われていない僕らはゆっくりと展示と館内に溢れる思い出を謳歌した。
僕は誠を見つめながら気持ちを必死に隠し続けた。
思い出が徐々に今に切り替わっていく中で、さらに誠に対する気持ちが大きくなっていくのを感じた。
正直、失敗したとしか考えられなかった。
思い出がこうも簡単に今に塗り替えられていくとは思わなかった。
いや、それほどに女の子になってしまった僕にとって、誠の存在が救いとなっていることもあるのだろう。
「よし、飯食うか」
時刻は十一時半過ぎ。
僕らは受付のおばちゃんに一礼して外に出た。
二時間前よりも遥かに高くにいる太陽が、こちらをじりじりと照らしてきている。
日焼け止めは瑠々に言われてから塗り始めたけれど、それでもフレンチスリーブから覗く腕が焼けてしまいそうで怖い。
この白く柔らかい肌は焼けると痛そう。
「でもどこ行こうか?」
朝はおにぎりを食べたけれども、時間帯が早かったせいかとても前のことのように感じる。
いくら僕の胃が小さくなったとしても、当たり前だけれどお腹は空く。
僕より大きい誠は既にお腹がぺこぺこらしく、すりすりとお腹を擦っている。
「それだけど、修学旅行で来た時に気になってた店があるんだ。この水族館に来る途中、ラーメン屋があったの覚えてるか?」
「ラーメン屋なんてあったっけ? 小学生の時は行きも帰りも寝てたし、今回は起きてたけど……」
「起きてたけど?」
「ううん、何でもない。で、そのラーメン屋はここからどれくらい戻るの?」
僕は慌てて誤魔化す。
とてもじゃないが、隣に座る誠の熱に浮かされそうだったとは言えない。
夏の日差しよりも熱くなってしまいそうで僕は手で顔を仰ぐ。
「正確にはわからないんだよな。たぶんそのラーメン屋過ぎてから五分くらいでここに着いたと思うんだけど」
「覚えてないの?」
「いやだって、小学校の頃から行ってみたいと思ってたラーメン屋がまだあるってわかったらテンション上がってさ」
誠は少しだけ恥ずかしそうに頬を掻いた。
「でもバスの中でそんな素振り見せてなかったじゃん。言ってくれれば私だって確認したのに」
「ラーメン屋見つけたくらいではしゃぐなんてなんか恥ずかしいだろ。俺にだってプライドはある」
「なんだそのプライド」
僕は思わず笑みを浮かべる。
終始真面目な顔してるなと思ってたら、そんなことにテンション上げていたのか。
図体のわりに小さな幸せを感じるのが上手い奴だな。
「ま、それはいいだろ。それより行こうぜ。って言ってもバスはないから歩きになるけど大丈夫か?」
「もちろん。バスで五分くらいなら歩いて十五分もあれば着くでしょ」
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