第2話 チトの心残り

 一限目から一日中続いたチトの囁きをなんとか聞き流し、下校時間になった。


 私は昇降口から外に出て、そのままの足で校門を通りすぎる。


 帰路につく途中で、歩みを止めた。


「……ついて来るな」


 振り返ると、そこには怨霊のように私の背後を憑けてくるチトの姿がある。


 チトは「あ、やっと声を掛けてくれたよ……」と肩をすくめる。まるで私のことを物わかりの悪い人間だというような動作にイラっとくる。


 さすがに我慢の限界だ。


「もー、なんでしおちゃんは頑なにわたしとお話しすることを嫌がるかなぁ。わたしが生きてる頃は普通に会話してたじゃん」

「あのねぇ……あの時とは状況が違うでしょ! 毎日毎日毎日ぃ、となりで延々と喋りかけられてこっちは鬱陶しいのよ! 私になにか恨みでもあんのかっ」

「だって生きてる人の中で、わたしの姿が見えて声が聞こえるのってしおちゃんだけなんだもん。あと、さわれる~」

「腕にひっつくな! 私は静かに暮らしたいの! これ以上私の心をかき乱さないで!」


 こいつといると余計な感情ばかりが溢れてきて、落ち着き払った心が揺れるのだ。


 しかし、このマイペース幽霊に察する能力はないようで、


「ごめんね、次からは声量を落とすよ」

「そういう意味じゃねぇ! もうさっさと成仏しろ!」


 そう言うと、チトはどこか神妙な面持ちになる。


「成仏ねー。いずれはしなきゃなんだけど、できない理由があるんだよね」

「……理由? なんか心残りとかあるってこと?」

「うむ。それを晴らすまで成仏はいたしません!」


 チトの心残り。この世に対する未練。何にでも好奇心を向けるたちなので推測が難しい。


 その心残りは何なのか訊くと、チトは「え!? そ、それは……」と珍しく言いよどむ。


「なに? 言いにくいことなの?」

「そういうわけじゃないけど……しおちゃんはどうして知りたいの?」

「そりゃ、早くあんたを成仏させたいからに決まってるでしょ」


 そう言い終わるや否や、チトは顔がぶつかりそうなほど身を乗り出してきた。


「つまりそれって、わたしの心残りを晴らすのに手伝ってくれるってこと?」

「まぁそういう意味にもなる……のか?」


 協力すると言うと不本意だが、こいつから離れてもらうにはそれしかないし。


 チトは何やら少し黙考したあと、


「わかった! 明日話すね!」

「は? なんで明日なのよ?」

「こっちにも事情があるのだ。というわけで今日はもう帰るね、バイバイしおちゃん」


 チトは背を向けて離れていく。が、途中で止まってこちらを振り返り、


「言質は取ったからね! あとでやっぱりやめたはダメだからね!」


 そう最後に釘を刺してから今度は立ち止まらずに飛び去っていく。


 チトの後ろ姿を見ながら、もしかしてまずいことを口にしてしまったかと一抹の不安を覚える私だった。




 チトの心残りについて考えていたら、いつの間にか家に帰りついていた。


 玄関のドアを開いて中に入ると、ちょうど廊下奥の部屋から母親が姿を現した。


 いつものようにやつれ気味の顔色だ。


「……ただいま」


 挨拶をするが当然返事はなく、目さえも合わせようとしない。


 母親はそのまま私の横を通り過ぎて出掛けていった。手に大きな荷物を持っていたので、きっとあそこに行くのだろう。あんな自己中なやつなんてほっとけばいいのに。


 私は自身の心境を察してくれない怒りと悲しみで綯い交ぜになった感情のまま玄関からすぐの所にある階段を上がっていき、二階の自室に入る。


 チトの囁き攻撃を一日中相手にして疲れたし、ひとときベッドで休もう。


 そう思って行こうとしたとき、机の上に投げ出したままになった物が視界に入った。


 ファンタジーの創作物に出てくる魔導書のようにレトロな筆記帳。そのすぐ横には蓋が開けっぱなしになったままの万年筆が転がっている。



『書いてて楽しいの?』



 不意に、過去の言葉とその時の情景が脳裏にフラッシュバックし、胸が締めつけられる。自然と顔が歪んだ。もう今の自分には関係のないことなのに。


 まるで本の中から飛び出してきた鎖が私の体を雁字がんじがらめにするように、しばしその場から動けなかった。


 やがて体を投げ出すように、ベッドにうつぶせになる。


 陰鬱な思考を無理やりに切り替えようと、チトのことについて考えた。


 心残りを手伝う。軽い気持ちで返事をしてしまったが、はたしてよかったのだろうか。


 ついついチトの能天気な性格から忘れがちになるが、あいつはやまいで死んだのだ。普通の人からすれば、それは最悪の結末だろう。


 そうなると必然的に心残りは深刻なものになるはずだ。例えば残された家族のこととか。


 めちゃくちゃ面倒くさそう。気を遣う重たい場面を想像するだけで、嫌になる。


 だがこのまま何もせずに、チトに脅かされる生活を続けるわけにはいかない。ようやくここまで来れたのだ。後戻りはしたくない。


 あまり重く受け止める必要はないか。相手はあのチトだ。悪いが、ただの暇つぶし程度に考えよう。


「…………」


 チトの考えごとが済んだら、また先程の最悪な記憶が頭の中を支配する。


 私はすがりつくように枕に顔をうずめ、早く睡魔が訪れるのを願った。



     ***



 翌朝。


 学校に行こうと玄関のドアを開くと、招いてもいない来客が二人いた。


 私の姿を見た二人はそれぞれ挨拶をかけてくる。


「おはよー、しおちゃん。今日も快晴の良き天候ですなぁ!」

「おはようございます、しおさん。今日も死人のように暗い顔ですね」

「……朝っぱらからうるさいし、いつも眠そうな顔のあんたに言われたくないわよ」


 相変わらずテンションが高くてやかましいチトと、その隣にいる外見が小学生ほどの女の子に文句を言う。


 女の子の名前は、ユウ。といっても本名はないそうで、チトが名付けたものらしい。


 すれ違えば十人中十人が振り向くであろう、かなり目立つ水色のロング髪に、背丈に合っていないぶかぶかの白を基調とした制服を着ている。いつ見てもアニメキャラが現実に現れたかのような出で立ちだ。


 ユウは萌え袖になっている両手で自分の頬をふにふにする。


「ボクのこのキュートな表情を眠そうだなんて……死者の方たちからは結構評判なのですが」

「自分で言うな」

「事実ですので」


 ユウは人の形をしているが人間ではない。その正体は天の使いで、チトを天界(あの世)に案内するためひと月ほど前に派遣されてきたらしい。


 私が会うのはこれで三度目だ。初めて会って説明されたときは、なに言ってんだこのガキは、と一瞬疑ったものの、すでにチトというイレギュラーを見ていたため最終的には納得することにした。ちなみに年齢は私たちよりも遥かに年上(本人曰く)で、幼い姿なのは心が不安定な死者を威圧しないためらしい。


 ユウは小さな欠伸をつく。


「それに今日は本当に眠いんです。昨夜遅くまで、チトさんの無駄話に付き合っていたので」

「むだっ……ユウちゃんだって楽しそうにしてたじゃん!」

「それは死者に寄り添い励ますという仕事の一環なので仕方なく」

「ひど! じゃあ今までユウちゃんとの絆はすべて接待だったということ!?」


 勝手に始まったつまらない漫才に辟易し、私抜きでやってろと二人の横を通り過ぎる。そのまま家の敷地から道路に出て学校に向かう。


 だが、チトがすぐに追いかけてきて私の前に出てきた。


「ストップ、しおちゃん! 昨日のことで話があるの」

「昨日……心残りの話?」

「そう、それそれ」


 立ち止まった私に安堵した様子のチトは、一呼吸置くと、



「わたしと一緒に物語を作ろう!」

 


 大げさに両手を広げてそう言った。前置きが無さ過ぎて意味が分からない。


 その私の疑問を察したらしいユウが代わりに説明する。


「チトさんはこの世に生きた証を残したいとのことで、自分を登場させた物語を作りたいそうです」


 生きた証を残したい、か。


 忘れ去られることを寂しく思う、誰しもが考えそうな心残り。


 チトにしては真っ当な気がした。想定していた重苦しいものよりはいいけど……。


「でも物語を作るって具体的にどうするのよ?」

「それについては昨日チトさんと話し合いまして、チトさんの日常を題材にしたものを小説風に書いて一冊の本に仕上げるのがいいかと。ただ、本の体裁にするのはそれを専門とする職業を通さないといけないので、筆記長などに手書きで記すつもりです」

「うんうん。わたしは物に触れられないから、ぜひしおちゃんに書いてほしいのだ!」

「なるほどね」


 ある単語を聞いたときから私の回答は決まっていた。


「ムリ」


 私の一言に、チトはポカンとし、ユウは小首をかしげる。その様子を見るかぎり、二人とも拒否されることを想定していなかったようだ。


「おや? チトさんからしおさんが協力してくれると伺っていたのですが」

「そうだそうだ! 言質は取ってるから嫌とは言わせないぞ!」

「ムリなものはムリ。というか素人にまともな文章が書けるわけないでしょ」

「またまた~、とぼけちゃって。しおちゃんは素人ってわけじゃないじゃん」

「……あんた、私の何を知ってるの?」


 あのことをチトに話した覚えはない。


 チトはふふーんと得意げに鼻で笑ったあと、ピースにした手を目に当てた謎の決めポーズをする。


「わたしは見てしまったのだよ。あれはそう……わたしが苦しい苦しい病に侵されて命を落とす以前のはなし……」

「笑えない自虐はいいから、さっさと言って」

「ある日の昼休みね、シャー芯が切れたからしおちゃんに借りようと思って、でもしおちゃんどこかに行ってたから、あとで言えばいいかって思って勝手に借りたんだ。その時にノートを落としちゃって。で、そのノートになんか登場人物の設定とか文章がずらーって書かれてたから、しおちゃん小説書くんだ~と思って……」


 私はチトに歩み寄り、思いっきり頬をつねる。


「なに人の机を勝手に漁ってんだオマエぇ……!」


 怒りと恥ずかしさで顔が上気する。


 ポーカーフェイスで否定したかったが、一度だけ間違えて学校に持って行ってしまったことがあったから出任せじゃない。あのノートを他人に見られてたなんて余計に死にたくなる。というか、シャー芯借りたなんて聞いた覚えがないんですけどっ。忘れてたなコイツ……!


「ふみまへんふみまへん……!」と連呼するチト。しばらくしてから離すと、頬を擦りながら言い訳を始める。


「ぐ、偶然だったんだよぉ……他の人には言ってないから許してぇ」

「当たり前よ!」


 クラスで広まりでもしていたら学校にいられなくなる。


 ユウが話を戻した。


「まぁ経緯はどうであれ、しおさんは素人ではないのですね。なら何が問題あるのですか?」

「…………書きたくないのよ」


 まるで書かないことを非難されているように思えてきて、私はそっぽを向いた。


「べつにプロみたいな文章を求めてるわけじゃないから気負わなくても……」

「それならユウに書いてもらえばいいじゃない。あんた、人には見えないけど物には触れられるんでしょ」

「はい」


 ユウは素直に肯定すると、急にバッと両手を上げた。どこから取り出したのか、それぞれの手にメモ帳とペンが握られている。


 そのままメモ帳に何かを書き始める。


 すぐに書き終わったようでページを破り、こちらに渡してくる。


 私はそれを見た瞬間、「なにこれ……?」と眉をひそめた。


「日本語を全力で書いたボクの字です」

「え、冗談でしょ?」


 メモ帳にはミミズがのたうち回ったような文字とも記号とも判別できないものが書かれていた。


「天界と下界では公用語の筆記体が違い過ぎるのです。とくに日本語は漢字やらカタカナやらひらがなと種類が多くて難解なのです」

「つまり、わたしの姿が見える、小説を書いていた経験がある、字が綺麗、と三拍子揃ったしおちゃんが適任というわけです」


 上手いことまとめられて、私は反論の余地を失ってしまう。


 意地でも納得しない私に、


「ま、しおちゃんにも思うことがあるみたいだし、しょうがないか…………未練を残した幽霊は悲しさを紛らわせるように、唯一自分の姿が見える友達に永遠と憑りつくのです」

「くっ……」


 脅しをかけてくるチト。諦める気はないというわけか。


 四六時中チトに付きまとわられる煩わしさとトラウマを天秤にかける。よりどちらが面倒でどちらが耐え難いか。


 しばらく考えたのち、私の出した答えは。


「ああもう分かったわよ! 書けばいいんでしょ書けばっ」


 もう投げやりだ。それにチトさえいなくなればトラウマのほうは自然と解決するのだ。ひとときの辛抱だと思うしかない。


 私の答えに、チトはまるで難関校に合格したみたいに有頂天になる。


「ありがとう、しおちゃん! だいすきだぁ!」

「抱きつくな! ただし完成させたら絶対に成仏しろよ」

「もちのろん! 約束する!」


 ただの協力するという言葉だけではしゃぐチトを押しのけていると、相変わらずの眠そうな表情で経緯を見守っていたユウが「しおさんの了承が取れたところで。これをどうぞ」と上着を捲って取り出したものを渡してくる。


 なんて所に持ち歩いてるんだ、と思いながらも手渡されたものを見ると、それは自由帳で、文具店に置いてある一般的なものだった。


 チトの顔が喜びから一転してこわばる。


「ゆ、ユウちゃん……さすがにこれに書くわけじゃないよね?」

「え、ダメですか?」

「ダメというわけじゃないんだけど、できればもう少しちゃんとしたものがいいかな……」


 これはチトに同情した。あまりにも安っぽすぎる。


 しかしユウは小首をかしげて理解していないようだし、どうやら私たち人間とは根本的な考え方が違うのだろう。


 そこで、自室の机の上に投げっぱなしになっている筆記帳を思い出した。購入してから一度も使っていない。どうせこれからも使う予定はないだろうし、チトにあげたほうが有意義か。


「私が持ってるもので良ければあるわよ。レトロな魔導書みたいなやつだけど」

「うん、それがいい!」


 実物を見てもいないのに即決するチト。やはり不満だったらしい。


 私は自由帳をユウに返して改めて訊く。


「それで。具体的にどう書けばいいの? チトの日常を題材にするっていうのはさっき聞いたけど」

「今日からわたしの周りで起こる出来事をしおちゃんの目線で書いてほしいかな。でも『私は……』とか書くと日記っぽくなるから『成瀬なるせしおは……』の感じで」

「つまり三人称主人公目線ってやつか。ていうか、なんで私視点なのよ? あんたの物語でしょうが」

「いや~、わたし主人公というよりも物語のヒロインになってみたいと思ってたんだよね~。それにほら、客観的に見たほうがわたしの魅力が引き立つかなと」


 よく意味が分からないが、私としてはそのほうが書きやすいからべつにいいけど。


「なんとなくは分かった。じゃあ私は学校に行くから、続きは休みの日になってからね」


 長く話してしまった。早く行かなければ朝のホームルームに間に合わないかもしれない。


 しかし、歩き始めようとした私の腕をチトがガシッと掴んでくる。


「何を言ってるのしおちゃん。物語は今この時から始まるんだよ」


 ──は?

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