第3話



「あらあら、大変、目が覚めちゃったのね」


逸美さんは直ぐに戻ってきて抱きかかえると、


「どうしたのかな。おむつじゃないみたいだし、ミルクはまだですよ~。ママは可南子さんのお茶を淹れてくるからね」


赤子に話しかける逸美さん。


待ってくれ。わたしががめついから、ママと一緒にいられないんだと、赤子に思われてしまうじゃないか、その言い方。


いや、事実そうなんだけど。


「俺が抱っこしてるよ、姉さん」


鼻息が荒くなってるぞ、将流。

しかし赤子はなぜか、わたしに向かって手を伸ばし始めた。


「あらあら。可南子ちゃんがいいの?やっぱり女の子がいいのかしらねぇ。可南子さん、申し訳ないけど、しばらく抱っこしててくれる?大丈夫、首だけ支えててくれれば」


逸美さんはわたしに無理やり赤子を抱っこさせると、そのままキッチンに行ってしまった。


赤子は、何が嬉しいのか、「うばうば」とかなんとかいいながら、わたしの長い黒髪を掴んでは離すという動作を繰り返している。


「あー、いいなぁ、可南子さん。美佳ちゃん、おじちゃんのとこにもおいでー」


将流が必死にアピールするも、赤子は無視。


おい、何故わたしなんだ。わたしはおまえになど、ちっとも興味はないのだが。


「可南子さん、すごく似合ってますよ!赤ちゃん抱っこしてるの、なんか新鮮でいいなぁ」

「お前の感想など知るか。それより、この赤子、本当に髪ばかり弄っているぞ。大丈夫か」

「赤子って言わないでくださいよ。美佳ちゃんって名前があるんですから」

「赤子は赤子だろう。いてて!なんでこんなに力が強いんだ?」

「美佳ちゃん、おじちゃんのとこにも、おいでってばー」 


将流が半ば奪うように抱っこしようとした矢先。 

「ふぎゃ、う、う、ううう……っ、あああああああああああああああ」


ぷぅ~~~~~~~~~~~~~~~ん


「なんだ、この強烈な悪臭は」

「なんだ、って……美佳ちゃん、うんちしちゃったんだねぇ~。姉さん、オムツ変える?」

「あ、やっちゃった?じゃ、変えなくちゃ。将流、こっちお願い」

「合点承知の助~♪」


悪臭を放つ赤子をわたしの腕に残して、将流もキッチンに行ってしまった。


え!?これ、どうすればいいんだ!?わたしはこの場合、何をどうしたらいい?


頼みの綱の逸美さんは、「オムツとってくる」とか何とか言って姿を消した。


悪臭は止まらない。

赤子は泣き続ける。

しかも、わたしの黒髪を握りひっぱったまま。

力だけはめちゃくちゃ強い。

いてて。


何故。

どうして、こんなことになっているんだろう……


本を愛し、謎を愛する、クールな名探偵。

それがわたし。


それなのに。

生まれてまもない生物に、翻弄されている。

悔しい……。

正直なところ、悔しすぎる。

しかし流石に、かわいくもなんともないからといって、投げ捨てるわけにもいかない。


神様、わたし、何かしましたか。お仏壇にと頂いたブドウを、一気食いした罰ですか。でも、あれ、食べないと悪くなってしまうじゃないですか。美味しく食べてもらった方が、ブドウだって嬉しいじゃないですか。


「ごめんね、可南子さん」


救いの女神・逸美さんが現れ、赤子を引き取ってくれた。


ホッとしたのもつかの間。


「帰ったぞー」

「こんにちは」

「お邪魔します」


玄関から複数の声が。続いていくつもの足音が近づいてきた。扉が開く。


「あれ、将流くん、早いね」


先頭の男が笑いかけると、将流は尻尾を振る犬みたいに胸を張った。


「はい、もう楽しみでしたから!」

「ははっ、嬉しいなぁ」


逸美さんがその男に小声で耳打ちする。


「あなた、こちら、例の演舞の――」

「ああ、あの」


……どの?


「あたし、二階で漫画読んでる」

「ちょっとくらい顔見せてからにしなさい」


後ろにいた制服姿の子が立ち去ろうとするのを、母親らしき女性が咎めた。もう一人の男が申し訳なさそうに言う。


「ああ、賑やかですいません」


本当にな。

言いたいのをぐっとこらえる。


わたしは、おとな。


「瑪瑙可南子さん、でしたよね」


先頭にいた、背の高い男性が改めて挨拶してきた。


「逸美の夫の、宮古坂長次郎と言います」

「どうも。可南子です。そう呼んでください」

「後ろにいるのは、弟たちとその家族です。次男の丹次郎、その妻の紡祇、娘の弥生、それから、三男の蘭次郎」

「はぁ……はじめまして」


いきなり紹介されて、全員を覚えられるかっての。そう思いつつも、親族たちを観察する。


探偵の性だな。

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