第2話


***


わたしの名前は、瑪瑙可南子。めのう・かなこ、と読む。都内の片隅で私立探偵事務所を営んでいる、美女だ。年齢は22歳。まだまだ若い部類に入る。というか、この年で自分の探偵事務所を構えているなんて、なかなかのものだろう。例えそれが、叔父の跡を引き継いだだけだとしても。


大学生じゃないのか、とよく聞かれるが、それも間違ってはいない。同じく都内の大学に籍をおいているからだ。もっとも必要な単位はすべて履修済みで、あとは卒業を待つばかりという状況だから、実際に通ってはいない。


探偵事務所といっても、事件を解決することなんてほとんどない。迷い猫を捜してほしいとか、不倫の証拠をつかんでほしいとか、そんなつまらない依頼ばかりだ。そういうのは基本的にお断りしているのだけれど、暇で仕方ない時は引き受けることもある。

依頼人に興味を持ったとき。大抵は、人間観察がしたくなったときだ。


そんなわけで、事務所の経営は赤字続きとなっている。それでも生活していけるのは、一生遊んでも使いきれないくらいの遺産を、両親が残してくれたからだろう。それだけは、あの人たちに感謝しないと、と思ってはいる。


好きな食べ物は果物。世の中、ベジタリアンだビーガンだといった主張はよく聞くのに、「果物しか食べません」という人間はいないものなのか、常日頃から不思議に思っている。言葉すらないなんて、差別じゃないか?わたしは、果物だけを食べて生きていきたい。一度実践したところ、栄養不足で入院する羽目になったので、それ以来自重してはいるけれど。


本を愛し、謎を愛する、クールな名探偵。それがわたし。

それなのに。

何故。

どうして、こんなことになっているんだろう……


***


土曜日。

将流は約束どおり、午前中に車で迎えに来た。いつもの軽自動車――ダークブラウンとホワイトのツートン。将流が誇らしげに『ハスラー』と呼んでいるやつだ。

わたしは依頼ということもあり、スーツで出迎えた。すると。


「可南子さん!だめです。着替えてください」


いきなり、将流にダメだしされた。


「なぜだ。依頼人に会うんだから、こうだろう」

「今日の依頼人は誰ですか」

「えっと……姉の夫?要は、おまえの親戚だろう」

「そうです。それなのに、堅苦しすぎです」

「意味がわからないが」

「赤ちゃんのいる家に行くのに、スーツなんてありえません!依頼とはいえ身内からなんだから、もう少しラフな格好に着替えてください!きっと、義兄もそういうはずです」


依頼人の意見を出されたら、反論できない。わたしは仕方なく、シンプルなワンピースに着替えることにした。――なんだか、納得いかないけれど。


将流のOKが出て、それからようやく目的地に向かう。どうやら東京郊外にその家はあるらしい。


「郊外って言っても、田舎の方なんですけど」


将流の言葉通り、高速道路を降りてからも、かなりの距離を走った。流れていく景色はまだ緑が多いものの、赤や黄の葉が混ざりはじめている。その静けさが車内にまで入り込んでくるようだった。


そうしてようやく着いた一軒の家の前で、わたしたちは車を降りた。それなりに大きな新築の家。細かな窓の配置がおしゃれだ。白を基調とした壁や屋根は、流行なのだろうか。玄関へのアプローチには、小鳥をモチーフにした郵便受けが立っていて、かわいらしさを演出している。表札には『宮古坂』。みやこざか……と読むのかな。

将流がインターホンを押すと、すぐに反応があった。


「将流、よく来てくれたわね!」


出迎えたのは、30歳前後の女性だ。なるほど、これが将流の姉か。


「姉さん、おめでとう!美佳ちゃんは?」

「今、寝てるわ。将流、こちらが……?」


わたしに視線が向いたので、挨拶を。


「瑪瑙可南子です。どうも」


わたしは初対面が苦手だ。というか、対人関係が苦手だ。だから、挨拶が不愛想になってしまう。直そうと思ってはいるのだけれど、なかなかに難しい。


「今日はご依頼があると……いたっ!」


将流に足を踏まれた。


「おい。何するんだ」

「それは後にしてください。まずは、出産祝いです」


デレデレ顔の将流を先頭に、わたしたちは中へ入った。玄関は広く整えられていて、真新しいにおいが漂っている。靴を脱ぎ、スリッパを借りて廊下を抜ける。どうやら、その向こうのリビングで、赤子が眠っているらしかった。


「ほら、美佳ちゃん。おじちゃまがきたわよ」


案内された先には、木枠のベビーベッドが置かれていた。その中を覗きこむと、赤子がすやすやと眠っている。……ちいさな、猿、か?


「かわいいでしょう?」


そう微笑まれたが、わたしにはやはり、猿にしか見えない。とはいえ、その通りの感想を言うわけにいかないのは、さすがに理解している。ので、適当にあわせておいた。


「そうですね~。かわいいですねぇ、手とか……ちっちゃぁい」


将流はというと、デレデレしっぱなしで、『かわいいなぁ』とか『美佳ちゃん、おじちゃんだよ』とか話しかけ続けている。眠っている赤子からしたら、いい迷惑だろうに。


ふと、将流がすっかり忘れてしまったらしい出産祝いがテーブルに置きっぱなしになっているのに気づいた。これ幸いと、両手で将流・姉に贈る。


「ご出産おめでとうございます。これ、二人から」


ちゃっかり、わたしの分も含めておいた。


「まぁ、ありがとう。瑪瑙さん、お気遣い嬉しいわ」

「あ、わたしのことは、どうぞ可南子と呼んでください。苗字で呼ばれるの、あまり好きじゃなくて」

「あら、そうなの?じゃ、わたしのことも、逸美って呼んでね」

「はぁ。わかりました。逸美さん」

「可南子さん、将流とは長いお付き合いなの?」

「へ?あ、あの、付き合ってませんけども」

「あ、そ、そうなの?本人から聞いてたんだけど、どうしてかしら」


逸美さんは気まずそうに笑うと、出産祝いを開け始めた。

名前の入ったお菓子と、ベビーシューズデザインのプリザーブドフラワー、か。将流にしては、いい趣味をしているじゃないか。


「素敵!可南子さん、センスいいのねぇ!ありがとう!」


ん?わたしは選んでないけれど……と言おうとして、「二人から」とちゃっかり申し出てしまったことを思い出した。


そうか。そういう関係でもない限り、二人から、ってやらないのか。ていうか、そういう関係でもない限り、やっぱりこういう場にはいないものじゃないか?将流にはめられたんじゃないか?


思考がぐるぐるし始めたので、出されたお茶を一気飲みした。


「おかわり、淹れるわね」


逸美さんが、すかさず立ち上がりキッチンへ向かう。

その瞬間。


「う、ぎゃ、あああああああああああああああああああああん」


赤子が泣き出した。

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