第40話 南風と猫と空
それはマロ眉のついた白い子猫。背中にハートの形の黒毛がついている。
僕の足元に身体を沿わせ、ふわふわの小さなしっぽを、地面近くでパタパタと振っていた。
秋葉原で見かけたはずの子猫が、何故か、経堂の公園にいた。
「あれ? 秋葉原のあの子やんな? なんでこんなとこまで? えらい遠くまで来たなあ」
「ニャ」
「……ちびさん、どうやって来たん?」
「ニャア」
「ええけど、戻るの大変やん?んー。うちでご飯食べるか?今、ちょっと、ややこしいねんけど、まぁええかー。明日朝、一緒に会社の方に戻ろか」
「ニャッ」
「ほな、名前つけたろ。マロ眉さんやからなあ、音が近いミルで、どや?」
身体を2回揺すったと思うと毛がさわさわと伸びて、量を増し、たちまち僕を覆うほどの大きさになっていった。そしてまだ成長をやめない。
「は?わっ、わあ。なにこれ、ミルさん、待って、ちょっと!」
モコモコと大きくなっていくその足元に、慌てて縋りついたが、その場所だけで自分の身長以上に伸び、まだまだ大きくなろうとする。
午後から強い風が、南から吹きつけていた。
そのあたりのマンションを軒並み見下ろす形になり、僕の手は、じわりと汗をかいた。
薄眼を開いて見ると地面は遠く遥か下にあり、砂煙を巻き上げ、手を離すに離せない。一本ずつが太くなった毛の何本かをまとめてつかみ、強風に耐えた。
そのうち子猫だった生き物は自らの重さに耐えきれず地面に体重をのめり込ませ始め、再びジリジリと僕の位置は下がっていく。
「もう、なんやねん、こんなん猫ちゃうし、ちびさんでもないわー、高いとこ嫌や……!」
下からタカヤナギさんが手でひさしを作りつつ、のんびり声をかけてきた。
「ちょ、おまえなあ。飛び出してった思うたらなんでこんなジャックと豆の木みたいなことしてんねん」
「は? 僕がコレ出したんちゃいますわー」
「いやいや。見てたけど、後ろのポケットから、なんか落としたやろ? そしたら、にゅうっと背丈が伸びてったで?」
「ああー、それ自転車の鍵! 落としたらあかんやつ」
「何しとんねんな。家の鍵といい、自転車の鍵といい。ホレ飛び降りろ」
しがみついていた場所が、地面から数メートルのあたりまで降りてきた。
僕は子猫の足元から勢いをつけて飛び降りる。足元には、確かに小さな鍵が落ちていた。
しゃがんで鍵を拾い上げ、顔を上げると——
さっきまで僕がしがみついていたミルは、四階建てくらいのマンションよりもずっと大きくなっていた。
その脇をタカヤナギさんがすれ違ったかと思うと、ミルはシュウッと金属のような音をたてて、たちまち元のサイズに戻った。
子猫は、きょとんとしてソウジの眼の前に行儀良く座り、くるんとしっぽを後肢に沿わせた。
「は。危なっかしいなあ」
「鍵、なにコレ。こいつが猫を大きくするん?」
「うーん、どうだか。鍵な、つうよりこのキーホルダーか。なんか匂うな」
「ほんまに?臭いん?」
くんくん、と小さなひょうたんの形の飾りのついた鍵を、つまんで嗅ぐ。
「えー?匂わへんけど……」
「あぁ、もうええから、こっちこい!」
••✼••
「僕な、めっちゃ勘違いしてた。鴉は友達や思うてた。あのひと長いことコハルさん追いかけて生きてきたんやから、アンタのこと好きなんやんなぁ。僕と友達やなんて、そら、なられへんわな…」
「ああん?」
「悪いことしてもうた」
「なに勘違いしてんねん」
タカヤナギさんがばんばん、と大げさに背中を叩き、その拍子に、僕は彼の胸に縋るように抱きついた。
(はー……安心できる匂いや)
安堵感で頭がぐらぐらする。その瞬間、首筋に鋭い痛みが走った。
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