第5話 正気と狂気の分水嶺

 12月23日のこと。


 朝、目が覚めて、ぼうっとしたままチサトさんからコーヒーのカップを受け取る。

「あ、ありがとうございますー」


 ひとくちすすってため息をついた。

 しばらくしてようやく、はっと昨夜のことに思い至る。


「え、ていうか昨日のアレ何!?」

「ん? ええ夜やったな」

「楽しかったねぇぇ」

 チサトさんまで!?

「楽しかったねー、やないでしょ!? 俺の倫理観返して!!」

「ああ、堪忍なぁ、ちょっと酔っぱらいすぎたわ」


「ちょっと? ねぇ、ちょっとじゃないよね!?」

「いやー、ごめんねぇ」


「チサトさんも! もー駄目! 心臓に悪いわ。そういうの、ヤメて」


「……興味あったやろ? ポリアモリー言うてやな。人生死ぬまで勉強やで」


「そんな勉強のために泊まったんじゃありません!」


「ほらほら。顔洗え。時間ないで、行くでー、ついてこいよ、道迷うで」


 

 革鞄をかけて、廊下の先の玄関に立つタカヤナギさんを追いかける。


「タカやんセンパイもチサトさんも! あとで説明してくださいよ!」

 


 ••✼••




 しかし治療院へ行くまでの待ち時間、電車に乗ってもバスに乗っても、例によって眠くて眠くて、タカヤナギさんにもたれかかって寝てしまう。乗り物酔いが僕のウィークポイントだ。


「あ……すみません」と起きて謝るも、また泥のように眠りこけ、うとうとして起きて謝り、また繰り返す。

「もうええから、寝とけ」

 彼の手が、がっと僕の頭を抱えて自分の太ももに押し付けた。そのまま駅に到着するまで、しっかり膝枕で眠ってしまった。

 思考回路は止まっているのに、夢の中では先生の声を追い、イメージをなぞりながら色を考えていた。

 先生の欲しいイメージ、優しく患者さんに訴えかける彩り、素材感。患者さんのコメントを書き込むコーナー。温かいコーヒータイム、穏やかで、また見たくなるようなホームページ。柔らかい色を使って、安心感を伝える。

 泥のような眠りの中、仕事の焦りが夢に現れる。早く形に直さなきゃ。いくつもの画像が流れていく。

 

 バスの中で治療院に到着前にしゃきっと起き上がり、すぐさま隣に声をかけた。「おはようございます! 行きますよ!」

「お。復活したな」


 クライアントの意向を拾っていくのは僕の大切な仕事だから、気を抜けない。

 その場でiPadにメモを取り、イメージをざっと立ち上げる。確認して貰い、そこから進めていくのだ。大まかな形を整えて、それを会社に戻ってから細かな企画書に落とし込む。


 ••✼••


 どんな色が好きだとか、どういうテイストが欲しいのか、そういうものをヒアリングするのが、今回の僕のミッションだった。


 今回クライアントからは、アニメーションを多く使いたいと言われていた。

 打ち合わせから戻って、ワイヤーフレームをUX・UIデザイナーに書き出して貰うためのレポートを書いた。

 僕らデザインチームは「美しさ」に重点を置くけど、UX・UIデザイナーは「使いやすさ」を優先することが多い。

 デザインが派手すぎたり、アニメーションの情報量が多すぎるとユーザーにとって使いにくくなる。

 作業の合間に別室のUX・UIチームのミヤニシ統括部長に相談してみた。

 

 僕は煙草は吸わないけど、タカヤナギさんがスモークルームという名のベランダの一角で、部長にはすでにどの部分を削れるかを話していたらしく、いくつか問題点を聞き出してくれていた。

 デザインとUX・UIチームがどんなに頑張っても、最終的にコーディングする開発チームに伝わっていないと、完成形がズレることがある。

 例えば「ここはスクロールで動かすつもりだったのに、固定されてる……」みたいなズレ。


 フォント・カラー・コンポーネントのルールを作り込み、企画書に織り交ぜた。

 デザインチームと開発チームで共有する。

 違和感が出ないように、毎日ミーティング時間を設けてもらおう。

 デザインレビューを定期的に行い、社内で両者が納得する形に調整したい。

 これで社内の調整はひとまず完了。あとは実際に動かしてみて、と。


 ••✼••



 ……クライアントの担当は提案を見つつ、細部に首をかしげている。バナーの色やラインの太さを何度も変えてみるが、どうも納得していないようだった。

 デザインの打ち合わせ中は、目を皿のようにして先生の反応を見て、書きつけてある。つまづいているのは細かなところだ。




 タカヤナギさんは、見かねてモニタを覗き込んできた。


「もしかして悩んでる? そこらへんはクライアントの気分やからなぁ」と言い、プリントアウトした資料を「貸してみ」

 振り返って、にやりと笑う。

「そこを変えずに通すのが営業の腕の見せどころよ」と腕まくりしながら 「さて、やりますか」


 すぐさま電話して、いつものノリの良いご機嫌伺い、それから丁寧に話を聞いていた。資料を見ながらいくつかの後押しするような配置や色の意味を伝え、最後にはほぼ原案どおりで通してしまった。

「はい、ありがとうございます! ではこの案で進めますね! ええ、お気遣いありがとうございます〜」


 彼はスマホを置いて、朗らかな顔で僕に向かってサムズアップした。

「どや? ちょっと一服入れよか。ほぼほぼ出来てるっちゅうことやからな」 


 ••✼••


 すばらしい!

 惚れる——いや、違う。だめ、それは、たぶんだめ。

 ほんまにこんな男前な仕事ぶりで、僕のセクシャリティを揺るがさないで欲しい。

 すべては眠さのせいにして、少しでも健全な明日が来ることを願う。


 しかし健全って何だ? 

『健全な精神は健全な肉体に宿る』と言う。

 原文はラテン語で「Orandum est, ut sit mens sana in corpore sano」——「祈るなら、健全な肉体に健全な精神が宿るようにと祈れ」。

 日本語訳では、ちょっと違和感ある言い回しになってるけど、祈りが先にある。


 今、心も身体も動く喜び、色が見える幸せ、それを僕はただ、形にして残していきたい。そう考えて、そうやって生きてきた。

 それが生きている者の、できることだと思う。


 それは、どこか祈りにも似ている。

 不器用ながら、僕がこれまで拾い集めてきた「伝える方法」を、余すことなく使ってあらわしたい。それが、僕にとってのということだ。


 人間は、感性と理性を備えている。感性がものを生み、理性がそれを整える。どちらか一方ではなく、両方があってこそ、ものは形になる。

 閃きの中に、理性と感性が混ざり合い、仕上がったものを、論理の力で説得していく。それができることこそ、真っ当で健全。


 そして、彼の仕事ぶりは、まさにそのに貫かれていた。

 人間は理性と感性の動物だけど、本当は直感こそがいちばん大切なんじゃないかとも思っている。納得できない問題に、無理に結論を出す必要なんて、どこにもないのかもしれない。

 ……今回の件も、とりあえず保留にして、あとでもう少し考えればいい。そんな気がする。

 LGBTがどうとか、よく言われているけど、正直、僕はそんなに意識してなかった。いや、してなかったはずなんやけど――。

 タカヤナギさんのせいで、なんかもう、わからんくなってきた。

 仕事は仕事。感性も理性もフル稼働させて、やるべきことをやるだけ――のはずやったのに。

 この忙しいさなかに、僕の頭は何してるのやら。


 まるで、終盤のオセロが、次々と裏返っていくような。

 そんな感覚だけが、胸の奥に静かに残っていた。


 そこから、もう僕は目を外せなくなっていた。


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