第3話 縁起担ぎのヒヨドリ邸

 12月22日。

 朝から歯科医院のホームページ制作の依頼が入り、翌日、僕らふたりで出向くことになった。

 ひと月ほど前、病院の先生向けに各種ソフトとAIのセミナーを開催した。

 周知から1週間ほど経つと、使い方に困った先生方が集まり、改めてセミナーが行われた。

 もちろん僕も参加し、操作方法がわからなくなった先生が呼べば席に駆けつけて伝授した。

 僕の会社では、ホームページ制作やゲームアプリ制作だけでなく、ソフトやAIの使い方、canvaでのデザインなど、先生方向けの勉強会を定期的に行っている。

 質問に貪欲な先生方に対し、2時間ほどの講習でだいたいの操作を覚えてもらう。

 その後、「ホームページのリニューアルは?」「イベント用のチラシは?」「スタッフは?」と営業をかけ、案件を獲得するのである。

 その案件をもとに、関東近辺を巡回し、打ち合わせを重ねながら制作を進める。


 ••✼••


 午後から他院での打ち合わせがあるため、出発前に資料をまとめ、アクセス方法を確認した。


「2時間かかるんやて、ココ」

 向かいの席でスマホを操作していたタカヤナギさんが、目を上げて僕に促した。


「うへえ、この治療院、僻地やないっすか。雪で立ち往生とかないっすよね……?」

「だから明日は朝5時起きや。遅れるな、絶対」

「ぐは、死んだ」

 急速に砕けた会話だが、タカヤナギさんの性格がわかり、馴れ馴れしく話しても許されるようだと感じはじめていた。

「おまえ、また調子こいて失礼なこと言うなよ」

 低い声で眉をひそめられる。

「ええー。信用ないなぁ、僕がいつ調子こきましたか?」

「自覚ないのがこわいっちゅうねん」


——前言撤回、許されてはいなかった。

「は? ありませんけど、なにか?」

 思ったことをすっぱり口に出してしまい、鋭い視線が飛んでくる。

「もうええわ。あと、今日じゅうに資料まとめとけ、しょうもない粗相するな?」

「はいっ、がんばります!」

「おまえの“がんばります”は当てにならへん。横で聞いててハラハラするわ」

「すんません……」

 それでもタカヤナギさんは、思ったより晴れやかな笑顔で、僕の肩をこぶしでどんと叩いた。

「まぁ、最後に気に入ってもらえりゃええねん。説明は俺がなんとかやっとくから、がっつりイメージ掴んでこいよ」

「はーい」

「んで、本題やけど、今日ヒヨドリさんとこで接待な」

「へーい」

 返事をしつつ、バスの揺れに身を任せ、ふっと意識が飛ぶ。

 即座に背中をバシバシ叩かれ、呆れた声が飛んできた。

「って、おまえ、バス乗るなり寝るな」

「僕、バス弱いんすよー。起きたままだと吐きますよ? タカやん先輩の膝に。今すぐ吐いてみせましょうか」

「阿呆か、もうええわ。寝とけ」


 ••✼••


 ヒヨドリさんは、編集のお偉いさんだが、仕事場も家も一緒くたの魔窟のような住まいを持つ。

 編集者や作家、駆け出しのカメラマンやデザイナーなど、雑多な人々が集まり、自由に出入りしては飲み会や雑談を楽しんだ。

 天井の高めのマンション一室。広さは30畳ほど。ハシバミ色の床には重厚な模様のギャッベ。壁には、主人が収集した古今の絵画や肖像画、写真がずらり。

 年季の入ったブラケットや赤い重厚扉、猫脚付きダークチェリーの一人掛けソファ。天井からはモロッコ製の吊りランプがゆれ、床にはアンティークなスタンドライトが温かい光を投げかけている。

 傷だらけのチーク材のテーブルと大きな革張りソファが中央に据えられ、壁一面の額縁以外は天井近くまで本棚に囲まれている。

 大小の観葉植物があちこちに置かれ、まるでジャングルだ。

 震災の際には全てが中心に向かって倒れ、角の二棹の本棚に助けられ、難を逃れたという。

 こわっ。


 でも、居心地が良いのでついつい長居してしまう。そんな隠れ家的な場所。

 昼下がりに手が空いた者たちが集まりグラスを手に、めいめいの場所におさまる。 

 誰かが小さな台所で簡単なつまみを作って皿に盛りつけられた。昔話をしたり、ウクレレやバイオリンを奏でたり、本を読んだりして過ごしている。



 僕は、オーナーの趣味で集めた年代物カメラを触って高柳さんにファインダーを向けた。

 この二眼レフ、ローライ・フレックス4.0は、フィルムカメラだから、中身は入っていない状態。シャッターを切ると、ガシャリと心地よい音が響いた。

 一瞬、ファインダーの端に黒い影が横切り、瞬きをした。

 タカヤナギさんは何も言わず、ワインのグラスを傾けた。

 窓の方に視線を向けながら。


「ふはー。これ、シャッター音、やっぱいいっすね」

 オーナーの許可を得て二眼レフを手にした僕を、タカヤナギさんが咎める。

「おい、それ落として壊したら100万やで」

 振り返ると、背後にヒヨドリさんがソファでワインを嗅いでいるのが見えた。

「は? 脅かさないでくださいよ。落とすとこでしたわ」

「年代もんやからな、中古でも手に入らん。弁償も大変やで」

「まじですか、ヒヨドリさん」

「まあな。関内の出店で値切って買ったんや」

「差し支えなければ、いくらですか?」

「60万かな」

「おお~、60万か。僕には弁償は無理やな」


 以前、べたべた触っていたら、オーナーから別の手頃な値段のを一週間貸してもらえた。

 江ノ島の夕陽、富士山、堺川の街明かり、高尾山の紅葉……朝から晩まで撮影に明け暮れ、徹夜して仕事を仕上げた。

 腕はともかく、黒い革張りのがっちりした形と、重厚なシャッター音に夢中になったのだ。

 仕事から逃げているわけでは決してない。

 

 撮った写真が、後の出会いを引き寄せるとは思わず、僕は確実にその道を進み始めていた。

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