第4話 友人

 吸血鬼の男をオレは引っ張り続けているが……行き着く宛は無い。暫く早歩きした所でピタリと足を止めた。


「でも、不法侵入はダメなんじゃ…?」


 キョロキョロ、視線をあちこちに泳がせるが当たりはとっくに暗くなっていて、明かりをつけたままの家は数件しかなさそうだ。どうしたものかと「ンー…」と唸る。服の布がバサリと動く音がして、掴んでいた吸血鬼の身体が離れた。


「あのな…悪魔なら地獄に帰れ!俺は血を吸うか集めるかしてさっさと宿に帰らないといけねぇんだ!君なんかに付き合ってられるか!」


「宿………?」


 首を傾げ、真ん丸な瞳でビターを見下ろす。たった数秒が数分と感じるほど長い沈黙の時間が流れ、ビターは眉を寄せた。


「い、まのは違う!俺も宿がなくて、アレだ…そう!秘密基地を森に作ろうと思ってな!」


 何だかおかしい。この辺りは建物が沢山建っていて森のようにみえる場所はない。視界に霧掛かる程遠くにはあるようだが。またも沈黙の時間が流れ、ただただ気不味いという言葉にぴったりな時間が流れていく。


「人間界に何をしに来たのか、忘れてしまって。地獄に帰る理由もよくわからなくて…?」


 話す言葉に疑問符がついた話し方をする。この状況、ビターよりも何よりも何も分かっていないのはオレ自身である。目の前にいるビターは頭を抱えてバタバタと靴音を鳴らした。


「タップダンス…!お上手ですがもっと動きをつけないと─」


「うるせぇ誰がこんな状況でダンスなんかすんだよ!」


 被せる様に大きな声で怒られる。え、ダンスじゃないの…?怒って地面に当たっているのが正解であるのだが、オレには理解できなかった。とっても音は綺麗だったから。音は。


「はぁーもういいわかった。話の通じねぇやつだってことがよーーーくわかった。んで、自分勝手。距離感バグ、人間で言う所謂陽キャ。救いようねぇな。ほら、ついてこい悪魔。」


 スタスタとオレより先に道をたどってしまうので、「アァ、待ってビター!」と名を呼んで小走りでついていく。



 遠い。遠い場所まで来た。徒歩で約30分。人間界への階段に比べれば疲労感はまるでないのだが。目の前に建てられている建物は豪華とはいえないとても小さな外見だ。古びた扉は閉まりきらず僅かに開いている。ビターは確りと靴を脱いで部屋の中へ入っていった。オレも続いて中に入る。すると、外見とは違い綺麗に整えられた部屋であった。大きなゴージャスなソファー、台所らしき所には可愛らしいリボンのついた箱が沢山並べてある。所々、乱雑に積まれていた。気になったオレは箱をひとつ手に取って、薄く安っぽいリボンを解いてみた。


「オイ!俺のチョコレートに手を出すな、悪魔に与える菓子などない!」


 またも大声。普段からこんなにカリカリしていて疲れないのだろうかと疑問が湧いてくる。かっぴらいた双眸の内側にある瞳はビターと其の箱を行き来する。オレはこれが気になる、というアピールのつもり。


「ふざけんな」


 たったその一言だけ告げて手に取っていた箱を回収されてしまった。眉が僅かに下がるが、精神的ダメージは特に無い。


「自分がビターという名前だから、こんなにもチョコレートを集めてるんですか?ワオ、随分とお洒落な─」


「いや、違うな。」


 話を遮って否定の言葉を浴びれば、首を傾げた。ビターは自分の腰に両手を置き、自身満々な表情で片目を細める。


「俺様は人間界で有名な吸血鬼、普通に血を吸うことに飽きてしまった。最近の若人は食生活がなってない。だから血もドロドロしていて不味いんだ。で、考えた。俺はビターチョコレートが人間の食い物の中じゃ好きな方でな、チョコレートに混ぜて血を摂取すればいいと。」


 ビターは台所に並べてある箱をひとつひとつ、指で確かめる様に指しながら説明する。よく見ると台所にはボウルや泡立て器などが揃えられていて、混ぜる分には充分な環境が整っているようだった。


「吸うんじゃ調理できねぇだろ?だから人間の体を切り落として、溢れ出る血液を袋に詰め、何時でも調理できるようストックしているんだ。」


 上に着ている焦げ茶色のジャケットを掴み内側の布を見せびらかす様にビターは服を広げる。そのジャケットの内側には、パッと見ただけで5袋以上は血液の入った袋が吊るされていた。


「んで、それを繰り返し宿の外でも血の混ぜたビターチョコレートを食っていたら、人間が勝手に通称名称として俺を〝ビター〟と名付けたってわけだ。」


「……なら、本名は?友人の名前は覚えておきたくて」


 軽い舌打ちが聞こえる。何時までも上がったままの口角のオレにビターは片手で調理して置いてあったのであろう歪な形のチョコレートを口に含みながら指差して、


「出会ってたった1時間弱で友人だと?!それに俺に友人はいらん、生きていければそれでいいんだ。この靴も要らん、今日泊まったら大人しく明日地獄に帰れ。」


 そう言ってビターはふいっと顔を背け、ゴージャスなソファーへ身体を横たわらせると瞼を閉じてしまった。足元に雑に落とされた盗んだ靴の箱を持ち上げる。眠気を感じない悪魔であるオレは、眠っているのかもわからない吸血鬼の色白い肌を見下ろす。〝友人はいらん〟その言葉が何故か心の奥に引っ掛かるような気がした。気のせいだろうか。オレにもオレの感情がよく分からずに月明かりが差し込む窓へ黒い手袋をした掌を当てる。


「月…………小さいですね」


 地獄で見慣れた月とはまるで大きさが違う。人間界の月はこんなにも小さいのか。違和感にそんな言葉を零したが、返ってくる言葉はひとつもなかった─。



 朝。

 小鳥達が囀り、朝を知らせてくれている様だ。すっかり眠ってしまっているビターをじっと観察する。視線を感じたのか、日光に反応したのか─薄目を開けたビターはオレの視線に驚いて飛び起き、身体が半分ソファーの下へずり落ちた。


「何ジッとみてんだよ朝から!」


「何で怒るんですか朝から…?」


 とても深い溜息をつかれる。また怒っているのだろうかと不思議そうに様子を眺めていると、どうやら彼は日光に弱いらしく影になっている箇所へ身を潜めた。


「朝が嫌いなんですか?」


 窓の外に輝く日光を横目に問い掛ける。ビターは目を逸らして、床の隅にも並べられているチョコレートの箱を開けるなり数個口に含み咀嚼した。


「…吸血鬼ってのは日の光が苦手なんだ。だから夜のうちに栄養を摂る。だというのに君が邪魔してくれたお陰でどうだ?調理の時間もなければ、新たな血を集めることも出来なかった。また夜まで時間を無駄にするんだ。…なにもやることなど無いのに。」


「なら…オレと地獄へ行きますか?」


「は……?」


 驚いた瞳で此方を見上げてくるビターに対して、「え?」とオレも小さく疑問を音にした。


「だって、やることないならいいじゃないですか」


 そう言ってみると、視線を泳がせたビターは身体があまりにも重いのかフラフラとしながら立ち上がる。


「地獄はずっと夜だしな…まぁ、一度ならいいだろう」


 何故、ずっと夜だということを知っているのだろうか。地獄に顔を出したことがあるのか…?そう思いながらも、にっこりとした笑みを向けて忘れ物をしない様に靴の箱をビターに無理矢理持たせ、オレは彼を抱き上げた。


「は?!何のつもりだ君は…下ろせ!」


「身体が重たいならオレが連れていきます。」



 そうしてオレはビターを抱き抱えながら人間界へと続く階段の前まで来た。マンホールの中に入り日光からは隠れる為、彼を下ろして先に真っ白な階段を下っていく。


「………………オイ」


 約数時間の時が流れる。流石は悪魔の身体、1度目こそ疲れたものの2度目の階段はそんなに辛くは無い。下りだからか?どちらにせよ楽だ。


「オイったら!!!」


「ハイ!ビター!」


 余裕そうに顔だけ振り返ると、ゼェゼェと呼吸を荒らげて階段に座り込むビターの姿。疲れてしまったのだろうか?


「少しは休憩させろ…1日かかるこの階段をそんな半日で下りそうなスピードで進むな!」


 大声が出せるなら、まだ平気そうだが。然し一日かかることも知っている。きっとビターは1度でも地獄へ足を踏み入れているんだろう。


「詳しいんですね、地獄を知っているなら何故人間界に住んでいるんです?地獄ならずっと夜でしょうに」


「吸血鬼は死者の血液じゃ古すぎて栄養が摂れねぇ。生きた人間の血じゃねぇと。それに………………つか、疲れてんのに説明させるな」


 それに?まぁしかし、そういう事か。何となく理解して容赦なく階段を下り置いていく。文句を言いたそうな唸り声が背後から聞こえる中、何時間も、何時間も掛けて。

 


 約1日をかけて、階段を下った。真っ赤な大きい満月、真っ赤な空に歪な建物。怒鳴り声や虫の声が煩く響いているが、地獄では普通の日常だ。道を歩いていた死者達がオレの存在を避けるかのように建物へぴたりと身体を寄せて震えている。オレは口元に手を添えて、大声を地獄へ響かせた。


「アルバート・D・テッド、ただいま友人を連れて帰還しました!名をビター!」


「は?!テッド、貴様……!!」


「はい?」


 またもや何故急にそんなに怒った顔をする?と思った矢先、耳の奥へと鼓膜を通して死神の声が聞こえる。


「お前、ビター君を連れて帰ってきたのか?!悪魔達が寄ってくるぞ!」


 なんの事かも分からずただ頭上に疑問符を並べたが、それも直ぐにわかる。低級悪魔から上級悪魔までもが地上から瞬間移動をしてオレとビターを捕まえる様に囲った。其の中には人間界に行く前話した老人悪魔も居る。彼等は悪魔の本能をむき出しにして瞳を赤く光らせていた。


「人間の血を持っているビターが戻ったぞ!今直ぐに奪え!」


 人間の血が欲しいのか…?そう思った時また耳の奥で聞こえる死神の声が鼓膜にキンキンと響く。


「それよりアルバート、お前人間の食材はどうした?!レストランは?いやそんな事より!友人になったんだな!人間が相手じゃなくて安心したよ、いいからさっさとビター君は俺の所に─」


「友人に触るな!!」


 悪魔達はビターの方へ素早く接近しジャケットの裏に吊るしてある血液の袋を奪おうと手を伸ばしてくる。オレはビターを肩に担ぎ上げ、尖った耳に生えていた小さな悪魔の羽を大きく広げ、空高く舞い上がった。其の翼は漆黒で、筋は赤い稲妻が走る様な外見。翼の先には棘のような出っ張りがある。月明かりで赤く光る雲がオレをさけているかのように蠢く。ビターは目を見開いて背しか見えない角度からオレを見詰めた。


「テッド…助けてくれるのか?」


 オレは喋らない。集中して悪魔達から距離をとることで必死だった。普段から笑っていた口角は下がり、赤い瞳を満月の逆光に光らせる。


「てか飛べたのかよ!!あーー!いいからさっさと隠れるぞ!」


 其の声を聞いたオレは、迷うことなく地獄の奥の方へ位置する∞レストランの建物まで飛び立った。場を離れたことで人間の血液の臭いを感じなくなった悪魔達は、本能を忘れたかのように何故ここに集まってるんだ?なんて言いたげに互いに首を傾げている。

そしてレストランに着いた頃、店の入口を開けては中に手招いた。先程まで大きく拡がっていた翼は元の小さなサイズへと戻っている。


「ここは…?陰気くせぇ場所…」


「ここはオレのレストランです。」


「誰もいねぇけど?」


ビターの声を無視するかのように台所に続く大きな扉を開け、その先の冷蔵庫を開ける。食材が少なすぎる。ここに来てやっと、食材を取りに行ったのだった、と思い出した。


「チッ……これでは死者を喰らえない…」


小さく舌打ちをする。オレの目は今、酷く鋭いだろう。ビターは腕を組んで壁に寄りかかり、そんなオレを眺めて小さな声で問い掛けてきた。


「まるで態度が別人だな。本能に遊ばれているのか?人間が好きなように見えたが、ここじゃそうでもないんだな。俺は、そんな君の方がハンサムで気に入るが」


「人間が好き…?そんなわけが無いでしょう。オレは悪魔。愛情なんて持ち合わせていません。ああ、しかしその靴の箱。」


「あ…?」


そういえば、とビターに持たせたままの靴の箱を指さした。ビターが眠る間、彼の宿のカレンダーには今日が誕生日と記してあった。


「あげますよ、誕生日でしょ?その靴、本当に似合ってませんから」


クス、と笑って双眸を細める。ビターは自分の靴に目を遣って、似合っていないという言葉に眉を寄せたが心做しか嬉しそうな表情をしている。


「そうか、それは…ありがとう。大切にする」


「…地獄ではビターは狙われてしまうんですね。人間の血の臭いがするから。」


彼の方に目をやって、冷蔵庫の扉を閉める。ビターは床の一点を見詰めて、小さく頷いた。静かにその姿を見守ると、オレは彼の肩に手を置いて問い掛ける。


「では、日光は大変ですがオレと人間界で暮らしましょうか。」


「は?いや…冗談だろ?またあの階段を、今度は登るというのか?少し休憩してからでも…」


「いいえオレには翼があります!靴落とさないでくださいね、やっと翼の使い方がわかりました、多分!」


今度はオレが言葉を遮って、ビターの身体を抱き上げ小さくなった翼を広げてはレストランの外から空へと飛び立って、人間界へ続く階段を一気に見下ろせる程飛び昇った。

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