【30分読破シリーズ⑪】赤組のアンカーと俺の応援団長

アキラ・ナルセ

第1話 アンカー

六時間目の後のホームルーム。黒板の前には、でかでかと「体育祭・クラス対抗リレー メンバー決定」と書かれている。


俺――相馬翔そうま・かけるは、窓際の席で配られたプリントを持て余しながら、なるべく目立たない呼吸でやり過ごそうとしていた。


「じゃ、第一走は……太田でいい? いいね。んで、アンカーは――」


担任が笑顔で教室を見渡す。視線が泳ぎ、俺はそっと俯いた。頼む、気づくな。俺は速い方だけど、あくまで“体育の時間レベル”だ。カメラの前で派手にこける自分の姿が脳裏をよぎり、胃がきゅっと鳴る。


「アンカーはやっぱり翔でしょ! 相馬翔!」


弾ける声。教室の後ろから、早瀬菜月はやせ・なつきが手を挙げている。赤いゴムで結んだポニーテールが、ぴょんと跳ねた。


応援団長の腕章を巻いた彼女は、いつだって明るくて、前を見ている。俺の幼なじみ。小学校のころ、徒競走で一緒にゴールテープを切った人だ。


「え、いや……俺はさ……」

「翔、走るの速いじゃん! 去年の持久走も学年三位! ほら、立候補ってことで!」

「立候補という名の他薦な?」


ざわざわと教室に笑いが広がる。俺は苦笑いの形に口を曲げ、背中を椅子に預けた。逃げ場が、ない。


「相馬でいいか?」と担任。

数人の男子が「異議なしー」と茶化し、女子の数名が「がんばれー」と手を振る。

拍手が起きるたび、胸の奥で小さなため息が増えていく。


(……恥、かきたくない)


やがて先生が無情に言った。


「よし、じゃあ相馬。アンカー、任せた!」


俺は仕方なくもうなずいた。押し切られる形で――いや、たぶん、背中を押されているのは分かっていた。


先生がコツコツという音を立てながら黒板に俺の名前を書いていくのを見て、現実味を帯びていくのを感じていた。


* * *


放課後のグラウンド。

夕焼けがトラックの白線を朱に染める。サッカー部の掛け声と、どこかのクラスの応援練習の音が重なる中、俺は一人、直線を往復していた。


腕を振る。歩幅を合わせる。地面の反発をもらう。

頭で分かっていることを、身体に落とし込む作業は地味だ。息が熱い。喉が乾く。


「おーい、翔!」


フェンスの向こうから、やっぱり来た。菜月だ。応援団長の腕章は外しているが、声のボリュームは応援団長そのまま。手にはスポーツドリンクが二本。


「はい、差し入れ!」

「……おう、ありがと」


キャップを回す手つきがぎこちなくなる。菜月の前だと、いつも調子が狂う。幼なじみで、隣の家で、喧嘩もしたのに――最近は、目が合うと少しだけ心臓がうるさい。いや、まぁこれは走った後だからか。


「なんか顔、暗いね。もしかしてアンカーだからって緊張してる?」

「まあ、な。……正直、アンカーってのが重い。こけたりしたら終わりだろ」

「こけないよ、翔は」


あっさり言い切る。迷いのない声。


「自信、持ちなって。足が速いのは才能だよ。翔の足は、ちゃんと光ってる」

「……なんだよ光るってそりゃあ言いすぎ」

「言いすぎじゃない。だって私、ずっと昔から見てるもん。運動会の時さ、翔が走ってゴールテープ切る瞬間、空気が変わるんだよ。“行ける”って思わせる空気。あれ、才能だと思うんだ」


思わず笑ってしまう。

才能、ね。俺はただ、走ってきただけだ。足が速いのだってただの生まれつきで努力して勝ち取ったかと言われると怪しい。


「……でも、怖いよ。期待ってさ、外したときにいちばん痛い」

「痛いのは私も同じ。応援団長なんてやって、声枯らして応援して、味方が負けたら責任感じるもん」

「菜月もそうなんだ」

「私をなんだと思ってたの?」


彼女は冗談っぽく怒ってみせた。


「……翔のプレッシャーは半分、私が持ってあげる。その代わり勝った時の喜びは、二人で二倍にしよ!」


菜月はそう言って、俺の肩に拳をこつんと当てた。

軽い衝撃が、胸のどこかの結び目をほどいていく。


「菜月……」


「じゃ、もう二本。スタートだけ合わせて走ろ?」

「え、今から?」

「今から。さ、立って!」


結局、俺は笑いながらスタートラインに立った。

夕日が傾き、影が二つ、白線の上に伸びる。

「よーい、どん!」の菜月の声。俺は地面を蹴った。風が頬を撫でる。横で菜月が数歩だけ並走して、すぐに止まって笑いながら手を振る。


「ほら、やっぱり光ってる!」


ばかだ。けれど、その“ばか”が、心地よいと思ってしまう自分がいた。

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