【テラ・レギオンズ】

天野

【駆ける少女】

 走り出す。風が、身体を突き抜ける。

 走り出す。思考も、心も、何もかもが抜けていく。

 走り出す。人々が視界から抜けて、世界が私一人になる。


(気持ちいい)


 ただひたすらに風と、スピードを感じるだけの世界。

 

 世界の中で、私はずっと無心で生きていたかった。


 だけど、そんな純粋で、脆弱な考えで、世の中は生きていけない。


 私は――そう、思い知った。



麻葉あさは、先輩の代わりに出ることになったんだって?すごいじゃん!」


 中学二年生。綺麗な黒髪のショートヘアの少女『地宮麻葉ちみやあさは』は、三年生の先輩の代わりに大会のリレー種目でレギュラー入りをたした。


「……」


「どうしたの?」


 レギュラー入りをしたというのに、麻葉の表情はくもっており、むしろ嫌な気分だ。


「先輩に泣かれた。『私の分まで頑張ってくれ』って」


「え~いい先輩じゃん?」


「なんかなぁ……」


 その時、麻葉は初めて自分の走る理由に【黒】を入れてしまい、変な気分になっていた。


 ただ、清々しく真っ直ぐな気持ちで走っていたかっただけだというのに。


「どうしろっていうんだよ」


「ふーん?」


 胸の中の透明な水に、もやのような黒いにごりがただよっている。


 そんな気分になってしまった麻葉は、気持ち悪く、モヤモヤした気分になっていた。


「難しいなこういうの」


「まっ、頑張ればいいんじゃない?」


「そう、だな」


 気持ち悪さを抑えるために、走り出す。


 他人も、気持ちも振り切るように、ずっとずっとずっと。


「麻葉、休め」


 大学から帰って来た兄の『地宮光冴ちみやこうが』が、家の玄関で走りだそうとしていた麻葉を止めた。


「なんで?」


「友達から聞いたぞ。朝も昼も夜も、授業と学校以外ずっと走ってるだろ。やめた方がいい。いつか壊れるぞ」


「……ああ、分かった。やめるよ」


 兄の言う通り、必死にベッドで寝転んでも、胸の奥がざわざわして落ち着かない。


 ――走らないと、黒い何かが胸の中をきむしる。


「わ、私の分まで、頑張ってね……」


 あの時の先輩の言葉。それは『先輩としての言葉』だった。


 だが、身体は違う。


(痛い)


 腕にしがみ付き、力を込めて、目は必死に笑おうと涙を流しながら引きつっている。


 引きつった目から垣間かいま見える瞳は、墨のように黒い心で塗りつぶされていた。


「はぁ……」


 抱きしめられた時の痛みを思い出す。


 それに抗うように自身の体を抱きしめて、その温かさで痛みを和らげる。


「【走りたい】」

 

 純粋に、ただ自分のためだけに。


 そう恋焦がれるように、麻葉はこっそり家を抜け出して、走り出した。


 

 ――結局、麻葉は走るのを止められなかった。


 痛みを忘れるため、純粋さを取り戻すため、麻葉には走ることしかできなかった。



 そうして大会の日。


(痛い)


 それは、心の痛みなのか。

 それとも、幻覚の痛みなのか

 あるいは、本当の痛みなのか。


 何も分からない中で、バトンを受け取り駆け出す。


 視線が歪む。泣いてるのだろうか?


 いや、泣いてない。【走らなければならない】。


(何のために?)


 ――分からない。


 ふらつく体。走っている中で麻葉の中の【ナニカ】が崩れていく。


(バカだったな私)


 倒れかける身体。思考が不思議とさえ渡る。


 先輩の迫力の負けて気負きおい過ぎた。あんなのほっとけば良かった。


(間違えた、な)


 地面が近づいていく。そんな中で足に更に痛みが走る。


 麻葉の足が、ふらついたせいで横の選手の前に飛び出てしまったらしい。


 その選手はそのまま麻葉の足を踏んでしまい、呆然と立ち尽くした。


(これが、罰ってやつか)


 純粋な気持ちを忘れ、誰の言葉にも止まらなかったモノの罰だったのだろう。


 麻葉は倒れたが、誰を憎むこともなかった。


 足を踏んでしまった選手も、先輩も、友達も、兄も、誰も。


(風が、地面が心地いい)


 何故なら倒れたことで、自分の気持ちを取り戻せたから。


 純粋に、走り出したあの頃の気持ちを。


 ただ――悔いがあるとすれば。


(もう、走れないかもしれない、な)


 今、こんな気持ちになれたとしても、後の自分はどうなるだろうか。


 ずっと走って来た自分に、それ以外の喜びが何かあるのだろうか。


(……気持ちいい)


 だけど、今はただ純粋な風を感じていたい。


 そう、麻葉は目を閉じて、笑った。



 ――しかし、これだけで物語は終わらない。


 これから麻葉には、この事件をきっかけに様々な試練が襲いかかる。


 その試練たちは、麻葉にとって避けていた事実があばかれていく。


 その試練の舞台は【テラ・レギオンズ】。


 麻葉がその名を知ったのは、光冴からのプレゼントがきっかけだった。 

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