【BL】ただの宝石に愛を見る

大外内あタり

第1話 電話越し

ゆいちゃん、これも頼むわ」

 とん、と置かれた書類を見て、抗議の目線を送るが同僚は「はは」と笑うだけで、背中を見せ、帰っていく。飲みでも合コンでもなんでも行くがいい。

 なんとなくそう思って、書類を手に取る。

 ただの数字を入力するだけの簡単な仕事だ。

 なぜ、こんな仕事を押しつけて終業の三分前に出て行くのか。もう少し、なにかないのか。最低限、終業過ぎとか。

 それでも押しつけられているのは当たり前で、もっと怒った方がいいのだろう。

 できない。それができないから舐められるのだ。


 就職して三年経つ。その間に、僕は舐めていい存在になり、上司も同僚も部下も誰もが自分の仕事を、にやにやしながら預けていく。そして純粋に「じゃあ、この人に預ければいいや」そんな声も聞こえてくる。

 そんなことばかりで、僕の仕事と気持ちは解離していく。

 でも、働くのは、ここで離職しても次があるか分からないし、舐められているだけでいじめやら陰口やら酷いことはされていなからだ。

 しかし、押しつけも酷いことじゃないか、と言われると、そうかなと目をそらしてしまう。


 ここで苦痛ではなく、当たり前だと思ってしまうのが僕の悪いところなのだ。

 自覚はしてる。でも、直せない。

 幼い頃から、そんな感じだった。

 幼稚園では他の子のお片付けも手伝ってくれる優しい子ですね、と事実、褒めるところがないと言われ、小学生の時も友達に優しいく先生の仕事も手伝ってくれます、と教師の観察力はなく、中学生になったときは、書類整理やノート集め、教師までもこき使われ出した。

 高校になって捻くれてやると決めたが、両親は「手がかからず、ここまで育ってくれてありがとう」と思春期に感謝されることになり、友人は友人らしからぬ、勉強教えてだの、何々も一緒に買ってくれだの。一歩間違えればパシリ、いじめが起きるところである。


 そんなことばかりで、心が死んでいた時に出会ったのは『陸上』だった。

 一人で歩き、一人で走り、記録は出なかったが、一人で頑張れる。それが嬉しくて、高校時代は、それに人生を捧げていたと言って過言はない。

 今も朝と、時間が合えば夜に走っている。

 足と風と道は、僕を舐めない。ただ事実だけを教えてくれた。


 さてと押しつけられた書類をしっかり見ると定型文に数字を入力して上司に送るもので、たった十分程度で出来そうなもの。

 あの男は押しつけの常習犯であるから、声をかけられたら「あ、押しつけられる」そう頭の中が覚えている。

 一応、大きな仕事を任されたことはない。上司にチクられるのが嫌だと感じては、いるのだろう。さすがに舐めりに、クソ舐める真似はしてこない。


 わざとため息をついて机の上にある携帯を見た。

 時刻は十九時。

 携帯を持ち、残りの仕事と仕事を片付けるには三十分ぐらいか。

 はー、と背もたれに身体を押しつけて、ぼんやりと天井を見た。

 僕の、結晶ゆいあきらのプライドは、どこに行ったのだろう。

 一応、あることはあるが、自分のための人生が、自分のためじゃないようで、疲れたと思いつつ、こんな自分で、この先、生きていけるのかなと情けなく感じる。


 情けない、自分はこんなにも舐められて、そう劣っているような気分になり、慌てて首を振った。

 今日は「あの日」

 大きく息を吸って、自分の仕事と押しつけられた仕事をパソコンの画面を見ながらカチカチと打ち込む。

 ありがたくも、今日の上司は早めに帰ったので、やり直しの一言はない。

 だからこそ、早く帰りたかった。

 早く終わらせて指定の時間に余裕を持って準備し、待っていたい。

 心の準備も終わらせて、ベッドに寝転がり、電話をしたい。


 数字を入力していると遠くに近くに「おつかれさま」という声が聞こえて、さらに同僚が憎く感じる。

 あいつ、あいつ、あいつ

 いや、ここで心が折れるべきではない。

 電話の人、あの人がいてくれるのだから捨てる人生はないのだ。


 先週のことを思い出しながら、心が躍る。

 このために生きていると言って過言はない。

 あの人、電話越しの「セキエイ」さん。


 出会い系のマッチングアプリで出会った人。


 仕事が出来上がり、帰る準備をして、残業決定の人たちに向けて「おつかれさまでした」と声をかけた。


 絞り出した「おつかれさま」に見送られ、上着の内ポケットに携帯をしまい、鞄を胸に抱き、僕は仕事部屋を飛び出して節電と言われた薄暗い廊下を足早に通る。ちょうど来たエレベーターに身体を滑り込ませ、くんと重力を感じながらの「今日」への高揚感は最高だった。


 出会い系マッチングアプリ。

 ……僕は同性が好きだ。

 今までの人生で男性と付き合ったことはない。もちろん、女性とも付き合ったことはない。

 性格もあって「いい人」止まりの僕に「恋人」を作ることはできなかった。

 仕事のストレスで自暴自棄になった僕は、誰でもいいからとアプリを登録して、待つこと五分も経たないうちに「40」から始まる不思議な番号に出会い、恐る恐る電話に出た。

 本当ならメールから始めるというのに、その時の僕は驚きと興味と欲で通話ボタンを押し、藁にでも縋る気持ちになっていたのである。

 そして電話越しにいたのは「セキエイ」さん。

 ハスキーなボイスで、ザ・男みたいな、想像で身体がしまった素敵な人だと妄想しつつ、週に一回、電話越しで会っている。


 これが会っているとは言えないかもしれないが、僕にとっては一週間で一番の楽しみなのだ。 会社から外に出て、足早というより競歩に近い足取りで、会社から三十分の我が家へ向かう。

 途中のコンビニで軽食を買い、会いたい一心に歩く僕は輝いていたに違いない。

 割高なマンションについて、鍵を出して扉を開く。そこは唯一「結晶ゆいあきら」の場所だ。


「ごはん……いや、お風呂」

 鞄を置いて上着を脱いで座椅子にかける。ネクタイにシャツ、ズボン、下着一つになったなら、ベッドのサイドテーブルに携帯を置いて引き出しからローションを取り出して風呂場に向かう。


 そこで下着を脱いで、洗濯籠に放り、扉を開く。

 蓋付き浴槽の上にローションを置いて、ささっと頭と身体を洗い、シャワーを止めてローションを手に取る。


 ふう、はあ、と口にし、左手にローションを垂らして器用に片手で混ぜた。

 左足を浴槽のはしに置いて、

「――ん」

 いじる。

 快感を得るには時間がかかるそこを目を瞑って一心不乱にいじくり、時間までに十尾をする。

「――せきえい」

 名前を呼びながら弄っていると、妄想のセキエイの指に犯されているようで気持ちが高ぶってくる。

「くぶ」と音が聞こえたところで指を抜く。

 これ以上は、あとに響くのでやめ、シャワーのスイッチを押してお湯を浴びた。

 手も洗い、全身にお湯を浴びて風呂場から出る。


 常備しているタオルで身体を拭いて半袖と下着を着ると夕飯も食べていないのに歯を磨いてドライヤーで髪を乾かす。

 鏡の中の自分は、お湯のせいか簡単な前戯のせいか赤っぽい。

 これからも使うローションを持ち、慌てて風呂場から出て携帯の画面を光らせる。

 まだ余裕があって、ほっとしながら準備を始めた。


 再びサイドテーブルの引き出しから「おもちゃ」を取り出す。

 大きめのディルドだ。同時にコンドームを出してベッドに横になる。

 そう、僕はセキエイとテレフォンセックスをしていた。お互いに話し合うだけだった日々、ふとセキエイの声を聞いていながら、この人と身体を繋げられたらな、と想像してしまい、その日から、僕のオカズはセキエイの声になっていた。


 名前を呼ばれること、なにをしているかと聞かれること、セキエイ自身のこと、色々聞いていた優しい時間に、僕は自分のペニスをいじりながら聞くことが、だんだんと多くなり、ある時、嬌声を我慢できず「んんっ」と声に出してしまい……。

 そこからセキエイとの関係は変わった。

 誤魔化せばいいものの声に疑問を持ったセキエイが「どうした」「なにかしているのか」と聞かれて、正直、情けないことに「セキエイの声で自慰してる」と言ってしまった。


 もうそれから、最初に言ったとおり、僕とセキエイは電話を繋げながらお互いに慰め合うテレフォンセックスをする間柄となってしまい週一度の電話では近状を話ながら、最後はセックスをすることに――。


 ベッドに寝転びながら待っていると携帯の画面が光った。

「あっ」

 心が跳ねる。

 テーブルからのバイブレーション、震える手を伸ばして携帯の画面を見た。

 そこには「40」から始まる不思議な番号がある。


 外国とか、そういうところからとかネットで探しても「40」から始まる携帯電話はなかったけど、そんなのもういいのだ。

 不思議な番号からの電話に通話ボタンを押す。

 変に出会った頃とテレフォンセックスに昇華してしまったせいで、下半身は大きくなってしまっている。


 とと、と現実に戻り、ひそひそ話をしているかのように彼の名前を呼ぶ。

「……セキエイ?」

「アキラ?」

 ハスキーな声が電話口から聞こえてきた。

 暖かい、そして欲情の気持ちが一気にこみ上げてくる。

「今日はどうだった?」

 セキエイが、そう聞いてきたので、

「いつも通り、大変。仕事を押しつけられて……セキエイは?」

 くすりと笑う声が電話口から聞こえて、ふるりと身体が震えた。

「俺の仕事もそんなもんだ。アキラと一緒の仕事だ」

 僕もくすりと笑う。

 一週間、なにがあったか、こんなことがあったか、小話をする。


 だいたいは仕事の話。たまにご飯の話。

 セキエイの話によると、彼のご飯は肉中心で野菜はあまり食べないと聞く。あとご飯もあまり食べないと言っていた。

 やはり「40」の不思議番号の先は、自分では想像できない世界なのではないかと、足をパタパタさせながら思う。

 家族の話や自分の情けない、他人より劣っているような、残念な自分は話さない。縁を切られるとは思わないが、電話越しの相手ぐらいには、ただのアキラでいたかった。


 そんな話をしていると、一回、しん、と空気が止まり「アキラ」と湿っぽい声に、頭の中が甘くなる。

 あ、するんだ。

 今日は、ちょっと早めだけど、我慢してたのかなと思い「セキエイ」と同じく、甘い声を出しながら「ほしい」と懇願する。


「もう準備してきたから……セキエイ、好きにして」


 少しの沈黙があって、

「アキラは可愛いね。今、どんな格好をしてる?」


 ごくりと喉が鳴る。いつもどんな格好をしているか聞かれ、

「シャツ、を着てる。あと下着も」

 前に「なにも着てない」と言った時がある。

 その時は、普通にやっている時より激しく、だいたい二時間ぐらいヤっていた。

 ディルドを使い、何度も何度も、セキエイに犯されている妄想をしながら、腕を動かして、あの日は凄かったなと思い出す。


 そんなことを思っていると、

「どこから触ってほしい?」

 耳元でひそひそとして、からかうような声がする。

「ん、今日は、いつもみたいにしてほしい」



(二話はセックスシーンだけで非公開です。読まなくても大丈夫なくらい3話と繋がっています)

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