第19話 東雲ミオが聞いている

◆『東雲ミオ』



 ――今朝、穂波を送り出した後。


 ずっと、穂波と知らない女の子の会話を聞いていた。

 イヤホンから聞こえてくる電車内の二人の声。


『ごめん。こんなくっついちゃって。人いなくなったら離れるから』

『……離れちゃうの?』

『え?』


 私の幼馴染が、可愛い声の女の子と一緒に電車に乗っている。


『昨日はくっついてたじゃん』

『……そうだっけ?』


 そんな会話が耳に届いて、ずっと胸の奥がずきずきと痛んでいた。


(なんで……)


 なんであなたが穂波と一緒に電車に乗ってるの?

 なんであなたと楽しそうにお話してるの?


は、私がいる場所なのに……)


 理不尽な感情だというのはわかっている。

 けれど、羨ましかったのだ。


 本当はいつだって穂波の傍にいたい。また穂波と一緒に電車に乗って、他愛ない会話をしたい。一緒に教室に入って、勝手に腕を組んだりして穂波に怒られたりして。


 だけど私は自分の家に引きこもっている。

 外に出ることを考えると、動悸が激しくなって視界が揺れて白く染まる。

 穂波がいるところに、私は行けない。


(……これ、聞くだけでもけっこうきついかも)


 机に突っ伏して顔を腕にうずめる。


 でもまだ終わりじゃない。


 こんなのはまだ軽い方だったのだ。



 ◆



 その後、電車の中で女の子が怪我をして、二人は保健室へと移動した。

 大した怪我ではなさそうだけど、穂波が少し強引に連れていくらしい。


(……小さい怪我くらい、気にしなければいいのに)


 穂波が他の子に優しくしてると、どうしても嫉妬してしまう。


(……でも、それが穂波の良い所でもあるか)


 その矢印が私じゃない人に向いてるのはもどかしいけど。

 複雑な気持ちで流れを追っていたら――不意に聞こえた言葉に凍り付いた。



『――ってあれ!? わ、わたし、膝枕されてる!?』

『……寂しくさせてごめん。桃瀬さん』

『ど、どういうこと!?』

『え? いや……『寂しくさせた時は頭を撫でる』ものじゃん』

『そ、そんな当たり前みたいな顔されても困るんですけど!?』



「……え?」



(これ――催眠?)



 穂波が、知らない女の子を膝枕して頭を撫でてる。

 血の気が引いていくのがわかった。


「――そん、な」


 大失敗だ。催眠アプリは成功なんてしていなかった。


 指示がおかしくなっているみたいだ。私以外にも反応している。最悪だ。片方のイヤホンを外して握りしめた。私の非力な腕では壊れないけど、【親】側の機械に何か異変が起きないかと願った。自分の部屋からできることは、このくらいしかない。


 そんな願いも虚しく、二人は何も気づかない様子で話を続けている。



『……テスト終わったら、何する予定?』

『……特に予定はないかなぁ』

『じゃあデートしようよ』



 デートの約束……?



『わかった……行こう』

『うん。約束だよ?』



 会話は終わったようだ。でもこっちは最悪の気分だった。


 モニターに薄く映る私はずいぶん酷い顔をしている。


「……なんで、こうなるかなぁ……」


 まさか――穂波の催眠が私以外にも反応してるなんて。



 ◆



 その後の事はよく覚えていない。

 先輩と喋っていたようだけど、クラスメイトの子ほど焦るような話は無かった。

 一度ぬいぐるみを引っ張り出されて焦ったくらいだ。


 穂波が部室を離れてからは、イヤホンを外して引き出しに隠す。

 敵情視察は十分すぎるくらいした。


 今、私の胸を締め上げてる原因をスマホから眺める。


(催眠アプリ……バグってたんだ)


 緊急かつ徹夜で作ったアプリだから、どうしてもテスト不足は否めない。

 でも、それが最悪の形で出てしまっていたらしい。

 髪をぐしゃぐしゃに握りつぶす。


「ばか……私のばか……うぅ……」


 誰が悪いかと言えば、私しかいない。

 催眠アプリを作ったのも、催眠アプリを使ったのも私だけだ。

 だからこそ気分が悪い。濁った泥のような感情がどこにも吐き出せない。


 だけど、ずっとゾンビのように呻いてるわけにもいかない。


「……ああ、穂波が来ちゃう……」


 澱んだ感情を消化する時間もない。

 穂波はすぐに帰ってくるだろう。


 その時――私は何をすれば?


(先輩の方はひとまず置いといてもいい)


 問題は告白してきた子の方だ。


 二人はデートの約束をしていた。


 そこでふと思ったことがあった。


(そうだ――でもその約束って、私が催眠したからできたんじゃないの?)


 思い返すと、保健室で二人は解散する流れだったはずなのだ。


 でも私が掛けた催眠がたまたま発動してしまって、その後にデートの約束が取り交わされた。


 だから催眠が発動しなかったら、デートの約束は無かったはず。


(じゃあ――別に無かった事にしてもいいんじゃない?)


 そっかそっかと頷いた。

 なんだ。

 それならいいじゃん。別に。

 私が何もしなければ何もなかったんだから。

 これは元通りに戻すだけであって。


 ふと口元を触ったら、気づかないうちに三日月みたいに釣り上がっている。


(そろそろ帰ってくるかな)


 今日も、昨日と同じように玄関で穂波を待つことにした。

 ご飯を作ってくれる日だから、穂波は帰り際に家に来てくれる。


 テスト期間だし別にいいよと前に言ったら、「そうしたらお前ご飯抜くだろ」と叱るように言われて、結局来ることになった。


 ……断られてたら、私も二人のデートを遠くから眺めるしかなかったんだけどな。


(――どうにでもできちゃうな)


 スマートフォンを手の中でもてあそんだ。

 ぴんぽんとチャイムが鳴る。

 玄関の鍵が回される。

 穂波が来てくれた。


「……お邪魔しまーす。ってミオお前、またそこにいるのか。電気ぐらい付けろよ」

「うん。穂波……あのさ」

「ん?」


 薄く微笑んで、用意していた画面を見せた。


「おかえり」







 ◇



「――あれ?」


 気づいたら、ミオの家にいた。

 徐々に眠りから覚めるように、意識がはっきりとしてくる。


「……なんか俺、ぼんやりしてた?」

「んー? どーしたの穂波ー」

「いや……」


 声のした方に顔を向けると、ソファで寝転がってソシャゲをしてるミオがいた。


 ここはミオの家のリビングだ。

 俺は制服姿のまま椅子に座っている。

 そうだ。俺は部室でテスト勉強して、その後ミオのご飯を用意しないといけないなと思って帰ってきて……あれ。


(……なんか短い距離だけど、覚えてないな)


 家のドアを合鍵で開けたのは覚えている。

 そして気づいたらリビングのこの椅子に座ってた。


 ……寝不足どころじゃないかこれは。

 なんか妙に疲れてるような気もするし。


「そーいえばさぁ……」


 首を傾げてたら、スマホの画面に目を向けたままミオが呟く。


「今週の日曜日って、約束覚えてる?」

「約束……? ……あー」


 記憶を探ると、ぼんやりと思い当たる物がある。



「――『』んだよな」



 ミオの口の端が釣り上がった。


「そうそう。ばっちり覚えてるじゃーん!」

「……でもデート? なんでだっけ。いつもと変わらなくないか?」

「おうちデートってあるじゃん。あれしようよ」

「わざわざ予定まで立てるほどか……?」


 そういえば、変な予定を入れていた。

 テストが終わった後の日曜日はミオとデートをする。


 スマホのカレンダーを開くと、『ミオとデートをする』という予定まで入っていた。……俺、こんな予定わざわざ書いたんだ。めっちゃ楽しみにしてるじゃん。


「楽しみだね、穂波」

「……ああ」


 ミオが綺麗な笑顔を浮かべていた。


 でも、頭が何か違和感を訴えている。


 何か、間違ってないか。


 でも思い出せない。


 『思い出すことができない』。


 頭を振った。


 デートと言うくらいだから、少しは特別なことをした方がいいんだろうか。


 何をしようか考えながら、夕食を作るために立ち上がった。


 



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