第十三章 もう誰も死なせない世界
俺達が案内されたのよりも大きな部屋の真ん中には長卓があり、食事の載った皿が沢山置かれていた。既に、酒を飲んで騒いでいる者もいる。
長卓の奥には村長と、仙人のような老人が並んで座っていた。年輪のように深く刻まれた顔の皺から、百歳をとうに超えているのではないかと俺は推測する。長卓の端の方には、孤児院の子供達もいた。彼らは場違いな感じで、申し訳なさげに俯いている。
村長が部屋に入ってきた俺達に気付き、立ち上がる。
「これは勇者様! 今、お呼びしようと思っていたところで、」
「エヴァの魔法のこと、何で黙ってたんだ?」
俺が低い声を出すと、騒がしかった集会所の大部屋は静まり返った。
「エヴァが代償魔法を使ったから、村の被害は少なくて済んだ。で、俺達も楽に炎の死神を倒せた」
「ど、どうして、そのことを……!」
「女神様は何でもお見通しなのだ!」
ガルフが大きな声をあげた。動揺していた村長は、咄嗟に笑顔を繕う。
「先程も申しましたが、エヴァが死んだのは、もう取り返しのつかぬこと。勇者様が変に気にされてはいけないと思い……」
村長の言い訳を遮るように、グレースが啖呵を切る。
「そういうこっちゃねえ! 孤児院まで炎の死神を連れてきて、無理矢理、エヴァに戦わせたろ!」
「そ、そ、それは……! ちょ、長老!」
自分の手に負えないと判断したのか、村長は救いを求めるように、隣の老人に視線を投げた。長老は、咳払いをした後、ゆっくり口を開く。
「その指示をしたのは、ワシじゃ。
長老は、しわがれた声で
「小さな村じゃが、暮らしている者は千人近くおる。エヴァの代償魔法がなければ、炎の死神によって全滅させられておったじゃろう。一人の犠牲で、沢山の村人が助かったのじゃ」
長卓の隅にいる子供達が、声を押し殺すようにして泣き始めた。村長が、そんな子供達を見て、明るい声を出す。
「泣くことなどないぞ! エヴァも、きっと天国で喜んでいる! 自分一人の命で、千人の村人が救われたのだ! お前達にも分かる、簡単な計算ではないか!」
長老が、村長の言葉に大きく頷いた。
「尊い犠牲のお陰で我々は今、生きている。皆、エヴァに黙祷を……」
長老が静かに目を瞑る。周りの者は皆、真似をして目を閉じ、大部屋は静まり返った。
十秒程の黙祷の後、食事が運ばれてくる。俺は隣にいる仲間達をちらりと見る。アイラが無言で歯を食いしばっていた。グレースもガルフも苦渋の表情だが、何も言わない。いや、言えないのだろう。
長老達が語ったのは、正論だからだ。エヴァの犠牲がなければ、沢山の村人が死んでいた。その中には、孤児院の子供達だっていただろう。エヴァ自身、そのことを分かっていて、自ら代償魔法を使ったのだ。
争いに犠牲は付きもの。そして当然、犠牲は少ない方が良い。千人が死ぬより、一人が死ぬ方が効率的だ。村長が言ったように、子供でも分かる簡単な計算。
そう。これは正論。そして、俺の良く知る正論だった。
『俺は百万人以上救ってる筈だ! それに比べりゃ、たかが七百人くらい何だってんだ! 簡単な算数だろ!』
前の異世界で沢山の犠牲者を出したとアイラに詰め寄られた時、俺はそう叫んだ。長老達の考えは、俺の考えと同じなのだ。
自分は間違っていない――ずっと、そう思っていた。しかし、俺は目前の光景に、密かに歯ぎしりする。
黙祷を捧げたのは、ほんの
――きしょいな。ガルフより、ずっと。
そう考えながら、ガルフをチラリと見る。何も知らないヒゲ面獣人は頬を赤く染めた。
「えっ。何、何? 勇者殿、
吐き気を催すガルフのウインクをスルーしながら俺は立ち上がる。新たな皿を運んできた給仕の村人が慌てていた。
「悪りーけど、食欲なくてよ。もう寝るわ」
戸惑う給仕にそう言って、俺は大部屋を出た。
廊下を数歩歩いて、気付く。アイラやグレース、それにガルフも俺の後に続いていた。
「何でお前らも来るんだよ」
「あそこは居心地が悪いのです」
アイラが呟く。グレース達も、小さく頷きながら廊下を黙って歩く。割り当てられた部屋に戻る途中で、不意にグレースが立ち止まった。
「なあ、アイラ様。前日まで時を戻して、エヴァを救うことって出来ねえのかな?」
「おお!! 女神様の力を使えば、エヴァ殿を救えるのか!?」
ガルフが目を輝かせる。アイラは少し黙った後、静かに口を開く。
「かなり大変ですが、出来なくはないのです。ただ、アイラはあくまでマコトの監視役。行動に決定権はないのです。それに……」
アイラは俺を見上げながら言う。
「エヴァさんが殺されたのは、アイラ達が来る前。マコトはこの件をスルーしても、プルタブ転生しないのです」
そう言って、アイラは俯いてしまった。
俺は「ふう」と短く息を吐いた後、言う。
「アイラ。時を戻してくれ。エヴァが死ぬ前に」
意外そうな顔をして、俺を見上げてくるアイラ。グレースとガルフが「わっ」と湧く。
「カッコいいぜ、マコト! 流石は勇者だな!」
「うむ! 自らの利に関係なく、救える命を救う! 英雄ジークのようだ! いざ、結婚を申し込む!」
「却下だ」
どさくさに紛れたガルフの求婚をバッサリ断る。『しゅん』とするガルフに構わず、俺はごきりと拳を鳴らす。
「つーか、あの骸骨野郎、エヴァに弱体化させられたってのが、気に入らねー。足枷のない炎の死神を――全力のテリコ・ミアズマ分裂体をブッ倒す! 俺は異世界アンゴラモティスを救った勇者だからよー!」
大声で笑うと、アイラは溜め息を吐いた。
「はぁ。どうせ、そんなところだと思ったのです。自分が最強だって証明したいですね」
「その通り、そんなとこだ。けど、アイラ。ついでにもう一つ良いか?」
「何なのです?」
「願い事、変更させてくれ」
「……はい?」
「この世界を救ったら、前の世界で俺のせいで犠牲になった命を救ってやって欲しい」
言った後、何だか照れくさくなって、俺はアイラから目を逸らす。アイラは無言のまま、廊下に立ち尽くしていた。
――どうせ『やれやれ。ようやく反省したですか』なんて憎まれ口でもきくんだろ。
そんな風に思っていた。だが、押し殺したような声が聞こえて、俺はアイラを見る。
「あぐっ! あうっ……!」
アイラは、口を手で押さえながら、ボロボロと泣いていた。いや、泣くというより、嗚咽に近い。アイラの瞳から止め処なく涙が溢れ、頬を伝って床に落ちる。
「そ、そんな泣くことねーだろ!」
突然の号泣に俺はテンパってしまう。生意気なガキンチョが、こんなことになるのは流石に想定外だった。そして、ふと気付く。
「あ……。もしかして、出来ねーのか?」
するとアイラは大泣きしながら、首を横にフルフルさせる。
「出来ます。出来ますです。それが……それが、マコトの願いなら……!」
――何だ? いくら何でも、こんな泣くか?
女神代行として、俺がそういう風に思ったことが嬉しかったのだろう。それでも、アイラの泣き方は少し異常に思えた。
俺が不思議そうな顔をしていることに気付いたのか、アイラは、どうにか泣くのを堪えだした。それでもまだ「ひっく、ひっく」と、泣きじゃっくりしている。
「高身長アイドルは、マコトの夢だったのです。なのに……ホントにもう良いですか?」
すると「高身長アイドルぅ?」とグレースが反応した。
「いや、それはだな……」
改めて言われると、マジでクソみたいな願いで恥ずかしくなる。グレースとガルフがにやりと笑うが、それは俺をバカにする笑いではなかった。
「我は背が低くともマコトが好きだ!」
「アタシだってそうさ!」
「ようするに! 背も、人の命も、『数字ではない』のである!」
ガルフがズバリ一言、そう言った。格好良く決めたつもりなのが伝わってきて、俺は何だかムカついてくる。亀に頭から突っ込もうとした奴が言うセリフじゃねーだろ、とも思う。
――けどまぁ、一理はあるか。
誰にも気付かれないように、俺は少し笑う。そして、ようやく落ち着いたらしいアイラに言う。
「願いは、さっき言った通り『俺のせいで犠牲になった七百七十七人の命を救う』に変更だ。時の女神にも伝えといてくれ」
するとアイラは背筋を正して、深々と俺にお辞儀した。
「本当に、ありがとうございますです」
「さっきから何かおかしいぞ、お前。変な物でも食ったか?」
アイラは急に顔を真っ赤にした。俺に背を向けると、先頭に立ってツカツカと廊下を歩き出す。
「つ、ついてくるです! 孤児院の跡地まで行って、そこで時を戻しますです!」
そんなアイラを見て、ようやくいつもの調子に戻ったなと俺は思った。
満月が、孤児院の焼け跡を寂しく照らしていた。
アイラは水晶玉を取り出し、何やらボソボソ言っている。どうやら、上長である時の女神と喋っているようだ。やがて、時の女神の許可が下りたのだろう。景色が、ぐにゃりとうねり、いつもより速く流れた。満月のあった夜空が、太陽の輝く青空に変化する。
ガルフが目をぱちくりさせて驚いている。無傷の孤児院の前には、エヴァと男の子、そして村長達がいて、話し合っていた。
「おお! あれは、エヴァ殿だ!」
「まだ生きてるぜ!」
グレースも嬉しげに声を上げるが、俺はしゃがみ込むアイラの方が気になった。
「おい。大丈夫か?」
「はい……なのです。本当は、もう少し前に戻せたら……孤児院の子供達を避難させることが出来たのですが……」
以前、本人も言っていたが、時を戻すのは大変な作業らしい。しかも今回は、二十四時間近く戻したことになる。当然、かなり体力を消耗したのだと思う。
だが、アイラが俺に申し訳なさげに語った理由は、もう一つある。孤児院が残っているということは、前回のようにこの場で破壊魔法が使えないということである。
――ま、どの道、足枷の無い奴に、破壊魔法は直撃しねーだろうし。
「問題ねーよ」
俺はアイラに、そう伝えた。
村長が、俺達に気付いて駆け寄ってきて、おずおずと尋ねる。
「ア、アナタ達は一体……?」
「はあ!? ボケてんのか、村長!!」
怒るグレースの肩を俺は軽く叩く。
「知らねーんだって。時間戻したんだから」
「あ、そっか。面倒くせえなあ」
グレースが簡単に説明する。俺達が勇者のパーティだと知ると、村長は顔をパッと輝かせた。
「何という良いタイミング! つい先程、炎の死神が現れて、村を燃やしているのです! 犠牲が出る前に、どうにかせねばと思っていたところでして!」
「ん? 『犠牲が出る前に』……ってことは、まだ誰も死んでねーのか?」
「は、はい! 今のところ、死者は出ておりません!」
「それは、素晴らしいのである!」
ガルフが声を張り上げる。子供達を避難させる暇が無かったことをアイラは悔やんでいたが、なかなかどうして、ベストなタイミングだったようだ。
その時、向こうの方から火傷を負った兵士達が走ってくる。そして、その後に続き、炎をまとった死神が悠然と歩み寄ってきた。
「おい、ガルフ。あの兵士達、やられるぞ。今のうちに避難させとけ」
「う、うむ! そうであったな!」
水晶玉で見た光景では、炎の死神を誘導してきた兵士達が最初に燃やされた。ガルフは、ハッと思い出したように兵士達の方に向かう。
一方、俺は右手に破壊のオーラを集めた。破壊魔法を使う気はない。だが、強力な攻撃魔法の気配に気付いて、炎の死神は俺の方をぐるりと振り返った。
標的を兵士達から俺へと変えて、炎の死神が歩み寄ってくる。俺はエヴァを守るように、前に立つと、傍にいる村長達に警告する。
「テメーら、邪魔だ。離れてろ。出来るだけ遠くに」
「わ、わかりました!」
我先にと退避しかけた村長は、思い出したようにエヴァを振り返る。
「エヴァ! もしもの時は代償魔法を使い、勇者様を支援……ぐはぁっ!?」
俺は喋っている途中の村長を思い切り蹴り飛ばした。土煙をあげつつ『ズザー』と遠くまで転がる村長。
「余計なこと言うんじゃねー。エヴァが目の前で死んだら、俺がプルタブ転生しちまうだろーが」
「ハッハハ! ざまあ!」
俺に蹴り飛ばされて気絶した村長を見て、グレースが楽しそうに笑った。そして、
「勇者……様……?」
俺を眺めながら、エヴァは目を丸くしていた。その後、祈るように手を組む。
「おお、神よ……この奇跡に感謝します……」
「そりゃまだ早ぇーな。アイツ、ピンピンしてるしよー」
俺は平然と歩み寄ってくる炎の死神を注視しつつ、エヴァに笑いかけた。今回、破壊魔法が制限された上、奴は弱体化していない。苦戦が予想されるが、それでも俺の気分は、むしろ高揚していた。
「奇跡って言うなら、今こっからだ。テリコ・ミアズマを倒して、この世界を救うまで……」
俺は鞘から抜いた剣の先を、足枷のないテリコ・ミアズマ分裂体に向ける。
「俺の目の前で、もう誰も死なせねー」
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