第8話

 やがて教会に着き、カーディンの従者が左右にひとりずつ付き、ゆっくりと重厚な扉を開く。

 見上げるほど天井の高い教会だ。大理石の太い円柱が立ち並び、上からは色とりどりのガラスでキラキラと輝いた光が差し込んでくる。中央にはロイヤルレッドと称される天鵞絨のカーペットがあり、入り口から祭壇までの道のりを結んでいる、総石造りの重厚な教会だった。

 真紅のカーペットの途中、黒髪の男が膝をつき祈りを捧げている。その男こそゼインだった。

 ゼインは婚礼のときのための華美な白服に、表地は輝く白に裏地が上品な紫色のローブを身につけている。ゼインは立ち上がり、おもむろに近づいてくる。


「父上、もう式の時間ですか?」


 ゼインが最初に視線を向けたのは、ハルではなくカーディンだった。


「あぁ。ゼインも心の準備をしておけ」

「はい。かしこまりました」


 ゼインは形式的にカーディンに返事をしただけで、すぐに踵を返し、立ち去ろうとする。


「ま、待ってっ!」


 思わず声をかけてしまった。

 だってハルは曲がりなりにも今日から王太子妃になる。それなのに、夫が目もくれないとはいかがなものか。


「何か用か? ハルヴァード」


 振り返ったゼインから向けられる冷たい視線。ゼインはいつのころからか、ハルのことを愛称で呼んでくれなくなった。

 厳しい視線だけで心が挫けそうになるが、ハルは負けない。


「ゼインさまは今日、ご自身が誰と結婚するのかご存知ないのですか?」

「は……?」

「この私です。ハルヴァード・フラデリック。このとおり婚礼着を着ています。この格好を見て、ひと言くらい声をかけていこうと思いませんでしたか?」


 ハルはゼインに迫る。ゼインのほうが頭ひとつ背が高いが、背の高さなんて関係ない。下からだってゼインを睨みつけてやる。


「くっ……」


 ゼインがハルを見て、口元を緩ませた。


「相変わらずだな、ハルヴァードは」

「どういう意味ですか」

「そのままの意味だ。子どものころなら何ひとつ変わっていない」

「は、はぁっ?」


 ハルのほうがふたつも年上だ。それを未だに子どもみたいだとからかうなんて!


「覚えている。俺はそこまでバカじゃない。自分の婚約者か誰かくらい把握しているよ」

「だったら、ひと言くらい……!」


 ハルが食ってかかろうとすると、反対にゼインのほうから迫ってきた。

 まさか近づかれると思っていなかったハルは勢いを失い、半歩後ずさる。


「金色の冠も、婚礼着も、とてもよく似合ってる。可愛いよ」


 ゼインが信じられないような言葉をハルの耳元で囁いた。

 ゼインの透き通るような声。ほのかに感じた吐息。そして優しい、愛の言葉。

 ハルは急に顔が熱くなるのを感じた。


「……そう言ってほしかったんだろ?」

「なっ……!」


 ゼインのことが許せなくってハルが腕を掴んでやろうとしたのに、ゼインに難なくかわされてしまった。


「そうじゃないっ! ……挨拶くらいしてほしいってこと!」


 ハルが言い返してやったのに、ゼインは余裕の表情だ。その顔がまた憎らしい。


「挨拶……? なんだ。てっきり見た目を褒めてほしいのかと思ったぞ」

「……違います」


 ゼインは失礼すぎる。人をおちょくって何が楽しいのだろう。

 悔しい。さっきゼインに一瞬でもときめいた事実を消し去りたいくらいだ。

 ゼインと言い合いしていたとき、教会に続々と人が集まってきて、ハルはさすがに口をつぐんだ。ゼインは相変わらず涼しい顔をしている。


「あ……」


 教会に来た人たちの中に、オルフェウスの姿もあった。

 ハルは思わず目で追ってしまう。オルフェウスは五年間ずっと、もっと言うならつい一ヶ月前まで婚約者だった。

 オルフェウスは若草色のローブを身にまとっている。正装だが、それは参列者の服装だ。ハルが結婚するのはオルフェウスではなくゼインだ。


「ハルヴァード、よそ見をするな。式の準備をしろ」


 ゼインに事実を突きつけられ、ハルはゼインに従って決められた場所へと向かう。

 覚悟を決めなければ。

 オルフェウスのことは綺麗さっぱり忘れる。これからは隣にいるゼインを愛することにする。

 ゼインはたったひとりのハルの夫だ。ずっと寄り添って、助け合って生きていく大切なパートナーだ。

 ハルはそっとゼインの横顔を覗き見る。

 髪はオルフェウスよりも少し短い。この日のために切り揃えてきたのかもしれない。

 端正な顔つきは、双子だからオルフェウスと造りは同じ。決定的に違うのは、オルフェウスはいつも笑顔で、ゼインは無表情だということだ。


「ハルヴァード、ヴェールを被れ。もうすぐ始まるぞ」


 ハルの視線に気がついたゼインは、早くしろと言わんばかりに冷たく言い放つ。


「は、はいっ」


 ハルは従者からヴェールを受け取り、冠を外してヴェールを頭から被る。その上から再び冠を載せてヴェールを押さえる。


「お前はひどいな」

「えっ?」

「それじゃ格好が悪いだろう? やり直しだ。じっとしてろ」


 ゼインはハルの冠とヴェールを持ち上げ、丁寧にやり直してくれる。

 ヴェール越しの視界の向こう側にゼインが見える。これはゼインの優しさなのだろうか。それともハルがみっともない恰好をしていては、隣にいる自分も不快だからだろうか。


「これでいい」


 最後にヴェールを整えていたゼインの手が、ハルの金髪に触れた。その手は妙に優しかった。


「ありがとうございます」


 ハルが礼を言ったのに、ゼインからの反応はなにもない。ゼインはサッと前を向いてしまい、無表情のまま式の始まりを待っている。

 今、ゼインは何を考えているのだろう。

 昔からゼインの心の中はわからない。感情が表に出なさすぎる上に、口数が少ないのだ。

 やがて式は厳かに始まった。

 先祖にご挨拶をして、皆の前で結婚することを誓い、互いに結婚の誓約書にサインをする。これで終わりだ。この国の結婚の儀式は他国と比べると至極簡単なものらしい。


「これよりハルヴァード・フラデリックはゼイン王太子の正式な伴侶となり、我がアレドナール一族の一員となる!」


 祭司の役割を担っているアレドナール血筋の年長者が、高らかに宣言した。それと同時に、結婚を承認するような盛大な拍手がふたりに贈られた。

 これでハルは正式な王太子妃となった。ハルは拍手に応えて軽く微笑んでみせるが、隣にいる夫のゼインは相変わらず無表情のままだった。

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