第六話 超えていく世代

『おお、おお』


 ドラゴンが歓喜に震える。

 繰り返しになるが、この巨躯きょくのどこにも、目と呼ばれる器官は存在しない。

 それでも異形の巨体をくねらせながら、ドラゴンはそれを見詰める。

 涙さえこぼすようにしながら。


 コケ。

 コケだ。


 テレーズがドラゴンへと掲げてみせているのは、なんの変哲も無い迷宮ヒカリゴケ。

 けれど、それは淡く光っている。


 ファーストステップ、水晶の宮。

 はじまりの迷宮と呼ばれたこの地に自生するコケは、光らない。

 だが、エルフの学者が手にしたコケは、自ずから光を発しているのだ。


『満願成就せり。我、この地での役目を終えり』


 幾星霜いくせいそうの月日を重ねたような、万感のこもった声音で、ドラゴンが手を伸ばす。


「テレーズ!」


 ラオが反射的に走り出そうとするが。

 長耳の少女は手を突き出して、それを押しとどめた。

 伸びてきたドラゴンの巨大な手の平に、彼女はコケをそっと乗せる。


 身震いした。

 ドラゴンが。

 そして、迷宮までもが。


 地鳴りだ。

 鳴動だ。

 あるいは――胎動たいどうだ。


『我、星をり。迷宮に、星をかえすときおとずれり』


 ドラゴンが手を開く。

 無数の淡い光がこぼれだす。

 一気に増殖したコケが、その手の平からあふれ、迷宮の床一面を覆う。


 燐光が地に満ち。

 天には星がまたたく。


 私の鋭敏な聴覚が理解した。

 今このとき、迷宮の中に、一本の道筋が通るように、音が真っ直ぐに走る道が出来たことを。

 それは、直前の迷宮透過現象の時に不完全ながら起きていたこと。

 ということは、これは。


「そう、死にかけていた迷宮が、息を吹き返したの」

「どういうこと?」


 完全にちんぷんかんぷんな様子の斥候狐クロノが問えば。

 エルフ先生は、指を一本立て、レクチャーをはじめる。


「生態系というものが、どこにでもあるの」


 動植物の死骸を分解して、コケやカビが生え、これを食べる虫や小動物が生まれ、それを餌にする動物が出てきて、さらに大型のモンスター、それを狙う冒険者がやってくる。

 この世界のどこでもありふれた当たり前の光景。


 けれど、この迷宮ではその仕組みが死にかけていたのだと、テレーズは言う。


「停滞なの。ファーストステップの迷宮ヒカリゴケは光る力を失っていたの。おそらく、古代では星の光を受けて、それを光る力、栄養に変えていたはずなの」


 迷宮におけるヒカリゴケは、すべてのモンスターを支える一番下層の食物だ。

 これが、自ら栄養を蓄えられなくなればなれば、当然上位の生物が死滅する。


「失われた機能。光合成の痕跡はあるのに出来ない種」


 それが、この地のコケの正体。


「じゃあ、なんで光る方のコケは――え、まさか、そういうこと?」


 何かに気がついたらしいクロノが、マジか、みたいな顔になる。


伝播でんぱしたわけ? ここから、他のあらゆる迷宮に?」

「正解なの」


 迷宮ヒカリゴケは、ずっとファーストステップで育ってきた。

 しかし、そこに人類が踏み込んだことで変わったことがあった。

 その靴底に、衣服の端に、道具にまぎれて、他の迷宮へと運ばれていったのだ。

 植物の種子が、そうやって版図はんとを広げるように。


 けれど、他の迷宮では星の光が降り注ぐことなどない。

 だからヒカリゴケは進化した。

 自ら発光するように、栄養を別の方法で作り出せるように。


「これについてはまだ解明されていない部分も多いのだけど、でも十分なの。だってドラゴンが求めていたものは」


 この迷宮を、安定させるための最下層の生物なのだから。

 その命の輝きを受けて、他者に光を与えるものなのだからと。


『確かに星を受け取った』


 答え合わせが済むのを待っていたように、ドラゴンが告げる。


『我はこの宮の管理を任されたもの。龍とはなべて、秩序を保つもの。異なる役割を帯びたシステム。なんじらは、その命題を達成した。挑みしものよ、地に満ちた今代の霊長よ、ここよりの安寧なる帰還をゆるす』


 塞がっていた出入り口が開く。

 ドラゴンの尻尾が退かされて。

 絶対者が、加えて述べる。

 託宣たくせんのごとく、静謐せいひつに、荘厳そうごんに。


『この地の安定に力を貸した汝らに、特別に褒賞ほうしょうを取らす。クリスタリアの若芽よ、汝にはこの地を明かすことを許可しよう』

「自由に研究するお墨付きなの? 有り難き幸せなの」

『狩猟者であり追跡者たる獣人よ、汝には助言を与えよう。その剣士は気が付いておらぬ』

「よ、余計なお世話よ!?」


 今にも殴りかかりそうなクロノを、慌てて私たちはいさめる。


『我に一刀を向けし嵐の刃よ。汝がかたきは、彼方かなたにありて、再会は遠いと知れ』

「……そうか。なら、俺は研鑽けんさんを積むとしよう」


 この一刀が届くまでと、ラオ・ブリンガーは剣の柄を固く握りしめた。

 そして。


『欠けたる器たるデュラハンよ』


 絶対者が、私に向けていった。


『そなたの片割れは、北の小さき都にありて。その地にはいま、厄災が訪れんとしている』

「厄災……?」

『我にとってはさしたるものではないが、理には反する。否、その出来損ないか。急ぎ行くがよい。その使命を、そなたが思い出すときまで』


 どう答えればいいか解らないでいるうちに。

 ドラゴンが、羽を広げた。


 ステンドグラスを束ねたような、二対四枚の羽。

 そこからキラキラとした極彩色がこぼれだし、空間を歪め。

 巨体が、浮き上がる。


『今一度まみえることはないだろう。冒険者。勇敢なる世界をひらく者たちよ。汝らの行く末に、幸多さちおおきことを望む』


 一方的に告げたドラゴンは、そして空へと舞い上がった。

 透明な天井など無いも同然に。

 天高く飛翔し、あっと言う間に見えなくなる。

 やがて迷宮にも変化が訪れた。

 壁がもとの黒いものへと戻り。


 ……イヤ、変わったこともあって。


「きれいなの」


 エルフが、満足そうにと息をついた。

 私たちも、うっとりとその光景を見詰める。


 闇黒の中、床一面が蛍火を宿していた。

 輝く絨毯じゅうたん


 地に満ちた迷宮ヒカリゴケの光が。

 いつまでも、これからも。

 この迷宮を照らしていくのだと、私たちは知ったのでございやした。


 ……なお、このあとドラゴンをおそれて逃げていたモンスターが一気に集まってきて、私たちは死闘を繰り広げることになるのですが――


 それはまた、別のお話ってことで!

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