第五話 星を見に行こう!

 結論から言えば。

 はじまりの迷宮ファーストステップに自生していたヒカリゴケと、他の迷宮のヒカリゴケは、性質がまったく違うことが判明しやした。

 なにせ、光らない。

 それどころか、このコケは光合成を行っているというのが、テレーズ先生の見立てで。


「極めて興味深い話なの。ファーストステップ内部に、陽光が届く場所はないの。にもかかわらず、このコケは光合成をして、そのエネルギーで生育しているの」


 年長者にして学者であるエルフ先生がおっしゃっているのだから間違いないだろうが、光らないのなら別種という可能性はないだろうか?

 そんな当然の疑問をぶつけると、彼女はゆっくりとかぶりを振る。


「光る以外の特徴が完全に一致しているの。そして、文献ぶんけんによれば、古い時代のこれは光っていたとあるの。つまり」


 どこかで変化が起きた、と?


「なの。ただ、ひとつだけ言えることがあるの。他の迷宮ヒカリゴケよりも、こちらの方が古い種なの」


 ……待ってくださいよ。

 そいつは、やっぱり別種と言うことではありゃしませんか?

 アー、イヤ。

 ひょっとして、学術的な観点からの話ではなかったりしやすか……?

 分類的に同じ種に属するもので、ファーストステップ、水晶の宮にあるコケは形態が古い。


「でもそれって、まるで誰かが栽培して品種改良した、ってコトにならないかしら?」


 難しい話に飽きてきたらしいクロノのあねさんが、尻尾の毛繕けづくろいをしながら――ドラゴンの前でなんと大胆な――続ける。


「大昔の小麦と今の小麦だと、粒の大きさも病気への抵抗性も違うってことでしょ? あたしの家でも育ててたからわかる。ひいおじいちゃん達は苦労したとか聞くし」


 実際、彼女の指摘はもっともで、同意見だった。

 意図的な品種改良が起きている?

 そんなバカな。


「……門外漢もんがいかんからの意見で済まないが、こちらが変化した、という可能性はないのかい?」


 未だにドラゴンへの警戒をやめられずにいるラオが、本質的な問いを放つ。

 さすが剣士、切れ味は抜群だ。

 そう、外の種類が変わったのではなく、古いものこそが変化した可能性だってある。


 このあたり、専門家はどう見るのだろうと思い、テレーズを見遣れば、彼女はすさまじ表情をしていた。

 目を細め、口を引き結び、眉間に力を入れたことで、相貌そうぼうがしわくちゃになっている。

 口からはブツブツと唸り声じみた試行錯誤しこうさくごがこぼれだしており、今にも頭から湯気ゆげが昇りそうな有様。

 見守ることしか出来ないこちらのことなど頓着とんちゃくできないほど彼女は考え続け。

 やがて。


「あめちゃんが、必要なの!」


 大声を上げると、懐からありったけの非常食。

 という名の、飴玉を取り出し頬張って、バリボリと噛み砕きはじめた。


 ゴクン。


 最後の一欠片を飲み下したとき、すくっと彼女は立ち上がり。

 私たちを静かな眼差しで見下ろして、告げる。


「だいたいわかったの」


 おお。


「実証には少し時間がかかるの。でも、時間切れなの」


 へ?


「なので、キリィ、ラオ、クロノ、なんとか時間を稼ぐの……穏便に!」


 突然のオーダーが下されたとき、ドラゴンが身じろぎをした。

 緊張が走る。

 動き出した巨体が、長い年月を感じさせる声音を吐き出す。


『その時だ』


 進む、巨躯きょくが地面に触れることもなく、羽ばたきもせずに浮遊して。

 目指す先は、あの粉挽こなひとも巻取機まきとりきともつかない装置。

 ドラゴンの六つある手足が、これを強く掴んだ。


 ギチ、ギチチ……。

 錆び付いたついた金具を無理矢理回すように、複雑に絡み合った木製の歯車を、万人まんにんの力で動かすように。

 すさまじい摩擦まさつを押し返す、超常的な腕力が、軋みあげて装置を回す。


 ギチチ、ギチチ、ギチチ、


 ――ガチャン。


 人知を超えたなにかが動き出す音。

 途端、迷宮が振動をはじめる。

 ラオが私たちをかばい、剣をる。

 クロノが警戒を強くする。

 テレーズは、荷物をあさっており。

 そして私だけが、その〝音〟を聞いていた。


 荘厳そうごんなオーケストラ。

 あらゆる種類の楽器を同時にかき鳴らすようなミュージック。

 騒々しすぎて、音域が高すぎて、或いは低すぎて、人類の耳には届かない。

 けれど、私だけには聞こえている。

 それは迷宮自体がかなでるリズム。

 そこに秘められた機構が紡ぐ魔法の詠唱。


 私は聞き。

 そして、全員が見た。

 ――奇跡を。


 闇黒に閉ざされた迷宮。

 黒き塔たるこの場へ、白々とした光が差し込む。

 陽光とは異なる、温度のない輝き。

 穏やかで、静かで、やさしいまたたき。


 星だった。


 迷宮が上から下へと向かって徐々に透き通る。

 黒い天蓋は失われ、あらゆるものを透過するガラス張りのように美しい構造物へと、外の、夜空にさざめく星々の光が反射。

 迷宮全体を照らし出す。


「オオ、なんて美々しい光景で……」


 思わず、感嘆の言葉が口をついて出る。

 それほどまでの絶景がそこにあった。


「光る、迷宮」


 ぽつりと、赤毛の剣士が呟いた。

 そういえば、この迷宮へと入る前に、教えて貰ったのだ。

 古い時代には、迷宮自体が輝いたという逸話があったのだと。

 だから水晶の宮と呼ばれていたのだと。


 アア、まさしくこれは水晶の宮。

 壁面、天板、床面、すべてが透明な結晶で構築された、宮殿そのもので。


『では、星を与えよ、地を這うか弱き者たちよ』


 ドラゴンの言葉で、感動は吹き飛んだ。

 血の気がさっと引いていく。

 仲間達の心臓が、緊張に脈打つのが伝わってきた。


 眼球を持たない絶対者が、確実に注視しているとわかる仕草しぐさで、こちらを見下ろしてくる。

 星を与えれば助ける。出来なければ殺す。

 ドラゴンの言っていることは一貫している。

 けれど、そいつはいったいぜんたいなんなんですかい?


 だって、星はすでに出ている。

 空にある。

 これを、どうやってこの絶対者に渡せばいい?

 それこそ手を伸ばせば、ドラゴンならば届くんじゃないんで?


 わからない。

 わかりやせんが……テレーズ先生は仰った。

 時間を稼いでくれと。

 私たちを頼って、だ。


「クロノの姐さん、空を、星を指差してください」

「……上手くやってよね」


 なぜとは聞かずに、彼女は指示されるまま光点を示してくださって。

 私はドラゴンへと向かって、笑みを作る。

 狡猾こうかつな詐欺師のような、話術によって相手を言いくるめようとする弁舌家べんぜつかの顔で。


「あれを、あなたに差し上げやしょう」

『……まじないをたしなむか、デュラハンであってそうでなきものよ』


 どういう意味だ?

 イヤ、今は深く考えても仕方が無い。


「頷いてくだされば、いまよりあの星はあなたのものです。どうぞ受け取ってくだせぇ」

『器の鍵たるものよ、願いの結束点、欠けたるデュラハンよ。それは力ある言葉によってのみ成立する、いにしえの契約である。今の世においては履行りこうされない』


 ダメか。

 ダメだろうなって思ったともこんな屁理屈へりくつ

 けれども、まだこちらの話を、ドラゴンは聞いてくれている。

 チラリとエルフ先生を見遣り、頼むぞと思いながら、弁舌をさらに続ける。


「では……水よ、留まれ」


 魔法によって水を生成、床に這わせる。

 すると星明かりを反射して、満天の空が水の鏡へと映りこむ。


「こちらをお持ちくだせぇ。星でございやす」

『鏡面の世界はこの世のうつし身。確かにそれは星であろう』

「でしたら」

『だが、水面の星は取り出せぬ。我に与えるべきは器でも鏡でもなく星そのものだ』


 まずい。

 先手を打たれた。

 こっから先の詭弁きべんの方向性が断たれる。

 どうする?

 手も足も出ないから口を出しているわけですが、いい加減種切れカンバンだ。

 あとはなにが出来る?

 仮に戦うとしても秒で死ぬでしょう、少なくとも私は。

 ……星、星って、そもそもなんなんでしょうね。

 天にあるこれのことじゃないとすれば、どうでしょうか?

 星。

 そういえば、月とは仰らないのだ、このドラゴンは。

 月は、陽光の反射を受けて輝くもの。

 なら星とは、自ずから輝くもの?

 つまり、まさか、それは――


「テレーズ!」

「待たせたの……!」


 こちらが呼びかけるよりも早く。

 耳の長い学者は、ドラゴンの前へと飛び出していた。


はるひさしくを生きるものよ、刮目かつもくするの。これこそが、あなたの求めたものなの!」


 彼女が両手に掲げたもの。

 それは。


「「コケ……?」」


 ラオとクロノが同時に、呆気にとられた様子で呟いた。

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