第8話 敵陣突入
着いた場所は針の筵だった。
白銀カレンのレッスン場は、さほど遠くない場所にあった。メインストリートから一本中に入った静かな場所。
小暮の車から下りたアリアは、さっさとその扉を押し開いた。
アポイントはとってある。とはいえ、電撃訪問には違いなかった。
「黒澤さん、困ります。今はレッスン中なので」
「見学させてもらうだけ」
止めるスタッフの隣をすり抜けて、奥へと進む。
カレンの所属する事務所はアイドル部門が小さいとはいえ、規模としては大きい。
こぎれいな廊下の壁に宣伝用のポスターがきちんと貼られていた。
所々、段ボールに積まれた番宣用のグッズが積まれているのはご愛嬌だろう。
「なんのレッスンをしているの?」
アリアを止めたスタッフも隣を並走してくる。
物理的に止められないところを見ると、許可自体は下りている。このスタッフが止める理由は心理的なものだろう。
つまり、白銀カレンはきちんと大切にされているのだ。
黙っているスタッフにアリアはもう一度訪ねた。
「ねぇ、それくらい教えてくれていいんじゃない?」
「……ダンスです」
しぶしぶというのを隠さず、スタッフが答える。その内容に、アリアは唇の端を吊り上げた。
アイドルバトルでは事務所の中にもカメラが設置されている。録画中を示す赤い光の位置をアリアはきちんと確かめ、足を止める。
「ダンス?」
アリアはわざとゆっくり問いかけた。
ちょっと嘲笑うことも忘れない。
期待通り、スタッフは眉間にシワを寄せた。
「カレンにとっての弱点ですから」
「弱点?」
悪くない分析だ。
カレンのステータスで一番低いのはダンスだし、それに関わるスタミナも低い。
他の候補者たちと比べるなら、ダンスを強化するだけで問題ない。
だが、あえてアリアは鼻で笑ってみせる。
「一つもないでしょ」
「え?」
きょとんとアリアが何を言ったのか分からないように、スタッフが首を傾げた。
カレンの弱点はダンス。それは間違いないーーただし、黒澤アリアを超える気ならば、その分析では勝てないだろう。
だって、黒澤アリアのステータスは白銀カレンを圧倒しているのだから。
黒澤アリア
Vocal 95→100
Dance 95→98
Looks 95→98
Stamina ∞
Charm **
(さすがラスボス過ぎるよねー!)
まさか自分でもここまで伸びるとは思わなかった。
ラスボスになってみると、トゥルーエンドがいかに困難かわかる。
だから、カレンにはさらに伸びてもらわないといけない。
アリアは腕を組みスタッフを見下した。
「白銀カレンがわたしに勝っている部分なんて、一つもないって言ったの」
「なん、ですって?」
ガチャとレッスン室の扉が開く。
奥を目指して歩いているうちに、目的地まで到着していたらしい。
白銀カレンがレッスン室から出て来る。
「アリアさん」
「はぁい、練習を見に来たわ」
軽く手を挙げて挨拶を投げかける。
視線がかち合って、カレンの眉間にしわが寄る。
「わざわざ、来なくても良いんじゃないんですか?」
「決勝の対戦相手くらい、見ておきたいじゃない」
ぽんと即答に近い速さで答える。
アリアとしても麻友としても素直な気持ちだ。
アリアがじっと見つめていると、カレンは面倒くさそうに自分の方から髪を払った。
「今までだって見れたでしょうに。アリアさんは暇なんですか?」
見た。見れた。見てきた。
だけど、それでは足りないのだ。
アリアは正面から見るカレンに頬を緩ませた。
「ええ、わたしを倒せる相手がちっとも現れないから」
アリアは一歩カレンと距離を詰める。
自分より背の高いカレンを下から上目遣いで見つめた。
「あなたはその相手になれるのかしら?」
ぐっとカレンの喉が鳴った気がした。
まるで威嚇する子猫のように見えて、アリアはさらに楽しくなる。
カレンが悔しそうに顔をそらす姿さえ愉快だった。
「……すごい自信ね。そんなことばかり言っていて大丈夫なのかしら」
アリアは小さく笑いを噛み殺した。
アリアに対して、こうも直接言ってくる相手はいなかった。
カレンが言い返して来るだけでも成長が見える。
「ダンスで着いてくることもできなかったくせによく言う」
「あの時のあたしとは違うもの!」
アリアは自分に噛みつくカレンに目を細めた。
白銀カレン
Vocal 80→90
Dance 65→85
Looks 85→95
Stamina 55→85
Charm 95→98
見えたステータスに、心の中で微笑む。
良い数値だ。アリアと同じ95を超える数値がもう出てきている。
(でも、まだ足りない)
アイドルバトルは二人に絞られた後、すぐに決勝のライブになるわけではない。
二人になってから、間に何かのイベントステージが入るのだ。これは完全に予想できず、出たとこ勝負になる。
それさえ乗り越えれば、最終ライブになる。イベント内容次第ではカレンの数値はトゥルーに届くだろう。
だが、それだけでは足りないのだ。無敵のラスボス、黒澤アリアには。
「ふぅん……それだけ成長した自信があるのかしら」
「もちろんよ」
腕を組み堂々と見返してくる。
それを満足そうに見てから、アリアは眉を下げ、額に手を当てている小暮を振り返った。
「小暮、ちょっと音借りて」
「ええ? 歌うんですか?」
歌う。そして踊る。
カレンを焚き付けるには、それが一番だから。
獰猛な獣がそうするように、アリアは口角を吊り上げた。
「実力差がわかっていない子にはわからせてあげないと」
「……はいはい」
小暮はアリアの顔を見て、すぐに背を翻した。
止めるのは無駄だと悟ったのだろう。
カレンだけが訝しげな顔でアリアたちを見つめていた。
「何をする気?」
その視線を正面から受け止め、アリアは首を傾けた。
「一曲だけ、踊ってあげる。それを見て、もう一度同じことを言えるか楽しみだわ」
アリアはさっきまでカレンがレッスンをしていた部屋に入る。
小暮が持ってきてくれたマイクを受け取る。
静かに目を閉じて、音が始まるのを待つ。
ラスボスアイドルの片鱗を見せつけなければならない。
アリアはカレンだけのために歌って、踊ることを決めた。
※
音が止まると誰も喋らなかった。
「どう?」
滲んだ汗を手で拭う。
アイドルとして完璧な姿。それが黒澤アリアなのだ。
小暮が差し出したタオルを受け取り、マイクを返す。
誰も言い返してこない。
アリアはカレンの目の前に立った。
「これでわかったでしょ」
アリアを見るカレンの瞳を見る。
少しの怯えと、まだ消えない炎。
良かった。ここで完璧に折れてしまうようでは、超絶ボーダーラインを歌ってはくれないだろう。
「あなたがアイドルとして私に勝てるもの一つもないわ……棄権したら?」
「棄権なんてしないっ」
すぐさま言い返したカレンに口端を上げる。
黒澤アリアの実力を見て、そう言えるアイドルがどれだけいるか。
誰もがアリアが踊っただけで膝を折る。折ってしまう。
「そう。なら、せいぜい努力することね」
キツく両手を握りしめるカレンを鼻で笑って退場する。
帰りは誰も追って来なかった。
小暮の足音だけが廊下に響く。
「アリアさん」
「なに?」
挨拶を終え、小走りで隣に並んだ小暮が顔をしかめている。
歩みを止めることなく車に乗り込んで……そこで小暮は爆発した。
「ただでさえ、イメージ悪いんですから自重してください!」
ギュッとハンドルを握りながら強く言われる。
アリアは手の中で、以前のアイドルバトルのカレンを見直していた。
可愛い。綺麗。そして、意志が強い。
理想的なアイドルに白銀カレンは育ってきている。
「だって、可愛い子ほどいじめたくなるじゃない」
「そんなことわざはありません」
「そう?」
軽く流したアリアに小暮はさらに文句を続けた。
「わざわざ新曲を踊ってあげるって、どんなサービスですか!」
特別サービスだ。
カレン側もアリアの研究はしているだろうから、見たことがないものでないとインパクトがなさそうだなと思った。
アリアは車のシートに深く身を沈める。
「いいじゃない。普通にしたら、わたしが勝つもの」
「そうですけど」
小暮は不満そうに頷いた。この話はこれで終わりだ。
車が静かに動き出し、駐車場から出る。
車窓から今までいた建物を見上げた。
「次のステージが楽しみね」
その声に答える人はいない。
次のステージに何が来るか。
それにより、アリアの対応も決まる。
どうかカレンに神様が味方しますようにとだけ、アリアは祈っていた。
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