第5話
ずずっと麺を啜る音と、テーブルに響くレンゲの音。隣のテーブルから聞こえる笑い声すら、どこか遠く感じる。
「あー、しみる。これぞラーメンって感じだねぇ」
「寒いと余計にな」
湯気越しに見えるレイの顔は、どこか嬉しそうで、満足げで。見てるこっちの腹も、心も、ほぐれていくようだった。
「ねぇシキくん、味玉とチャーシュー、どっち好き?」
「なんだその質問。突然すぎんだろ」
「いや、どっちあげようかなって思ってさ~」
「くれる前提なんだな。素直に食べきれないですって言ってみ」
「違うからね!?俺の推しに貢ぎたいだけなんだけど!?おいしいものの共有!!」
「うるさい。じゃあチャーシューがいい」
「はーい!」
レイはレンゲを使って、器の中の一番大きなチャーシューを慎重につまみあげると、俺の丼の縁にそっと乗せた。
「……まじで厚いな、これ」
「でしょ~?しかもちゃんと炙ってあるからね~。大きいのあげるの、ちょっと惜しかったかも~」
「返そうか?」
「いやいやいやいや結構です!!」
丼を抱えて慌てるレイを横目に、俺はそのチャーシューに箸をつけた。口に運ぶと、脂がじゅわっと溶けて、炙りの香りが鼻を抜ける。
「うまい」
「でしょ!?ほら、俺の目に狂いはなかった~!」
得意げに胸を張るレイに、俺は軽く眉を上げて横を見やる。
「味玉ももらってやろうか?」
「どっちかって話だったよね!?」
言いながらも、レイは自分のレンゲに味玉をちょこんと乗せて、こっちに差し出してくる。
「くれるんだ……」
「推しには弱いんです~!」
俺がそれを受け取って、無言で口に運ぶと、レイはしてやったりとばかりににやけていた。いつもは帰っても一人でご飯を食べるだけだから、誰かとご飯を食べることはやっぱり楽しいなと思ってしまった。
丼の底が見える頃には、腹も心もすっかり温まっていた。
「ごちそうさまでしたー!」
レイが勢いよく手を合わせると、店主らしきオヤジがカウンターの奥から笑顔で頷く。
「おう、ありがとな。兄ちゃんたち、いい食いっぷりだったな」
「めっちゃ美味かったです!また来ます~!」
そんなやり取りを見届け、俺も「ごちそうさまでした」と軽く頭を下げて店を出る。
外はもう、夜風が少し冷たい。けれど、胃のあたりがぽかぽかしているせいか、不思議と心地よかった。
レイが「ふーっ」と息を吐き、空を仰いで、少しだけ目を細めながらぽつりとこぼす。
「……うまいラーメンの後の空気って、なんでこんな幸せなんだろ」
「なんでだろうな」
同じように俺も少しだけ空を見上げる。雲の切れ間から、星がいくつか覗いていた。
「ねぇねぇ、今度はさ~、俺の好きな餃子屋さん行かない?」
「お前、今食ったばっかだぞ」
「でも“今度”の話じゃん!予約だよ、予約~!」
駅に向かう道すがら、またレイが次の予定を持ち出してくる。「こないだ話してたカフェも行きたいね」とか「あそこに新しく小籠包専門店ができるらしい」とか。くだらないその会話すら、今は悪くないと思えた。
気づけば、笑い声が混じる足音が、夜の空気に溶けていく。
そして、駅の改札をくぐる頃には、辺りはすっかり夜の静けさに包まれていた。
「じゃ、俺こっちだし!」
階段の分かれ道で、レイが片手を上げて振り返る。
「気をつけてね~!」
「あぁ。お前もな」
そう返すと、レイはひらひらと手を振り、階段を駆け上がっていった。その後ろ姿が見えなくなるまで、なんとなく目で追ってしまう。
俺は逆方向のホームへ足を向け、やってきた電車に乗り込んだ。車内はほどよく空いていて、座席に腰を下ろしたタイミングで、スマホが小さく震える。
画面には、レイからの新着メッセージ。
【栞季くんと行きたいところリスト】
なんだそれ、と思いつつリンクをタップするとマップアプリが立ち上がった。
画面いっぱいに広がる地図には、ピンがいくつも立てられていた。ラーメン、カフェ、居酒屋、スイーツ、ベーカリー。その中には見覚えのある店名もちらほら混ざっている。
今日行ったラーメン屋にもピンが立てられている。メモ欄には、今日の日付と注文した料理が丁寧に記録されている。
気になって、他のピンもタップしてみると、同じように日付と料理名が記されている。そういえば、この店は昔二人で行ったことがある。試しに、見覚えのあるお店を何件かタップしてみると、やはり同じように日付と料理名が書かれていた。
今まで一緒に行った店、全部書いてるのか?
俺にとっては、ただの“外食”だった時間。レイにとっても、きっと同じようなもんだと思ってた。でも、こうして記録まで残してるってことは、あいつの中では、全部“思い出”だったのかもしれない。
いや、さすがにそれは俺の自意識過剰か。
マップを眺めながら、何を返そうか少しだけ迷う。
そのとき、またひとつ、レイからの新着メッセージが届く。
『全制覇したいから、定期的にご飯会しよーね♡』
画面に表示されたその文字列に、思わず小さく息が漏れる。ふっと笑って、指先を動かす。
『わかった』
送信ボタンを押した次の瞬間には、すぐに“既読”の表示がつき、数秒もしないうちに、画面に新しい吹き出しが現れる。
『やったー!やっぱシキくん優しい♡』
それを見て、俺は“NO”と書かれた看板を持つパンダのスタンプを無言で返す。既読がつくとすぐ、投げキッスをかます何かのキャラのスタンプが飛んできた。
そのスタンプを見届けてから、そっとスマホを閉じた。
最寄り駅までは、あと一駅。
窓の外に目を向けると、暗い街並みにぽつぽつと灯るオレンジの明かりが、静かに流れていく。
電車が駅に着くアナウンスを告げる。
立ち上がって扉の前に立つと、ガラスに映った自分の顔が、少しだけ柔らかく見えた。
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