第22話

翌朝のこと。

私たちが食堂に降りていくと、

『陽だまりのベンチ亭』は、信じられない光景になっていた。


「な、なんか……人がいっぱいいる!?」

「満席……いえ、立ち見まで出ていますね」


昨日まで、閑古鳥が鳴いていたはずの、

あの静かな宿屋が、まるで戦場のような活気に満ち溢れている。

カウンターの前には、長蛇の列。

客たちは、皆、目をキラキラさせながら、同じことを叫んでいた。


「おばあちゃん! 星明かりのベリージャム、まだあるかい!?」

「俺にも一つ! パンにたっぷり塗ってくれ!」

「持ち帰り用に、瓶で売ってくれー!」


どうやら、『特製! 星明かりのベリージャム、あります』の看板の効果は、

私たちが想像していた以上だったらしい。


「ふ、二人とも、すまないねぇ! ちょっと、手を貸しておくれ!」


厨房で、てんてこ舞いになっているエララさんが、

私たちに助けを求めてきた。


「「はい、喜んで!」」


こうして、私たちの、

はじめての“看板娘”としてのお仕事が、

てんやわんやで幕を開けたのだった。





「ルナリアちゃんは、ホールをお願い! 私は厨房を手伝います!」


セレスティアは、そう言うなり、

どこからともなく純白のエプロンと三角巾を装着し、

戦場と化したキッチンへと、颯爽と消えていった。

仕事が早すぎる。


「は、はい!」


私も、エララさんから借りたエプロンを締め、

お盆に、ジャムがたっぷり塗られたトーストを乗せて、

お客さんの元へと向かう。


「お、お待ちどうさまでしたー!」


ちょっと声を裏返しながら、

なんとかテーブルにトーストを置く。

うん、大丈夫。まだお盆は爆発していない。


「おお、ありがとう、お嬢ちゃん! あんた、新入りかい? 可愛いねぇ!」

「えへへ、ありがとうございます」


屈強そうな冒険者のおじさんに褒められて、

私は、ちょっとだけ、照れてしまう。

前世では、こんな風に、

知らない人と話すことなんて、ほとんどなかったから。


なんだか、楽しいかもしれない。


私が、そんな風に思っていた、その時。


ゴゴゴゴゴゴゴ…………


キッチンの入り口の方から、

凄まじい、負のオーラが漂ってきた。

え、なに? 地震?


そちらを、恐る恐る見やると。

厨房の入り口で、セレスティアが、

完璧な営業スマイルを浮かべたまま、

真顔で、こちらを凝視していた。


その翠の瞳は、

「その下郎……万死に値します」

と、雄弁に物語っている。


嫉妬のオーラが、物理的に見えるんだけど!?


「ひっ……!」


私に話しかけた冒険者のおじさんも、

その殺気に気づいたのか、

顔を引きつらせて、固まっている。


私は、慌ててセレスティアの元へ駆け寄った。


「セレスティア! ストップ! あれはお客さんだから!」

「ですがルナリア様! あのような薄汚い男が、なれなれしく……!」

「あれが普通なの! コミュニケーションなの!」


私が必死になだめている間にも、

キッチンからは、香ばしい匂いが漂ってくる。

ふと、中を覗いてみると……


そこは、もはやレストランの厨房ではなかった。

寸分の狂いもなくカットされ、完璧な焼き色がつけられたトーストが、

ベルトコンベアのように流れていく。

ジャムは、ミリ単位で正確に、パンの表面に塗られていた。


その中心で、

鬼神のごとき形相で、

目にもとまらぬ速さで調理をこなす、

メイドさんの姿があった。


「セレスティアさん……すごいねぇ……」

「はい! ルナリア様のお役に立つため、調理スキルも極めておりますので! トーストの焼き加減は78%! ジャムの塗布厚は1.6mmが黄金比です!」


エララさんが、若干引いている。

私も引いている。


このメイドさん、

忠誠心だけじゃなくて、

何もかもが、オーバースペックすぎる。


私たちの、怒涛の一日は、

日が暮れるまで続いた。


閉店後。

三人は、テーブルで、

ぐったりと突っ伏していた。


「……疲れた……」


でも、その疲れは、

なんだか、心地よかった。


「二人とも、本当にありがとうねぇ」


エララさんが、

今日の売り上げが入った、

ずっしりと重い袋を、テーブルの上に置いた。


「約束通り、今日の稼ぎの半分だよ。持ってお行き」

「え、そんなに!?」


袋の中には、

銀貨が、キラキラと輝いていた。

昨日までの、私たちの全財産より、

ずっと、ずっと、多い。


「やった……! これで、当分、宿代には困らないね!」

「はい、ルナリア様!」


私たちが喜んでいると、

エララさんが、少しだけ、困ったような顔で言った。


「……それは、そうなんだがね。一つ、問題があってねぇ」

「問題?」


エララさんは、厨房の奥を指差した。

そこには、空っぽになった、

大きな保存瓶が、いくつも転がっている。


「……見ての通りさ。

一日で、あれだけあった星明かりのベリーが、

すっかり、なくなっちまったんだよ」


あ。


そうだった。

ジャムが売れれば、当然、材料はなくなる。

完全に、忘れていた。


「また、森に採りに行けば……」

「いや、そう毎度毎度、あんたたちに危険な思いをさせるわけにはいかないよ」


エララさんは、優しいけど、頑固な人だ。

私たちの助けを、当たり前だとは思っていない。


どうしよう……。

せっかく、宿屋が繁盛し始めたのに。

このままじゃ、明日には、

また元の閑古鳥が鳴く宿屋に逆戻りだ。


私がうーん、と唸っていると、

隣で、セレスティアが、

すっ、と立ち上がった。


彼女の瞳は、

完璧なソリューションを見出した、

凄腕コンサルタントのように、輝いていた。


「……ルナリア様」

「な、なに?」


「問題の根幹は、供給の不安定さにあります」


「供給の……不安定さ?」


「はい。つまり、野生のベリーを『採りに行く』という、その場しのぎの対応に、問題があるのです」


セレスティアは、

どこからともなく、黒い手帳と羽ペンを取り出すと、

さらさらと、何かを書きつけ始めた。


「解決策は、二つ。

第一に、安全かつ効率的な、ベリーの定期収穫ルートを確立すること。

第二に、星明かりのベリーそのものを、栽培・養殖し、安定供給体制を構築することです」


栽培!?


「え、ちょ、できるの!? あんな、魔法のベリーみたいなやつ!」

「不可能ではありません。我が城の裏手には、あらゆる魔法植物の栽培を可能とする、古代の温室がございます。あそこならば、あるいは……」


セレスティアの目が、きらりと光る。


「そのためには、まず、あの森の生態系、

特に、星明かりのベリーが好む、

魔力の循環サイクルを、詳細に調査する必要がありますね」


「……なんか」

「はい」

「すごく、大掛かりな話になってない?」


私は、なんだか、

とんでもないプロジェクトが始まろうとしている予感に、

思わず、遠い目になった。


お世話になったおばあさんのために、

ちょっと、ベリーを採りに行っただけなのに。

気づけば、森を浄化し、

宿屋を繁盛させ、

今度は、魔法植物の栽培に、

挑戦することになろうとしている。


……あれ?

私の、穏やかなスローライフは?

どこへ行ったの?


私が、頭を抱えていると、

セレスティアが、

そっと、私の耳元で、囁いた。


「ご安心ください、ルナリア様」


その声は、

悪魔のように、甘かった。


「このプロジェクトが成功すれば、

私たちは、安定した収入源を確保できます。

すなわち、それは、

ルナリア様が、一生、お仕事に困ることなく、

私と共に、穏やかに暮らせる未来に、繋がるのですよ」


……その言葉は、

すごく、すごく、魅力的だった。

(セレスティアの言う「穏やかに」が、

私の思う「穏やかに」と、

少し、いや、かなりズレている気がするけど)


私は、顔を上げた。

そして、覚悟を決めて、言った。


「……よし!」

「はい、ルナリア様!」

「やろう! 魔法農業!」


こうして、私たちの次なる目標が定まった。

目指すは、星明かりのベリーの安定供給。

そして、その先にある、

完璧なスローライフだ!


……うん、まあ、

退屈するよりは、いっか!


私は、新しく手に入れた、

ずっしりと重い、銀貨の袋を握りしめ、

明日からの、

さらなるドタバタな日々に、

思いを馳せるのだった。


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