第22話
翌朝のこと。
私たちが食堂に降りていくと、
『陽だまりのベンチ亭』は、信じられない光景になっていた。
「な、なんか……人がいっぱいいる!?」
「満席……いえ、立ち見まで出ていますね」
昨日まで、閑古鳥が鳴いていたはずの、
あの静かな宿屋が、まるで戦場のような活気に満ち溢れている。
カウンターの前には、長蛇の列。
客たちは、皆、目をキラキラさせながら、同じことを叫んでいた。
「おばあちゃん! 星明かりのベリージャム、まだあるかい!?」
「俺にも一つ! パンにたっぷり塗ってくれ!」
「持ち帰り用に、瓶で売ってくれー!」
どうやら、『特製! 星明かりのベリージャム、あります』の看板の効果は、
私たちが想像していた以上だったらしい。
「ふ、二人とも、すまないねぇ! ちょっと、手を貸しておくれ!」
厨房で、てんてこ舞いになっているエララさんが、
私たちに助けを求めてきた。
「「はい、喜んで!」」
こうして、私たちの、
はじめての“看板娘”としてのお仕事が、
てんやわんやで幕を開けたのだった。
◇
「ルナリアちゃんは、ホールをお願い! 私は厨房を手伝います!」
セレスティアは、そう言うなり、
どこからともなく純白のエプロンと三角巾を装着し、
戦場と化したキッチンへと、颯爽と消えていった。
仕事が早すぎる。
「は、はい!」
私も、エララさんから借りたエプロンを締め、
お盆に、ジャムがたっぷり塗られたトーストを乗せて、
お客さんの元へと向かう。
「お、お待ちどうさまでしたー!」
ちょっと声を裏返しながら、
なんとかテーブルにトーストを置く。
うん、大丈夫。まだお盆は爆発していない。
「おお、ありがとう、お嬢ちゃん! あんた、新入りかい? 可愛いねぇ!」
「えへへ、ありがとうございます」
屈強そうな冒険者のおじさんに褒められて、
私は、ちょっとだけ、照れてしまう。
前世では、こんな風に、
知らない人と話すことなんて、ほとんどなかったから。
なんだか、楽しいかもしれない。
私が、そんな風に思っていた、その時。
ゴゴゴゴゴゴゴ…………
キッチンの入り口の方から、
凄まじい、負のオーラが漂ってきた。
え、なに? 地震?
そちらを、恐る恐る見やると。
厨房の入り口で、セレスティアが、
完璧な営業スマイルを浮かべたまま、
真顔で、こちらを凝視していた。
その翠の瞳は、
「その下郎……万死に値します」
と、雄弁に物語っている。
嫉妬のオーラが、物理的に見えるんだけど!?
「ひっ……!」
私に話しかけた冒険者のおじさんも、
その殺気に気づいたのか、
顔を引きつらせて、固まっている。
私は、慌ててセレスティアの元へ駆け寄った。
「セレスティア! ストップ! あれはお客さんだから!」
「ですがルナリア様! あのような薄汚い男が、なれなれしく……!」
「あれが普通なの! コミュニケーションなの!」
私が必死になだめている間にも、
キッチンからは、香ばしい匂いが漂ってくる。
ふと、中を覗いてみると……
そこは、もはやレストランの厨房ではなかった。
寸分の狂いもなくカットされ、完璧な焼き色がつけられたトーストが、
ベルトコンベアのように流れていく。
ジャムは、ミリ単位で正確に、パンの表面に塗られていた。
その中心で、
鬼神のごとき形相で、
目にもとまらぬ速さで調理をこなす、
メイドさんの姿があった。
「セレスティアさん……すごいねぇ……」
「はい! ルナリア様のお役に立つため、調理スキルも極めておりますので! トーストの焼き加減は78%! ジャムの塗布厚は1.6mmが黄金比です!」
エララさんが、若干引いている。
私も引いている。
このメイドさん、
忠誠心だけじゃなくて、
何もかもが、オーバースペックすぎる。
私たちの、怒涛の一日は、
日が暮れるまで続いた。
閉店後。
三人は、テーブルで、
ぐったりと突っ伏していた。
「……疲れた……」
でも、その疲れは、
なんだか、心地よかった。
「二人とも、本当にありがとうねぇ」
エララさんが、
今日の売り上げが入った、
ずっしりと重い袋を、テーブルの上に置いた。
「約束通り、今日の稼ぎの半分だよ。持ってお行き」
「え、そんなに!?」
袋の中には、
銀貨が、キラキラと輝いていた。
昨日までの、私たちの全財産より、
ずっと、ずっと、多い。
「やった……! これで、当分、宿代には困らないね!」
「はい、ルナリア様!」
私たちが喜んでいると、
エララさんが、少しだけ、困ったような顔で言った。
「……それは、そうなんだがね。一つ、問題があってねぇ」
「問題?」
エララさんは、厨房の奥を指差した。
そこには、空っぽになった、
大きな保存瓶が、いくつも転がっている。
「……見ての通りさ。
一日で、あれだけあった星明かりのベリーが、
すっかり、なくなっちまったんだよ」
あ。
そうだった。
ジャムが売れれば、当然、材料はなくなる。
完全に、忘れていた。
「また、森に採りに行けば……」
「いや、そう毎度毎度、あんたたちに危険な思いをさせるわけにはいかないよ」
エララさんは、優しいけど、頑固な人だ。
私たちの助けを、当たり前だとは思っていない。
どうしよう……。
せっかく、宿屋が繁盛し始めたのに。
このままじゃ、明日には、
また元の閑古鳥が鳴く宿屋に逆戻りだ。
私がうーん、と唸っていると、
隣で、セレスティアが、
すっ、と立ち上がった。
彼女の瞳は、
完璧なソリューションを見出した、
凄腕コンサルタントのように、輝いていた。
「……ルナリア様」
「な、なに?」
「問題の根幹は、供給の不安定さにあります」
「供給の……不安定さ?」
「はい。つまり、野生のベリーを『採りに行く』という、その場しのぎの対応に、問題があるのです」
セレスティアは、
どこからともなく、黒い手帳と羽ペンを取り出すと、
さらさらと、何かを書きつけ始めた。
「解決策は、二つ。
第一に、安全かつ効率的な、ベリーの定期収穫ルートを確立すること。
第二に、星明かりのベリーそのものを、栽培・養殖し、安定供給体制を構築することです」
栽培!?
「え、ちょ、できるの!? あんな、魔法のベリーみたいなやつ!」
「不可能ではありません。我が城の裏手には、あらゆる魔法植物の栽培を可能とする、古代の温室がございます。あそこならば、あるいは……」
セレスティアの目が、きらりと光る。
「そのためには、まず、あの森の生態系、
特に、星明かりのベリーが好む、
魔力の循環サイクルを、詳細に調査する必要がありますね」
「……なんか」
「はい」
「すごく、大掛かりな話になってない?」
私は、なんだか、
とんでもないプロジェクトが始まろうとしている予感に、
思わず、遠い目になった。
お世話になったおばあさんのために、
ちょっと、ベリーを採りに行っただけなのに。
気づけば、森を浄化し、
宿屋を繁盛させ、
今度は、魔法植物の栽培に、
挑戦することになろうとしている。
……あれ?
私の、穏やかなスローライフは?
どこへ行ったの?
私が、頭を抱えていると、
セレスティアが、
そっと、私の耳元で、囁いた。
「ご安心ください、ルナリア様」
その声は、
悪魔のように、甘かった。
「このプロジェクトが成功すれば、
私たちは、安定した収入源を確保できます。
すなわち、それは、
ルナリア様が、一生、お仕事に困ることなく、
私と共に、穏やかに暮らせる未来に、繋がるのですよ」
……その言葉は、
すごく、すごく、魅力的だった。
(セレスティアの言う「穏やかに」が、
私の思う「穏やかに」と、
少し、いや、かなりズレている気がするけど)
私は、顔を上げた。
そして、覚悟を決めて、言った。
「……よし!」
「はい、ルナリア様!」
「やろう! 魔法農業!」
こうして、私たちの次なる目標が定まった。
目指すは、星明かりのベリーの安定供給。
そして、その先にある、
完璧なスローライフだ!
……うん、まあ、
退屈するよりは、いっか!
私は、新しく手に入れた、
ずっしりと重い、銀貨の袋を握りしめ、
明日からの、
さらなるドタバタな日々に、
思いを馳せるのだった。
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